人情紙風船
★★★★

1937年(昭12)8月25日公開/P.C.L映画製作所/86分/モノクロ/スタンダード 
原作    河竹黙阿弥『梅雨小袖昔八丈』    脚本    三村伸太郎     監督    山中貞雄
撮影    三村明  音楽    太田忠     製作    武山政信
出演-河原崎長一郎、中村翫右衛門、中村鶴蔵、山岸しづ江、霧立のぼる、市川莚司(加東大介)、山崎進蔵(河野秋武)


前年1936年4月に公開された「河内山宗俊」以降、山中貞雄は「海鳴り街道」(1936)、「森の石松」(1937)を監督。そして前進座との提携作品の三本目となるこの「人情紙風船」を監督。封切り当日に赤紙が届き中国に出征、翌年の1938年9月17日に河南省で戦病死した。

享年28。

「河内山宗俊」と同じくこの映画もとても暗い。悲劇で救いがない。内容については提携している前進座の意向があったのではないかと思う。
 

前進座は歌舞伎の門閥制度から独立を目指し松竹と袂を分かって1931年に設立された歌舞伎劇団。この映画の主演である、四代目河原崎長一郎が幹事長となり、集団住宅を東京・吉祥寺に建設。創造(稽古)と生活(住居と田畑・養鶏による自給自足)を統合した理想の場とした。その後、1949年には座員71名が日本共産党に集団入党、訪中公演も行っている。

この映画も「河内山宗俊」も、前進座の掲げるスローガンと同じく、貧しくも美しく暮らす市井の人々の誠意や勇気を描いている。
「河内山宗俊」は汚れを知らない少女を守るために、命を捧げていく男たちを描いていたが、この「人情紙風船」はその悲劇性が詩的にまで高められていると感じた。

頭のタイトルバックとエンディングのみに音楽が流れるのみで、劇中には一切音楽が無い。叙情的な方向になる音楽を排し、リアリズムに徹している。


映画は、夜に降りしきる冷たい雨降りの情景から始まり、同じポジションでの日中の雨上がりの風景となり始まっていく。このプロローグがとても詩的だ。

長屋での首吊り事件の顛末から住民の紹介、主人公である浪人の河原崎とその妻、やくざ者との諍いが絶えない髪結いの中村が描かれていく。
河原崎は、痛々しいほどの低姿勢で旧知の家老に就職を頼むが、いつも曖昧な回答しかもらえない。ヤクザに痛めつけられてもその低姿勢は変わらず懇願を続ける。

 

中村は密かに賭場を開いてやくざ者たちに痛めつけられる。逃げ回っている中村がヤクザに見つかった所で、ゆっくりフェードアウトしてそのシークエンスは終わってしまう。肝心なところを敢えて排除していく構成。この淡々とした突き放し方が、詩的と言うか無常観と言うか、なんとも言えないリズムを生みだしている。

もし山中が戦病死しなかったら、いったいどんな映画を創造したのだろうか。

一人命を無情に奪う「戦争」をこれほど憎んだことはない。

以下Wikiより転載
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『人情紙風船』は、1937年(昭和12年)に公開された山中貞雄監督の日本映画。
日中戦争で戦病死した山中の遺作である。

略歴・概要
フィルムがまとまった形で現存する山中貞雄監督作品の3作のうちの一つ。
河竹黙阿弥作の歌舞伎『梅雨小袖昔八丈』(通称:『髪結新三』)を原作とし、山中の盟友である三村伸太郎がシナリオを執筆した。『街の入墨者』『河内山宗俊』に次いで前進座と三度目のコンビを組み、一座の花形である河原崎長十郎と中村翫右衛門が主演し、ほか多くの座員が出演した。また、当時前進座に所属していた加東大介が市川莚司名義で、河野秋武が山崎進蔵名義で出演している。

貧乏長屋に暮らす人々の日常と悲哀を描き、山中や稲垣浩らが参加した監督・脚本家集団「鳴滝組」が作っていった「髷をつけた現代劇」(「時代劇の小市民映画」とも)という、時代劇映画の一つのジャンルの中で最も傑作と言われる作品である。1937年度のキネマ旬報ベストテンで第7位にランクインした。

1937年(昭和12年)8月25日、封切り当日に山中に赤紙が届き、平安神宮で壮行会が行われ、神戸港から中国に出征した。山中は戦中、手記に「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」と書き遺している。山中は1938年(昭和13年)9月17日に河南省で戦病死した。

1979年:「日本公開外国映画ベストテン(キネ旬戦後復刊800号記念)」(キネ旬発表)第4位
1989年:「日本映画史上ベストテン(キネ旬戦後復刊1000号記念)」(キネ旬発表)第13位
1989年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第10位
1995年:「オールタイムベストテン・日本映画編」(キネ旬発表)第4位
1999年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」(キネ旬発表)第18位
2009年:「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊90周年記念)」(キネ旬発表)第23位

作品のパブリックドメイン化
公開年、監督没年のいずれを基点としても50年以上が経過しており、日本の著作権法(2013年現在)上ではパブリックドメイン化しており、日本国内では自由に複製、上映、改変、翻案などが可能となっている。