妻よ薔薇のように
★★★★

1935年(昭和10)8月15日公開/74分/モノクロ・スタンダード/P.C.L
原作    中野実 脚色    成瀬巳喜男    監督    成瀬巳喜男
撮影    鈴木博 美術 久保一雄    音楽 伊藤昇
出演-千葉早智子、丸山定夫、伊藤智子、英百合子、大川平八郎、藤原釜足、細川ちか子

キネマ旬報1位を獲得した昭和10年の成瀬巳喜男監督作品。

世相的には昭和6年に満州事変勃発、昭和8年に日本は国際連盟脱退を宣言、翌年11年には2.26事件が起こっている。
映画界では山中貞雄「丹下左膳余話 百万両の壺」やヒッチコック「三十九夜」が製作されていた時代。

成瀬のトーキーになっての3作目。翌年に公開された小津初のトーキー「一人息子」と比べると、音声がとてもクリアーだ。松竹と東宝とは保存状態が異なるのだろうか?

当時は小津も年齢にそぐわない老成した作品が多いが、成瀬が30歳の時に撮ったこの映画もやはり老成した作品となっている。新派のために執筆された中野実の戯曲『二人妻』を原作として成瀬自身が脚色している。


内容は、別居して10年以上になる父を、娘が訪ねて連れ戻そうとする。しかし父は、「母さんは立派すぎるんだよ、その立派過ぎるのが俺にはやりきれない」と嘆き、再び母を捨てて愛人のもとに去っていく、と言うストーリー。

主人公の娘を演じるのは前作「女優と詩人」に続いての千葉早智子。

父親役は丸山定夫。新派の役者だったようだがいわゆる「臭さ」はない。のちの広島の原爆投下で被爆して死亡。存命だったら良い役者になっていた気がする。

母を演ずるのは伊藤智子。俳句に凝っており家庭的と言うより有閑マダム風。

父の愛人役は英百合子。優しく献身的に父を支える。娘はその姿を見て、自分の母よりこの人の方が父に相応しいと考えを変える。また娘の婚約者に大川平八郎、叔父に藤原釜足と二人とも適役。この映画は配役が全て適材適所で、それが成功の一因になっていると思う。余談だが藤原鎌足は翌年に女優の沢村貞子と結婚している。

成瀬と言うと美術セットに凝るのが有名だが、この作品の父の住む家屋も、道路から一段下った所に建っており、ちょっと普通と違う。その特異な設置が内容に関係してくる訳ではないのだが・・・。またこの映画は意図的に、画面転換の際に音声ズラシをしている。音声が次のシーンの頭まで故意に引き伸ばすカット繋ぎが何箇所かあった。小津もそうだが成瀬も若い時分はいろいろと技工テクニックを試していたのだろう。

題名の「妻よ薔薇のように」は、
妻は薔薇のように美しく・・・なのか、薔薇のように美しい妻にはトゲがある、という意味なのか。


以下Wikiより転載
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『妻よ薔薇のやうに』は、1935年に日本で公開された日本映画。トーキー。

概要
成瀬巳喜男監督による、新生新派のために執筆された中野実の戯曲『二人妻』の映画化作品。
旧来の新派の台本では、独特の登場人物像によりストーリーが固定されがちとなるところを、監督の演出により「新派臭」を取り除いたことなどが評価された。第12回(1935年度)キネマ旬報ベスト・テン日本映画ベスト・テン第1位。

1937年にはニューヨークにてプレミア上映が行われ、アメリカ合衆国で初めて商業的に公開された日本映画となった。
英題として『Wife! Be Like a Rose!』あるいは主人公の名前をとった『Kimiko』が使われた。