「生きものの記録」

★★★

1955年11月22日公開/モノクロスタンダード/103分/東宝製作配給/

製作    本木荘二郎 脚本    橋本忍、小國英雄、黒澤明 監督    黒澤明

撮影    中井朝一 音楽    早坂文雄 美術 村木与四郎

出演-三船敏郎・志村喬・千秋実・清水将夫・三好栄子・佐田豊・千石規子・根岸明美・東野英治郎・藤原鎌足・左卜全

 

「七人の侍」以来一年半振りの黒澤明の新作。

 

当時の社会状況を反映した問題作だが、今の時代に見ると錯誤感ありまくりで見ていてシンドい。

 

長男・佐田豊と、その嫁・千石規子の演出が面白い。また陽に焼けたメーキャップをした、広島弁丸出しの東野英治郎も可笑しい。ラストの階段のカット、降りていく志村喬と登っていく根岸明美の対比も素晴らしい。

 

それと村木与四郎の美術。裁判所や会社内の二階の窓外に、向いのビルのセットが建てられおり、ちゃんと動く人々が配置されている。なかな他の映画では見られない、新しい試みだ。

 

ただ医師・中村伸郎のセリフ、「彼を見ていると狂っているのは実は我々の方じゃないかと思えてくる」のロジックは、「白痴」のラスト、久我美子のセリフと全く同じ。また「七人の侍」のラスト、「勝ったのは農民だ」とも似通っており、テーマをセリフとして喋らせてしまうその手法は「言わずもがな」感が漂う。

 

以下Wikiより転載

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『生きものの記録』は、1955年に公開された日本映画である。監督は黒澤明。モノクロ、スタンダード、103分。米ソの核軍備競争やビキニ環礁での第五福竜丸被爆事件などで加熱した反核世相に触発されて、原水爆の恐怖を真正面から取り上げた社会派ドラマで、原爆の恐怖に取り付かれる老人を演じた三船敏郎は、当時35歳で60歳の老人を演じた。作曲家の早坂文雄の最後の映画音楽作でもある。

製作
本作の構想は、『七人の侍』の撮影中に黒澤明が友人の早坂文雄宅を訪れたときに、ビキニ環礁の水爆実験のニュースを聞いた早坂が「こう生命をおびやかされちゃ、本腰を入れて仕事は出来ないねえ」と言い出したことがきっかけとなった。当初は『死の灰』と名付けられたこの企画は、小國英雄と橋本忍との共同脚本で、1955年1月に静岡県今井浜の旅館「舞子園」に投宿して執筆作業を開始し、3月初旬に『生きものの記録』と改題した決定稿が完成した。

5月中旬に撮影準備に取りかかり、6月20日にリハーサルを開始したが、7月6日に黒澤がサナダムシのため入院し、2週間リハーサルを中断した。8月1日に東宝撮影所内のセットで撮影開始した。9月8日に出演者の根岸明美が自動車事故で頭部を切る怪我をし、約2週間ほど撮影中断した。10月11日には台風25号で工場のオープンセットがほぼ壊滅し、作り直すために再び撮影中断した。10月21日に撮影再開し、10月31日にラストシーンの太陽のショットの撮影でクランクアップした。

本作では、『七人の侍』で採用した、複数のカメラで同時に撮影する「マルチカム撮影法」を本格的に導入しており、3台のカメラを別々の角度から同時に撮影することで、俳優がカメラを意識せず自然な演技を引き出している。主人公の放火で焼け落ちた工場のセットは、東宝撮影所内の新築されたばかりの第8スタジオの前に組まれ、新築のスタジオの壁面を焼け跡に見立てて塗装したため、会社に怒られたという。また、都電大塚駅のセットは電車の先頭部分を含めて、本物そっくりに作られた。

撮影終了後の11月9日から12日までダビング作業を行った。音楽は早坂文雄が担当したが、撮影中の10月15日に結核で亡くなった。親友だった黒澤はそのショックで演出に力が出ず、黒澤自身も「力不足だった」と述べている。早坂はタイトルバックなどのスケッチを残しており、弟子の佐藤勝がそれを元に全体の音楽をまとめて完成させた。

評価
本作は興行的に失敗し、黒澤自身も「自身の映画の中で唯一赤字だった」と語っており、その理由について「日本人が現実を直視出来なかったからではないか」と分析している。第29回キネマ旬報ベスト・テンでは4位にランクされ、第9回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門に出品された。大島渚は鉄棒で頭を殴られたような衝撃を受けたとしており、徳川夢声は「この映画を撮ったんだから、君はもういつ死んでもいいよ」と激賞したという。佐藤忠男は「黒澤作品の中でも問題作」と述べている。

鈴木敏夫は東日本大震災後に本作を改めて見た解釈として、「以前にくらべて「受け取る印象がこうも違うのか」と思いましたし、すごくリアリティがあった。黒澤っていう人は面白いなと、つくづく思いましたね」「今観ると言いたいこともはっきりしているからすごくリアリティがあって。多くの人に、今観てほしい作品」「黒澤監督は、関東大震災を目の当たりにしているそうなんですね。たくさんの瓦礫と人の死が自分の記憶の底に残った、と著書に書いていて、そういう意味でも戦争や核の問題に対して敏感だったんでしょう。昔観たときは、『生きものの記録』はむしろ「喜劇映画かよ」っていう印象でしたが、震災を経ることによって、黒澤監督が作品に込めた考えが、やっと伝わってきたような気がしています」と述べている。

その他
題名についてクレジットには「丸岡明氏の好意による」とあるが、これは先に丸岡の同題の小説があり、丸岡がクレームを付けたためである。なお、丸岡の小説と本作とは内容的には何の関連性もなく、タイトルが同じというだけである。
当時衆議院議員であった中村梅吉が試写に来た際、黒澤に対して「原水爆の何が恐い、あんな物はへでもない。」と言ったと黒澤は語っている。それに対して黒澤は東宝に「(中村の発言を)新聞に出せ」と言ったが、東宝はそうしなかった。
ブラジル移民で成功した老人役の東野英治郎が広島弁を話す。