捜索者 (The Searchers)

★★★★★

1956年(昭31)3月13日米国公開/カラービスタ/119分/ワーナー・ブラザース/

製作    メリアン・C・クーパー 原作 アラン・ルメイ

脚本    フランク・S・ヌージェント 監督    ジョン・フォード 

撮影    ウィントン・C・ホック 音楽    マックス・スタイナー

出演-ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ワード・ボンド、ヴェラ・マイルズ、ナタリー・ウッド、ハリー・ケリー・ジュニア

 

前作「ミスター・ロバーツ」から8ヶ月後に公開されたフォードの新作。

世界映画史の中でも名作とされる、詩情溢れる傑作西部劇。

主演のジョン・ウェインは「静かなる男」以来4年ぶりのフォード作品の出演。それまでの温厚で正義感ある役どころと異なった、偏向的な人種差別者である、ある意味悪役を演じている。

映画の始まりが素晴らしい。この後何回も繰り返される主旋律の音楽が流れる中、ウェインが一人、兄一家が住む家に帰ってくる。

そして画面では一切のセリフを使わず、ウェインは兄の妻マーサとかつては恋仲だった事。今は別れて兄の嫁になっているマーサを忘れるために旅に出た事。その全ての事情を牧師兼大尉であるワード・ボンドは知っている事。これだけのことを、役者の仕草、目の動き、立ち居振る舞いだけで観客に伝えている。

そしてコマンチ族の襲撃でマーサは頭の皮を剥いで殺され、次女のテビーはさらわれる。ウェインは、一家に育てられたジェフリー・ハンターと共に、6年にも及ぶ追跡の旅へと出る。

随所にウェインはコマンチ族への憎悪を剥き出しにする。ウェインの目的は、マーサの頭の皮を剥いだ酋長を殺す事。そしてコマンチ族にさらわれた次女のデビー、すでにコマンチの一員となったテビーも殺すこと。これは以前から、もしもの時は殺してほしいとマーサから頼まれていた。

 

そしてついにウェインはコマンチ族を見つける。ジェフリーに殺された酋長の頭の皮を剥ぎ、テビーを見つけ追いかける。ジェフリーも観客も、ウェインはテビーを殺すだろうと確信する。

 

しかし、追いついたウェインはデビーを子供のように持ち上げて「・・家へ帰ろう、デビー」と呟く。何度見てもここで落涙してしまう。いつ心変わりしたんだよ!しかし、ジョン・ウェインが優しくセリフを呟くと、そんな疑問はすっ飛んでしまう。

そして再び最初のシーンと同じ音楽が流れ、

デビーたちの帰りを待つ人達が映し出される。

デビーを抱いて戻って来るウェインの姿と、

揺り椅子に座るハンク・ウォーデンの姿に再び落涙してしまう。

左のヴェラ・マイルズの母親役のオリーヴ・ケリー。

この人はサイレント映画時代の人気俳優、故ハリー・ケリーの2番目の奥さんだ。

フォードはハリー・ケリーを主役に20本以上のサイレント映画を監督している。

ハリーとは監督としての修行時代の盟友でもあった。

映画のラスト、ジョン・ウェインは一人残り、何気なく左手で右腕をつかむ仕草をする。その視線の先にいるのは故ハリー・ケリーの未亡人であるオリーヴ・ケリー。

1917年に公開されたフォード監督、ハリー・ケリー主演の『誉の名手』

この映画の中に、まったく同じ仕草をするカットがある。

これはハリー・ケリーが寂しさを表現する時にいつもとっていたポーズだそうだ。

40年を経ても恩義を忘れない監督・ジョン・フォード。

何と情の厚い人間なのだろうか・・・。

 

以下Wikiより転載

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『捜索者』(原題:The Searchers)は、1956年製作・公開のアメリカ映画。ジョン・フォード監督の西部劇映画であり、ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター 、ナタリー・ウッドが出演している。

概要
1954年に発表されたアラン・ルメイの同名小説が原作であり、南北戦争が終わって3年後に故郷に戻って来た男がコマンチ族によって兄夫婦が殺され、そして連れ去られた姪を救出するための旅を続ける姿を詩情豊かに描いている。フォードは本作について「家族の一員になることの出来なかった一匹狼の悲劇」と評している。

公開当時は興行は成功したとは言えず、批評も芳しくなく、失敗作とされて同年のアカデミー賞の候補にも選出されなかった。しかし、その後再評価の機運が高まり、現在ではフォード監督の西部劇「駅馬車」「荒野の決闘」を凌ぐ代表作であるのみならず、西部劇映画を代表する傑作として高く評価されている。1989年に創立されたアメリカ国立フィルム登録簿に登録された最初の映画中の1本に入り、2008年にアメリカ映画協会によって「最も偉大な西部劇映画第1位」に選出された[2]。

