虎の尾を踏む男達
★★★★

1945年(昭20)9月製作/1952年(昭27)4月24日公開/

59分モノクロ・スタンダード/東宝 
企画 伊藤基彦 脚本 黒澤明  監督 黒澤明  
撮影 伊藤武夫 美術 久保一雄   音楽 服部正 
出演-大河内傳次郎・榎本健一・藤田進・志村喬・小杉義男・河野秋武・森雅之・久松保夫・仁科周芳(十代目岩井半四郎) 

約3年10ヶ月の太平洋戦争が終結した。日本人の死者は約310万人。この映画は終戦直後の昭和20年9月に製作されたが、GHQ検閲のために公開は7年後となった。
 

能の「安宅」と歌舞伎の「勧進帳」を元にした、黒澤初の時代劇。
役者たちが素晴らしい。大河内傳次郎の弁慶、藤田進の冨樫、強力の榎本健一たちの、それぞれの顔芸のアンサンブルがまったく素晴らしい。また悪人役の久松保夫も忘れ難い。白紙の勧進帳を覗こうとする表情はそのサスペンス色も含めて最高だ。

エノケンは黒澤後期の「乱」におけるピーターの役割と似ている。黒澤は「影武者」でも素人役者を公募していたが、他の畑違いの役者を好んで使うことが多い。この作品にもしエノケンがいなかったら考えると、その功績は偉大だ。七人の山伏とおどけ役のエノケン。「七人の侍」での三船の役どころとも似ている。

終戦の一ヶ月後に、セット三杯と撮影所の裏山ロケだけで、これだけの映画を撮ってしまう黒澤の、そして日本映画の底力にはまったく恐れ入る。

ラスト、義経の衣を被されたエノケンが起き上がる。
ホリゾントの朝焼けが美しい。そして六法を踏んで去っていくエノケン。
その後、空舞台に一陣の風が吹きすぎて「終」となる。まるで山中貞雄だ。

この呼吸が、黒澤明の天才性だろうと思われる。

ちなみに同じ年の12月にジョン・フォード監督「コレヒドール戦記」が公開されているが、この映画の撮影をフォードが見学していたらしい。多分フィリピンロケに向かう途中で日本に立ち寄ったと思われる。
黒澤とフォードは言葉をかわしたのだろうか・・・・。

以下Wikiより転載
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『虎の尾を踏む男達』は、1945年に製作され、1952年に公開された日本映画である。
監督は黒澤明、主演は大河内傅次郎と榎本健一。モノクロ、スタンダードサイズ、59分。
能の『安宅』とそれを下敷きにした歌舞伎『勧進帳』を元に、道化役である榎本演じる強力のエピソードを付け加えて、喜劇仕立てに脚色した作品である。黒澤初の時代劇映画であるが、終戦を挟んで撮影されたため、終戦直後のGHQの検閲によって1952年まで公開が認められなかった。

製作
1945年、黒澤明は『續姿三四郎』を撮り終えたあと、大河内傅次郎と榎本健一主演で桶狭間の戦いを描いた『どっこい!この槍』という作品を企画したが、戦時中のため馬が調達できず、急遽同じ主演俳優を起用して本作を作ることになった。この企画は『勧進帳』を基にして脚本をすぐに書ける上に、セットは1杯、ロケは撮影所裏の林で行うことができるため、敗戦直前の物資不足の中でも製作が可能だった。撮影中に終戦を迎えたため、進駐軍の兵士たちが撮影を見学しており、そのひとりにジョン・フォードがいたという。また、マイケル・パウエルもスタジオを訪れたという。

スタイル
本作では能の形式が意識的に取り入れられている。タイトルの『虎の尾を踏む男達』は、謡曲「安宅」の一節「虎の尾を踏み、毒蛇の口を逃れたる心地して、陸奥の国へぞ下りける」から取られており、劇中では謡曲の一節が現代的な音楽にアレンジされ、ヴォーカルフォア合唱団の合唱により歌われている。謡曲のほか、歌舞伎の下座音楽、祭囃子、神楽などの伝統音楽も使われている。そのため本作は和製ミュージカルに位置付けられることも多い。また、本作では『勧進帳』をパロディ化している部分もあり、本来ならば弁慶の見せ所である飛び六法は、道化役の榎本にやらせている。

公開
本作はGHQの検閲により、義経と弁慶の主従の忠義を描いていることから、GHQが日本政府に出した「反民主主義映画の除去」の覚書に沿った「反民主主義映画」の1本に選ばれ、上映許可が認められなかった。1952年3月3日、反民主主義映画に認定された映画のうち、CIEの通達による第一次解除映画の1本に含まれ、ようやく上映の禁が解かれた。同年4月24日に一般公開された。