--(「復帰」の意義がどこにも見当たらないという信じがたい詐欺ペテン師の本土)--

こんにちは、のほせんです。
 
春から初夏にうつり変わろうとする時期は、この頃のお天気のように

なんだか躁と抑うつが日替わりにあらわれやすい。

こんなときはむりにでも軽い運動でリフレッシュしてみてください。

自律神経が良いバランスを回復してくれます。

ー さて、この5月15日は沖縄の「本土復帰」43年目にあたるという。

沖縄県人にとって、「復帰」の意義がどこにも見当たらないという信じがたい詐欺ペテンが、

「本土」の政権の得意の権謀術数によるものであることをあらためて思い知らされる「記念日」。・・

その場しのぎの舌先三寸が唯一の能力であるエライ人たちが政権を担って今日まで選ばれてきたのは、

一つには、本土のだれもが、ほんとうはうしろめたい実感さえ乏しいまま、

「沖縄という娘」が身売りされて親家族の犠牲になってきたことにある。

ゆとりのできた親元からは、能天気にオキナワ観光ツアーにでかけるようにさえなった。

ようするに、エライ人たちも、その連中を選んできたわれわれも、とんでもない「人でなし」なわけだ。

こんな分かりやすい言葉にも、近頃はエライ人たち同様にどうにも聞く耳をもたない人たちが目に立つ。

この人たちの脳の回路が、もはや理性・認識・自省をつかさどる左脳には流通せず、

尊大な態度が染みついた、
好き嫌いだけの右脳にのみ従属して快感を欲求する回路に固着しているのだ。

当然だが、感情脳に従属する者は快感欲求のためには何でもする。

エライ人でも、保身のためにはもちろん何でもする。 

戦後一貫して国民も、国民の資産もまとめて売り渡してきたのがその証拠だ。・・・

そして、この虚妄の政権にどんどんすり寄っている新聞マスメディアもまた、

激減する一方の部数維持のために、青筋立てて 執拗に他社(目くそ鼻くそだが)追い落としの

扇情的なB級記事を書きつづけて、すでに破廉恥を通り越して無惨な死に体をさらしている。

エライ人たちの日米安全保障法制関連法案閣議決定に追従するために、

先の戦争に「うつくしく勇ましく散っていった」特攻隊賛美の特集記事を連載してきたS紙。

記者たちは本当の戦争、戦場の兵士のことを何も知ろうともしないで、

戦争扇動者の保身組系のプロパガンダにのって、トッコータイだけを美化して国民を扇情している。 

今の国民もまた、これに感涙するというのか?

-- ラジオで桑原征平氏が 「これが戦争だ! 親父の陣中日記」を朗読していた。

明けても暮れても、山越えの銃撃戦により、戦友はバタバタと倒れてゆく中、

銃弾が頭上をかすめる中、死力を尽くして奮戦し、かろうじて生き残れたものの、

戦後帰還して以来、家族に鉄拳を振るうばかりの「鬼のような親父」に豹変したのは

過酷きわまる戦闘によって、外傷性強迫性神経症におちいったためではないだろうか?

それにしても、かれの親父のような兵士や戦友たちが「ヒーロー」としてもてはやされたことはない。

帰還すれば、陰で 「生き恥さらして敗残兵が」 などとそしられる始末。・・

-- 戦争の最前線では、
明治以来日本帝国陸軍の戦場での各軍司令官の命令一下、各師団司令部に伝達される。

その内容が「全滅を期して攻撃を実行せよ」とあれば、果敢に吶喊することだけが使命であった。

-- 「ただいま前進すれば全滅のほかありません」(第二連隊長)。

「わかっとる。・・・軍司令部の命令である。全滅を期して攻撃を実行せよという命令である。ご苦労様です。」(旅団長)