他作品への影響
インディアンへの人種的偏見を隠そうともせず、独善的な価値観に縛られ目標に邁進する主人公イーサン・エドワーズの強烈なキャラクターが、後に『タクシードライバー』のトラヴィス・ビックルらアンチヒーローたちの造形に強く影響したと言われる。これはポール・シュレーダーがこの「捜索者」からヒントを得て「タクシードライバー」の脚本を書いてトラヴィス・ビックルのキャラクターを造形し、なおかつ1979年には「捜索者」を下敷きに「ハードコアの夜」を監督している。


作中で雄大なモニュメント・バレーを写し撮ったフォードのカメラワークも高く評価されている。映画監督のデヴィッド・リーンは『アラビアのロレンス』を製作する前に、何度も『捜索者』を観て風景を撮影する技術を学んだという。


本作では、主演のジョン・ウェインが復讐に燃える執念のガンマンを悪役のような鬼気迫る迫力で演じており、その象徴として黒い帽子を被っている。これは、かつてウェインが1948年のハワード・ホークス監督の映画『赤い河』において、悪役のようなポジションを演じた事を反映したものである。


フランシス・フォード・コッポラ監督作品の『地獄の黙示録』は、ストーリーが本作のオマージュともいえる骨格を成している。


スティーヴン・スピルバーグは映画の撮影前や製作に行き詰まったときに、もの作りの原点に立ち戻るために必ず観る映画として、『七人の侍』や『素晴らしき哉、人生!』、『アラビアのロレンス』と共に本作品を挙げている。フォードの熱烈な信奉者として知られるセルジオ・レオーネも『ウエスタン』製作前に本作品を鑑賞、脚本執筆の参考にしたとされる。


バディ・ホリーのヒット曲「ザットル・ビー・ザ・デイ」(原題:That'll Be the Day)は、作中で繰り返されるイーサンの台詞からインスパイアされたものである。
映画史上最高のラストシーンの一つとして有名な室内からのドアの間口越しの構図は以後数々の作品に影響を与えている。近くは、フランス人のジャック・オーディアールによる『ゴールデン・リバー』にもその影響がみられる。


エピソード
映画の中では一切語られていないが、原作によると、実はマーサはかつてイーサンの恋人で、兄弟の関係は断絶していてそこに突然イーサンが現れたところからこの映画は始まっている。イーサンを迎えるマーサの親密な態度、イーサンのコートを愛おしそうになでるマーサが描かれ、一家が襲われた後にイーサンが戻ってきて叫んだのはアーロンの名前ではなくマーサの名前であった。


イーサン・エドワーズ役として会心の演技を見せたジョン・ウェインは、余程この役柄が思い出深かったのか、後に彼の末子にイーサンと名づけている。


ラストで戸口に立つジョン・ウェインが見せる左手を右ヒジにあてるポーズは、ハリー・ケリーがフォードの『誉の名手』(1917年)の作中で見せたものと同じであり、その視線の先にいるのはハリー夫人だったオリーブ・ケリーである。


ジョン・ウェインが1979年6月に死去した直後の淀川長治の「日曜洋画劇場」でウェイン追悼の映画として放送された時には、イーサンが去って行くこのラストカットで「ジョン・ウェインよ、永遠に」の字幕を黒くなった両端に入れて彼を偲んでいた。
追悼番組として「駅馬車」や「黄色いリボン」でなく「捜索者」を選んだことはこの当時すでにこの映画の評価が高まっていたことになる。公開時は失敗作と言われ、日曜洋画劇場が最初に放映した1968年には題名を「荒野の捜索者」と改題されてB級作品並みの扱いであった。

評価
「映画史上最高の作品ベストテン」(英国映画協会『Sight&Sound』誌発表)※10年毎に選出
1972年:「映画批評家が選ぶベストテン」第18位
1982年:「映画批評家が選ぶベストテン」第10位
1992年:「映画批評家が選ぶベストテン」第5位
2002年:「映画批評家が選ぶベストテン」第11位
2002年:「映画監督が選ぶベストテン」第24位
2012年:「映画批評家が選ぶベストテン」第7位
2012年:「映画監督が選ぶベストテン」第48位
「AFIアメリカ映画100年シリーズ」
1998年:「アメリカ映画ベスト100」第96位
2007年:「アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)」第12位
2008年:「10ジャンルのトップ10・西部劇部門」第1位[3]
2000年:「20世紀の映画リスト」(米『ヴィレッジ・ヴォイス』紙発表)第4位
2008年:「史上最高の映画100本」(仏『カイエ・デュ・シネマ』誌発表)第9位
2010年:「エッセンシャル100」(トロント国際映画祭発表)第41位
2013年:「オールタイムベスト100」(米『エンターテイメント・ウィークリー』誌発表)第12位