近松物語

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1954年11月23日公開/モノクロスタンダード/102分/大映京都/

製作:永田雅一 企画:辻久一 原作:近松門左衛門

劇化:川口松太郎  脚本:依田義賢  監督:溝口健二 

撮影:宮川一夫  音楽:早坂文雄  美術:水谷浩

出演:長谷川一夫・香川京子・進藤英太郎・南田洋子・浪花千栄子・小沢栄太郎・田中春男・石黒達也・菅井一郎

 

前作「噂の女」から5ヶ月後に公開された溝口監督作。

この年、1954年(昭29)に溝口は「山椒大夫」「噂の女」「近松物語」と、三本もの監督作を連作している。56歳の油の乗り切った溝口。しかしその2年後には病に倒れる事となる・・・。

 

原作は元々実話を元にしている。天和3年(1683年)に京都で発生した姦通事件は、格式のある家に起こった不名誉な事件として、当時大きな話題となり多くの文芸作品が生まれた。

とりわけ著名なのが、井原西鶴『好色五人女』(1686年刊行)の巻三と、近松門左衛門の浄瑠璃『大経師昔暦』(1715年初演)の2本。

 

映画では、近松門左衛門作の人形浄瑠璃『大経師昔暦』を下敷きに、川口松太郎が『オール読物』に発表した小説「おさん茂兵衛」を原作としている。

ただ脚本を執筆した依田義賢によると、当初は川口の脚本で映画を製作する企画として進んでいたが、溝口が西鶴の要素をもっと取り入れるべきと難色を示したために川口が下り、依田と企画者の辻久一が脚本に取り組んだという。

 

また大映社長の永田雅一の強い要請で、スター嫌いだった溝口監督は渋々、大スター、長谷川一夫を初めて起用した映画となった。それまで溝口は「噂の女」でも「山椒大夫」でも大映のスターを嫌って、歌舞伎の方面から男優を連れてきていたが、どれも適役だっとは言い難かった。

 

上記写真は、「近松物語」の撮影準備にかかる前の監督と主役の初顔合わせのスナップ。二人とも視線を合わさず、この仕事を一緒にするのが嫌な思いが、顔立ちにも現れていると、当時の助監督、宮嶋八蔵氏は書いている。

 

リアリズム徹底追求の監督と、5歳から舞台に立った様式美の極限を極めた大スター。現場では何度も二人の確執があったらしいが、結果は、長谷川の起用は大成功ではなかったろうか。溝口の完全現実主義と、長谷川の品を失わない立ち振舞いがマッチして、一段上の芳醇な世界にまで到達しているように思える。そして凛とした若妻・香川京子、その奉公人である長谷川の不義密通の逃避行は、この二人の役者があって初めて成立した映画だと思った。

 

進藤英太郎が、若妻・香川が居るのに何で南田洋子を妾にしようとするのか。また家を飛び出した長谷川と香川が、奉公人たちが探し回っているのに、偶然出会ってしまう所に疑問を持ったが、その後のシーン、揺れる小舟の上で心中しようとする間際、長谷川が自らの恋慕を香川に伝えるシーンから、もう目が離せなかった。

助監督、宮嶋八蔵氏の述懐

「茂平がおさんと小舟の中で心中しようとする所、いまわの水際の恋情の打ち明けでおさんもそれに感動して愛の爆発となる。

芝居の動きが激しくなるから船も揺れるだろう、その揺れを助けようと水の中へ入ると、監督が腕を掴んで「いらん!」と言われました。

監督は俳優に「君ッ… 茂平ですよッ。形芝居は駄目です!反射して下さい。気持ちが爆発するんだよ!胸が突き当たるんだ!」 

NG、そして本番……二人は狂気のようにぶつかり抱き合ったまま舟底に転げる。OKとなる。当然舟は抱き合いと転倒の衝撃で強烈に揺れていました。(おさんの方が先に茂平の胸に飛び込んでいたのです。)」

 

このあとの山頂の茶屋のシーン。

長谷川は自ら逃げ出し、香川は挫いた足を引きずって必死にそれを追う。ついに長谷川は振り切れずに香川に抱きつく。そして香川の挫いた足首に口づけをする。チュバ、チュバと音を立てて・・・。

ここが素晴らしかった。溝口の徹底リアリズムと、長谷川の上品な様式美が合わさって、これほどのエロチシズムを画面から感じるカットは稀だ。

 

そしてラスト、二人は晒し者として引き回され、家の前を通る。

使用人が二人を見て、「お気の毒に…… どんなお気持ちやろ」
「不思議やなあ……お家さん(香川)のあんな明るいお顔を見たことがない。茂兵衛さん(長谷川)も、晴れ晴れした顔色で……これが死にゆく人やろうか・・・」

手を握り合いながら磔へと向かう、二人のこのシーンには涙した。

 

ラスト、男女の恋が成就して「ハッピーエンド」で終わる映画は、

溝口作品としては初めてではないだろうか?

 

 

上記写真や一部文章は以下のHPよりコピペしました。

以下Wikiより転載

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『近松物語』は、1954年(昭和29年)の日本映画。溝口健二監督による白黒作品。

概要
近松門左衛門作の人形浄瑠璃の演目『大経師昔暦』(だいきょうじ むかしごよみ、通称「おさん茂兵衛」)を下敷きにして川口松太郎が書いた戯曲『おさん茂兵衛』を映画化した作品である。脚本は、近松の『大経師昔暦』と、同一事件(おさん茂兵衛参照)を題材にした西鶴の『好色五人女』の「おさん茂右衛門」の二つを合体させたものである[1]。スター嫌いだった溝口健二監督は、大映社長の永田雅一の強い要請で長谷川一夫を起用した。

キネマ旬報ベストテン第5位にランクインされた。1999年にキネマ旬報社が発表した「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編」では第49位にランクインされた(同じ順位に『隠し砦の三悪人』『もののけ姫』など)。
 

1954年(昭和29年)「近松物語」   ブルーリボン賞 監督賞受賞