「わかりました。 閣下、お世話になりました。 お別れいたします。」・・

戦場での軍人、兵卒の身の処し方をよくあらわしている。

-- 戦線入り乱れ随所に白兵戦が起こり、全軍悪戦苦闘の二昼夜の後、

歩兵連隊長が陣頭に立ち、弾丸尽きて白兵戦となり、ついに軍刀も折れ、力尽きて、

ついに両軍兵士の重なり合った屍の上に戦死を遂げたのである。・・

-- 「戦線を巡って感じますことは、このような戦闘は、命令や督励ではけっしてできないということです。

教えられなくても、兵士の一人一人が負けるわけにはいかないと銃弾の下を突撃してゆく。

この勝利は天佑でもなく、陛下の御稜威でもございません。」・・・

この戦場の光景が特別なことではなく、
こうしたことが戦場と兵士たちの生々しい姿だったとみとめられる。

ようするに特攻隊だけが特別に美化される謂われはなく、

どの兵士たちも皆、死闘を余儀なくされたということが、認識されてしかるべきであろう。

そして当時の、未来の兵士となる思春期の若者の、
一人一人がすでに自らの死を先取りして抱え込んでいたことを忘れられてしまっている。・・

-- つぎに沖縄・辺野古の基地化についてのおはなしを。

沖縄県民は前知事の仲井真氏が本土の政権側に寝返ったことに同意せず、

昨年11月に「辺野古基地をつくらせない」と公約した翁長氏を当選させました。

仲井真氏のとつぜんの豹変寝返りの動機が政権からの陰湿な恫喝によらないならば、

どうしてあんなに醜悪で憐れな眼つきに変わりはてたのか、おしえていただきたいものだ。

欺瞞のカタマリのような現政権が「オキナワのみなさま」にまさかの詭弁を弄しつづけても、すかさず

御用マスメディアがヨイショし、沖縄の反基地闘争を紙面から排除しつづけるために、

きょうまで 「粛々と」見かけ上はつつがなく来れたわけだが、 ここにきて

半年先き、一年先きの、世界が、現実社会がドル覇権の劇的な変化に見舞われる兆しの中で、

無能の従属では、国家的規模の破綻を免れ難いというところまできていることは隠しようがない。

世界の変動に目をつぶり、「欺瞞的でしか存在しえない、詭弁を弄するしかない」というあり様とは、

現実社会のなかで主体を喪失して依存し、現実解離の空論に固執するという意味で、

残念ながら、つねに分裂症候的な精神の破綻をものがたっているというほかない。・・

参照=「沖縄米軍と日本の大衆像」(2009年12月ブログ記事)
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--(戦艦武蔵水兵の証言と戦争責任を国民におしつけた戦争扇動者の保身)--

こんにちは、のほせんです。
 
このあたりは桜も散り、常盤まんさくがあざやかに紅く染まってきました。

このまえの朝、めずらしく ホーケキョとひびき渡ったけれど姿は見えず。

さて、みなさんのところではこの春、聞かれたでしょうか?

