雨月物語

★★★★

1953年3月26日公開/モノクロスタンダード/96分/大映京都/

製作 永田雅一  原作 上田秋成  脚本 川口松太郎 依田義賢

監督  溝口健二   撮影 宮川一夫   音楽 早坂文雄  美術 伊藤熹朔

出演-森雅之・京マチ子・田中絹代・小沢栄太郎・水戸光子・毛利菊枝

 

前作「西鶴一代女」から約一年後に公開された溝口監督作品。

第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞している。

 

2年前の1951年9月、黒澤明の「羅生門」がヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞して以来、大映社長である永田雅一は海外受けを狙う芸術路線の大作映画の製作を開始する。その一作目がこの「雨月物語」であり、二作目の衣笠貞之助監督「地獄変」は、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞している。

 

「西鶴一代女」でのヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞という栄誉を背負った溝口は、並々ならぬ情熱でこの「雨月物語」の撮影に取り組んだ事だろうと想像できる。そして溝口は見事、映画史に残る傑作を産み出した。

 

宮川一夫撮影による、霧の中の幽玄な川下りのシーンから、この映画は現実離れした、妖しげな世界へと入っていく。途中で舟を降りた田中絹代は現実世界に留まるのも、だから必然だ。この映画は、現実とあの世との境目が、行ったり来たり境界線なく描いている所が素晴らしい。

 

そして主人公の森雅之は亡霊の京マチ子に出会い、惑わされ戯れる日々が続く。森にとっては、現実世界の田中も、あっちの世の京も、同じ人肌の温もりを持つ女なのだ。

 

やがて現実に戻った森は、荒廃した我が家に戻ってくる。家の中を探し回るその一瞬に、あっちの世に行った田中を認め喜ぶ。現実とあの世がひっくり返って融合してしまう。

 

そして亡霊の田中とともに一緒になって生きていくラスト。心乱れさせる京マチ子と、恋女房の田中絹代の魂は、根っ子で通底していると言うテーマが何より感動的である。

 

以下Wikiより転載

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『雨月物語』は、1953年(昭和28年)3月26日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は溝口健二、主演は森雅之、京マチ子。モノクロ、スタンダード、96分。

上田秋成の読本『雨月物語』の「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編に、モーパッサンの『勲章』を加えて、川口松太郎と依田義賢が脚色した。戦乱と欲望に翻弄される人々を、幽玄な映像美の中に描いている。海外でも映画史上の最高傑作のひとつとして高く評価されており、第13回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。

原作との対応
短編集形式の『雨月物語』からの2篇、「浅茅が宿」と「蛇性の婬」が原作である。「浅茅が宿」は、行商に出た男が数年ぶりに帰ると、我が家から微かに光が漏れており、出迎えてくれた妻と一夜を共に過ごすと辺りは荒れ地になっていて、実は妻は死んでいてその幽霊に迎えられていたという話。「蛇性の婬」は、男が豪邸に住む女に見初められるが、その女は実は物怪で…という話である。
これらは、兄の源十郎と宮木の物語に使われている。物語の大枠は「浅茅が宿」だが、源十郎が長く家に帰らなかった理由が、「蛇性の婬」の要素に差し替えられている。
ただし、多くの固有名詞や設定は異なる。主要人物の中では、妻の名「宮木」だけが原作どおりである。地理も異なるが、映画の舞台の近江国は、「浅茅が宿」の主人公が帰路で病に倒れる地として現れている。
本作は『雨月物語』の他に、モーパッサンの短編小説「勲章」を元にしているが、明確に「勲章」を基にしたストーリーや設定はないものの、「妻の貞操と引き換えに念願の勲章を手に入れる」というモチーフが、弟の藤兵衛と阿浜の物語と共通している。

評価
1953年にヴェネツィア国際映画祭に出品され、銀獅子賞を受賞した(金獅子賞は該当なしだったため実質的にはこの年の最優秀作となったのを機に、1954年にアメリカ、1959年にフランスで公開されるなど海外でも上映され、フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が発表した年間トップ10では1位に選ばれるなど賞賛された。この作品もほかの溝口作品と同様に、ジャン=リュック・ゴダールやジャック・リヴェットなどのヌーヴェルヴァーグの映画人に大きな影響を与えた。
その後も批評家や監督から高い評価を受けている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには27件のレビューがあり、批評家支持率は100%、平均点は9.45/100となっている。映画批評家のロジャー・イーバートはこの作品を「すべての映画の中でもっとも偉大な作品の一つ」と評しており、最高評価の星4つを与え、自身が選ぶ最高の映画のリストに加えている。マーティン・スコセッシはお気に入りの映画の1本にこの作品を選んでいる。BFIの映画雑誌『Sight & Sound』が10年毎に発表する史上最高の映画ベストテンでは1962年と1972年の2度のランキングでベストテンに選ばれた。また2012年のランキングでも批評家投票で50位、監督投票で67位に選ばれており、監督ではスコセッシ、マノエル・ド・オリヴェイラ、ミカ・カウリスマキらが投票した。2005年に『タイム』が発表した「史上最高の映画100本」にも選出されている。

第14回ヴェネツィア国際映画祭  銀獅子賞  受賞
イタリア批評家賞  受賞
第28回アカデミー賞  衣裳デザイン賞(白黒映画部門) 甲斐庄楠音 ノミネート
第27回キネマ旬報ベスト・テン    日本映画ベスト・テン 3位
毎日映画コンクール 美術賞    伊藤熹朔  受賞
録音賞 大谷巌  受賞
第4回文部省芸能選奨    宮川一夫  受賞

その他
この作品がヴェネツィア国際映画祭に出品されたのを機に溝口は1か月間滞欧した。同行した田中絹代によると、賞が取れなければ日本へ帰らずイタリアで映画の勉強をし直すと息巻くほど切望した受賞であった。