「浮雲」

★★★★

1955年1月15日公開/モノクロスタンダード/124分/東宝/

製作    藤本真澄 原作 林芙美子 脚本    水木洋子 

監督    成瀬巳喜男 撮影    玉井正夫 音楽    斎藤一郎 美術:中古智

出演-高峰秀子・森雅之・岡田茉莉子・山形勲・加東大介・中北千枝子・金子信雄・大川平八郎・千石規子・木匠マユリ

 

前作「残菊物語」より約7ヶ月後に公開された成瀬監督作。

成瀬作品の中では最高傑作とされている。

 

一言で言えば"究極の男女腐れ縁の映画"。

脚本を書いた水木洋子が、二人の別れられない理由について「身体の相性が良かったからに決まっているじゃない」といった類の発言をしているようだが、渋めの優男、森雅之に、心底惚れた高峰秀子の、殉愛の物語だろうか。

 

戦時中のベトナムで、技師の森とタイピストの高峰が恋に落ちる。終戦後、引き揚げてきても高峰はその日々が忘れられない。ダラダラと二人の関係は続いて行き、心中自殺するつもりだった伊香保温泉で、加東大介と岡田茉莉子の年の離れた夫婦に世話になる。

岡田の、当時22歳の美貌に圧倒させられる。ひと風呂浴びるついでに即、関係を持つ岡田と森の二人。人の良さそうな加東は、最後には岡田をタオルで絞め殺す事となる・・・。

 

さらにダラダラと二人の関係は続き、夜行列車を二本乗り継いで、本州最南端の鹿児島へと逃げ延びる。バカ珍・森に惚れてしまった高峰。愛するバカ珍ボが、体調崩した自分と一緒に島に渡るため、便を伸ばしてくれる事に、感激して嬉し涙を流す。やっとバカ珍ボが自分のものになった・・・。

 

そして熱帯雨林の屋久島へ。もはや虫の息の高峰は、すぐに逝く。森の移住先に「奥さん」として同行出来て、きっと幸せだったろう。

 

当時31歳の高峰秀子は、この年、監督で脚本家の松山善三と結婚している。
小津安二郎監督は、この映画を笠智衆と見て感動、5年前に「宗方姉妹」で一緒した高峰に、生涯たった一本の手紙を出している。
 

~「成瀬にとってもデコにとっても最高の仕事だろう」

「早く四十歳になれ、そして、俺の作品にも出ておくれ」とあった。

その一行の文章に、私は三度、心が震えるのをおぼえた。~
 

「小津安二郎・人と仕事」高峰秀子

小津は高峰が40歳になる前、この年の8年後に死去。

成瀬は小津のあと、さらに6年後に死去している。

 

以下Wikiより転載

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『浮雲』は、1955年公開の成瀬巳喜男監督による日本映画。

原作・林芙美子、脚本・水木洋子という不世出の作家2人の大作で、監督の成瀬と主演の高峰秀子にとっても生涯の代表作となった。なお、若き日の岡本喜八がチーフ助監督を務めており、撮影、美術、音楽などで「成瀬組」の名スタッフが勢揃いした作品でもある。小津安二郎は「俺にできないシャシンは溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だけだ」と語っている。
 

エピソード
当初主演を依頼された高峰は「こんな大恋愛映画は自分には出来ない」と考え、自分の拙さを伝えるために台本を全て読み上げたテープを成瀬らに送ったが、それが気合いの表れと受け取られ、ますます強く依頼される羽目になった。
ゆき子と富岡は何度も衝突しそのたびによりを戻すが、脚本を書いた水木洋子はその別れられない理由について「身体の相性が良かったからに決まっているじゃない」といった類の発言をしている。
仏印と屋久島の場面は現地に出向かず、伊豆でロケを行っている。なお、屋久島行きの船が出航する港の場面は、実際に鹿児島でロケをしている。
1980年代に吉永小百合と松田優作のダブル主演でリメイクが計画されたが、本作のファンであり、高峰を尊敬していた吉永が「私には演じられない」と断ったため実現しなかった。

評価
小津安二郎は「この間『浮雲』を見たが、いいね。大人の鑑賞に十分たえる。大変なもんだ。その少し前に『狂熱の孤独』ってフランス映画を見たんだが、問題じゃない。『浮雲』の成瀬のうまさーー長足の進歩をとげてるね。中篇的な監督から、ガカイのある大物になったという感じだ。そりゃ、二、三の欠点はある......それを入れても、今迄の日本映画の最高のレベルを行ってるよ。あれを見たんで今年の仕事が延びちゃった」と語っている。

受賞歴
1955年度キネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞、主演男優賞
1955年度ブルーリボン賞作品賞
第10回毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、録音賞、女優主演賞


ランキング
1959年:「日本映画60年を代表する最高作品ベストテン」(キネマ旬報社発表)第6位
1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネ旬発表)第4位
1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第4位
1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第5位
1995年:「オールタイムベストテン」(キネ旬発表)
「日本映画編」第3位 「世界映画編」第18位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第2位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第3位