春のあやしい気色が、ひとびとの精神に潜む過去の混沌の淵をかきまわすとは、

古来からいわれているとおりです。

人間とは近代医学が薬物でコントロールできるほど単純ではない。

ひとが、じぶんに慣れ親しんだ生き方を手離そうとしないように、

精神の迷宮に立ちつくすひとは、出口をもとめて、助けをよぶのだが、

しかし、やっとのことで出口までくると「抵抗」がおこり、足がうごかない。

この背反する心の呪縛からなかなか解き放たれがたく、その多くはまたしても

「過去のあのときのやり直し」や「幻聴をきく」という慣れ親しんだ解離妄想に回帰してゆく。

病を克服してあらたに生きてゆくことには、

病の中の不安・苦悩とはまた別な不安緊張によるためらいがあるのもむりのないことだが。・・・

-- 最近になって、フィリピン・シブヤン海底で戦艦武蔵が発見されたと報道されている。

昭和19年10月24日夕7時35分に米国空母艦載機の返り討ちにあって撃沈している。

すでに6月にはマリアナ沖海戦で空母機動部隊が壊滅していた帝国日本では東条内閣が総辞職。

敗色濃厚のなかで、最後の一矢を報わんと大艦巨砲主義の妄想が生んだ戦艦大和と武蔵は、

「捷1号作戦」に出撃するも、米軍機動部隊の波状集中攻撃に武蔵はあえなく撃沈。

大和はかろうじて転戦後に生還するも、翌年4月7日に撃沈。・・

ー「熾烈な戦闘だった。敵機の波状攻撃と烈しい雷爆撃、閃光と砲煙と沸騰する水柱、
傾いた艦橋から雨だれのようにたれていた血と死傷者の散乱。・・

傾いた後甲板から避難したものの2,3分もたたないうちに、武蔵は爆発をおこして沈んでいったが、おれはその渦にまきもまれ、海中に引きずりこまれてしまった。

それから武蔵が二度目の爆発をおこした水圧で、ふたたび上に吹きあげられた。
爆発の衝撃で体じゅうに痛みがさしこんでいたし、下腹はのみこんだ海水ではちきれそうにふくらんでいたし、
それはいくら吐こうと思っても、ねばねばした重油が咽喉にからんでどうしても吐き出せなかった。

はげしい悪寒と窒息感・・。はやく苦しみから楽になろうと思って、むりに沈んでみたり、
舌を噛み切ろうとした。何度もそれを繰りかえした。だが死にきれなかった。

そのうちに半ば朦朧状態になり、最後に味方の駆逐艦のランチに救助されたときには、ほとんど意識がなかった。
いっしょの配置にいた同年兵は一人残らず死んでしまった。」(海軍二等兵曹・渡辺清氏)

16歳から19歳にかけての戦争体験を克明に記した海軍志願兵、渡辺清氏。

その憤怒の遺書たる「戦艦武蔵の最期」「砕かれた神」から抜粋させていただく。

ー「 国のため、同胞のため、そして誰よりも天皇陛下のために死ぬこと、
それを兵士の無上の名誉だと信じ、引きしぼるようにその一点に自分のすべてを賭けていた。」

ー「 天皇陛下が敵の手にかかるようなことはまずないだろう。
縄をうたれた天皇陛下なぞ、ありえないことだ。 だいいち、それまで
天皇陛下がおめおめと生きておられるはずがない。 そういうことになれば、
そのまえに潔く自決の道を選ぶだろう。 立派に自決することによって、
なんびとも侵し難い帝王の帝王たる尊厳をお示しになるだろう。
実は、おれは降伏詔書を発布された直後に天皇陛下は自決するのではないかと思った。
敗北の責任をとる手段といえば、さしずめそれ以外にない。
開戦の責任者である以上、そうするのがむしろ当然だと考えたのである。」

ー「 この村では戦死者が非常に多い。おれの部落だけでも十一人もいる。
戸数はわずか十九軒。」

ー「(敗戦の詔勅に)これで助かったという思いはみじんもなく、瞬間「死におくれた」という取り返しのつかない無念さだけがきりこむように、胸に打ってあふれた。」

ー「 東条英機大将が自殺をはかり未遂。なんでも戦犯として逮捕される直前にピストルを心臓に射ち込んだが、急所を外れてしまって死にきれず、アメリカ軍の病院に収容されたという。・・

それにしてもなんという醜態だろう。人の生死についてことさらなことは慎むべきだと思っているが、
余人ならいざ知らず、東条といえば開戦時の首相だった人ではないか。
陸軍大将が、商売道具のピストルを射ちそこなって、敵の縄目にかかる。これでは喜劇にもなるまい。」

ー「 天皇がマッカーサーを訪問。 そのときの写真が大きく出ている。
二人で仲よくカメラにおさまったりして、恬として恥ずるところもなさそうだ。
敵の前にさながら犬のように頭をたれてしまったのだ。それを思うと無念でならない。」

ー「 新聞を読んで感じたことだが、この頃の新聞、ラジオの豹変ぶりは実にひどい。
ついせんだってまでは、軍部の片棒をかついで「聖戦完遂」だの「神州不滅」だのと公言していたくせに、

降伏したとたんに「 戦争ははじめから軍閥と財閥と官僚がぐるになって仕組んだもので、聖戦どころか正義にもとる侵略戦争であった」とさかんに書いたり放送したりしている。

天皇の責任を追及すれば自分たちも泥をかぶらなければならない。それをなによりも怖れているのかもしれない。
二枚舌、舞文曲筆、無責任にもほどがある。
「 新聞で本当なのは死亡広告だけだ!」といった人がいたが、そのとおりだ。」

