1929年のParry Bechte提案によるロングネック化のプロジェクト

奇しくも世界大恐慌が始まった時でした。

そして
Martin社とDITSON社との“OEM”製造の取り引き開始が1916年
それから14年の間に様々なStyleが試される為される事になるのです。

ドレッドノート・モデルの原型は“ディットソン”の支配人であるハリー・L・ハントの意向でした。

今までには無い低音が豊かに響き、ボーカルの伴奏に適したギターを販売したいとの事でした。

そこで、フランク・ヘンリー・マーティンは今までに無いオリジナル・ボディを設計し、ウエスト・シェイプが浅く、厚いボディを与え重厚な低音域の響きが出るように工夫を凝らしのです。

そのギターが下の写真

左から Ditson 1921 Style11・1916 Style22・1920 Style33
(※画像はvintagemartin.comより)

当時すでに形の整っていた“0”や“00”そして“000”とは全くスタイルの異なるギターでした。

番号で素材の種類が変わり数字の数でサイズを決めていた様です。

当時はパーラーギター(※1)が流行っており小ぶりのギターが好まれていました。
(※1数人でティーテーブルを囲み楽しむ為に作られた小ぶりのギター)

今までにない少し奇抜?なデザインはすぐに受け入れられることは無かったのですが、そのスタイルから得られる独特の低音は唄とのバランスも良く評判を得る事になり、ハーリー・L・ハント氏はこのスタイルから更に大きい音が出る様に大型のギターの製作の依頼をする事になります。

それが Style111というモデルになります。

そうです。
近年(2007年)スペシャルモデルで復刻した事で記憶にある方は多いと思います。
Ditson Style111

1920年の後半にこのStyle111は完成を見るのですが・・・。
奇しくも1929年の“世界大恐慌”の煽りを受けて翌年の1930年に“DITSON社”は倒産してしまうのです。

そしてその頃
Martin社は同時に14フレット製作のプロジェクトに着手して行きます。