ー「 今度の敗戦にたいして、「一億総懺悔」ということがよく言われているが、敗戦の懺悔というなら、
天皇をはじめ戦争を起こした直接の責任者や指導者たちが国民に向かって懺悔するのが本当だろう。
それをウヤムヤにしておいて、敗戦の責任を一億みんなのせいにしてしまうのは、あまりに卑劣だとおれは思う。」

ー「 新聞に宮中「歌御会」の題が決まったと出ている。どうせ閑人の道楽ごとだろうが、それにしても
国民のほとんどが食うや食わずのこの混乱期に、そしてまだ戦争の責任もとっていないのに、
よくそんなのんきなことをいけしゃあしゃあと言っていられるものだ。」

ー「 天皇がきのう靖国神社に参拝したという。天皇はいったいどんな気持ちで靖国の社前に立ったのか。
戦死者の霊魂はどんな気持ちで天皇を社前に迎えたのだろうか。
天皇をまのあたりにしてこぞって呪いの声をあげたのだろうか。」

ー「 司令部の発表によると、皇室の財産は、宝物品を別にして十五億九千万円(現在価約2,3兆円か)もあるのだという。
天皇はそんなことにはまったく無縁な超越した存在だと思っていた。
まさかこんな財産が天から降ってきたわけでもあるまい。 これを見ただけでも
天皇が金持ちの中心的な存在として、金持ちからあがめられていたことがよくわかる。
こういうふうにつぎつぎに天皇の正体があばかれてくると、ただひたすら天皇に帰一しようとしていた自分がますますやりきれなくなる。」

ー「 原爆による広島の被害が新聞にくわしく出ている。そしてこの爆弾を落としたのはアメリカである。
にもかかわらず、戦後の日本のアメリカにたいするなびき方はどうだろう。
これだけひどい目にあわされていながらまるで何事も無かったかのようにご機嫌とりにきゅうきゅうとしている。

これがついせんだってまで「世界の一等国」だの「東亜の盟主」だのとふん反りかえっていたのだからあきれる
世界の国々はおそらく、こんな日本の無節操な豹変ぶりに眉をひそめているだろう。」

ー「 自分だけはこの体を「清浄無垢」のまま天皇のため祖国のために捧げようとおもっていた。
いったん捧げたからには、女ごとでそれを汚してはならない。身も心もきれいなままで死にたいと思っていた。

少なくともおれの分隊の同年兵の中には女を買った者は一人もいなかった。
一人前に大人ぶったことを言っていても痛々しいほど潔癖だった。
そしてみんなきれいな体のままで死んでいったのだ。」・・・・・
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こんにちは、のほせんです。

まだ幼木の桃の蕾がふくらんでそろそろ開花しそうな様子です。

去年は花後に葉が火ぶくれの病気になり、可愛そうなことになりました。

この一年を雨にも負けず風にも負けず懸命に立ちつづけてきたことに感銘すらおぼえます。

人の子もまた
それぞれが懸命に葛藤しつつ自我たらしめて生きていると思うと愛おしいかぎりです。

みなさんは、いかがおすごしでしょうか?

さて近ごろ、
病理的な殺人事件が相ついで報道されています。

今回はこのことについて心理カウンセラーの立場からお話してみたいとおもいます。

いちばん直近の事件をみていくと、

淡路島での近隣住民五人を刺殺したという事件が報道されています。

容疑者の男性H(40歳)は、

県警によると、2013年10月まで明石市の精神科病院に入院しており、「妄想性障害」と診断されていたこと。

退院後、父親と再び同居を始めたとみられるが、事件を起こす直前まで

ツイッターやフェイスブックに、近隣住民や地域の病院の院長、警察官、市職員らを一方的に中傷、

意味不明な「攻撃」を繰り返していたといわれている。 また

容疑者Hはこの地区で幼少期を過ごしたが、小学生の頃は「ふつうの男の子だった」と証言されている。

報道によれば、「中学時代には休みがちになり、地区外の高校に進学。10代で父親と別居。

父親も一時同地区を離れていたが、10年ほど前に高齢の祖母の面倒を見るため実家に戻り、地域の老人会の活動などにも積極的に参加していた。」とある。・・

これらの情報からでも、Hが
思春期のはじめに心的な不安におちいって以来、

しだいに引きこもりによる現実乖離の被害妄想化を強化・肥大化させていったために

家族や周囲に精神科に入院させられたことがみとめられます。

精神科では「妄想性障害」という診断をもとに、おそらくクスリ漬けがおこなわれたために

「一日中、どんよりとして何をする気もおこらない」(精神科の入院患者の話より)処置を受けた結果、

本来の「病気の治癒」による退院ではなく、

ただ「おとなしくなったから」退院させられたことがうかがえよう。

他の病気とちがって、患部を切除したり、クスリを飲めばそのうちに治るというものではない。

「心的な病理が生理的メカニズムに還元されえない」ことを正しく認識されないゆえに、

いつまでたっても治癒しない患者が、

どこまでもクスリ漬けにされつづける情況が変わらない。

-- 「生理としての身体が存在しなければ、あらゆる心的現象は存在しえない、

このことは、いうまでもなく “自然 ” としての人間の本質に根ざしている。

それにもかかわらず心的現象は、生理的現象に還元しうるか?

もし量子生物学の発展が、生理的なメカニズムをすべて微視的にとらえうるようになったとき、

心的現象は生理的現象によって了解可能となるか?

もちろんこれに対する答えは、 “ 否 ” である。・・

たとえば “ 性的 ” な欲求とか、についての意識は、

生物体としての人間の生理機構に還元しうる心的な領域である。

それゆえこのような心的な領域では、自己自身または自己と他者との一対一の関係しか成り立たない。

ところが、世界についての認識とか芸術についての情動とかは、生理的な機構に還元されず、

自己自身に対しても外的現実に対しても幻想性(媒介的な心的領域)としてしか関係をもつことができない。・・

脳生理学者や神経生理学者のうちには、

心的な領域の時間性が、身体の神経伝達の速さの時間性のちがいであり、

知覚現象の空間性が感官の外界からうけとる神経の受容性と

脳中枢における対応する個所の翻案作業の結果であるかのように考えたがる傾向も存在する。

しかし、それはまったく誤謬である。 なぜならば、

心的な領域は、生理機構への還元が不可能な領域だからこそ、

はじめて人間的に存在する心的領域とよびうるからである。」 --(「心的現象論序説」吉本隆明著 一部略)

ことほど左様にして、脳生理学が幅を利かす精神医学界は

ついに「治癒」に向き合うすべをみずから捨ててしまっているのであります。

ならばつぎつぎと生みだされてくる心的病理のひとはいったいどうなるのか?・・・

わたしたちは世界に屈指の、吉本隆明の研鑽の賜物を土台にして、

個々人の病理に向き合い、かつ時代の先鋭的な病理を察知してゆくしかない。・・・


-- そのすこし前にも容疑者が女子大生と女子高生であった殺人事件がそれぞれ報道されています。

・報道によると、
名古屋市の77歳女性殺害事件で、容疑者の女子大学生A子(19)は、中学生のころから“毒マニア”だったという。

 殺害現場のA子の自宅からは、毒性の強い劇薬タリウムが押収されている。

「A子は中学生時代から毒キノコや化学薬品について熱心に調べるほどの“毒マニア”だったそうです。
飼っていたハムスターに自作の薬品をかける“実験”も行っていた。
はさみやカッターを常に持ち歩き、『猫の中身を見てみたい』と友人に漏らしていたといいます」(捜査事情通)

そしてついに最初の事件が起きる。 毒を使った同級生失明障害事件である。
宮城県内の私立高に進学したA子は「同級生だった男子生徒に毒を盛った」と、逮捕後に供述しているという。

・また、もう一人の「佐世保女子高生殺害解剖事件」の容疑者女子高生Aは、

児童期からヒステリー症状をみせていたようだ。
6年生の時に給食の食器の中に漂白剤や洗剤を数回にわたって試したことが確認されている。
このときに学校カウンセリングを重ねて受けている。
しかし中学生になると、「猫を解剖するうちに、人を殺したいと思うようになり、がまんできなくなった」と証言。
中学卒業直後に、父親の就寝中にを頭部を殴打し頭蓋骨陥没の重傷を負わす。
面談した高校の職員には「人を殺してみたかったので、父親でなくてもよかった。あなたでもいい」と告白。
以後もカウンセラーや教師の面談は継続して行われていたが。・・
父が女性Bさんと再婚。母親が死去して数ヶ月の出来事。
この二月あとに、いちばん仲良しの一人だった同級生の殺害を実行する。
「典型的なサイコパス、衝動を抑えきれない快楽殺人。」と報道される。 --

容疑者Aが「誰でもよかった」といったものの、「仲良しの一人」をえらんだことは、

人と密着することでしか「愛着を表現」(殺人をおこなうこと)できなかった、

密着の病を端的にしめしている。

また動物や人を傷つけたいという願望が、

もともと抱え込んでいるフェティシズムから出発しているとおもわれるが、それが

サイコパスに成長するまでには、多様な社会性との葛藤の負の勝利が必要となる。

負の勝利とは、
父母との過剰な病理的密着からかかえられてきた社会性の葛藤の欠如によるまったくの孤立を意味し、

みずからの嗜好癖をよしとして疑うことなく、病理を培養肥大化し、

殺人衝動という強迫神経症に自身をゆだねて省みる精神も見当たらない

壮絶な孤立とみなすほかないだろう。・・・

現代日本が、かかえこんだ心的な病理は

社会性のタガが外れた日本社会の終末さえ暗示しているとおもえるほどである。

わたしたちは目新しいツールをつぎつぎと与えられたために、

ケータイネット病を病み、無自覚に肥大させてコントロール不能に、 また一方では

「原発推進と防災日本を宣言し、TPP推進と地方創生を謳う」 とまあ、

分裂症的に背反する言葉を平然とあらわしているいちばんエライ人をいただいて、喜んでいる。

新たな時代病をかかえて、

この国は覚醒しないまま、 そろって奈落のほうへ流れ下ろうとしている。・・・
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こんにちは、のほせんです。

日替わりの天候ですが、だんだんと春が近くまで来ているような気配を感じますが、

みなさん、いかがおすごしでしょうか?

時節柄、アレルギー症状がでてきますので、

井穴刺絡法でセルフケアをぜひやってみてください。

さて前回のつづきからはじめましょう。

案の定、この国のいちばんエライひとは一国の代表として、

国民を救出するどころか、支離滅裂な詭弁を弄してその命を代償にしてまで

米国の戦列に服するとあらためて表明されました。

-- (日本国民も右脳偏向症状のためA坊ちゃまのデタラメな言い訳に何の疑念ももたなかった!)

ついでのことに、
自衛隊員がアメリカ海兵隊の水陸両用車に乗せてもらったパフォーマンスの直後に、

大量発注のお買い物を発表されました。

-- (今の日本国民には水陸両用車をみせられて、その前に爆撃を要することをイメージできるものは無いに等しい!)

ともかく、A坊ちゃまのおサイフにはお金がいっぱいあるようです。

これで5月の訪米では、今度こそきっと丁重な「おもてなし」が期待できる(はず?)。

エライひとの頭にはこんなことしか、いやこんなことだけに懸命に思案にくれているわけだ。

-- (日本人はエライひとでも、もっとエライひとにすり寄る性癖がある!)

日本のエライひとは戦後七十年になってもひたすら米国に向かって滅私奉公。

近隣国とのチンケな因縁のつけあいを仕組まれたら、それにのっかって

例のヤマトダマシに着火して、歌舞いてみせますニッポン男児。

-- ( 神国日本の幻想の下、下級兵士たちに敗戦を負わせた戦争指導部の多くが
ちゃっかり米国に媚びて身を売り、責任から逃れて生きながらえたために、 
その係累が今になって帝国の野望を露骨にあおるゾンビとなった!)

ほんとうは、
A坊ちゃまはピカピカの水陸両用車に乗って彼の国に突進する白日夢をみているのでしょうか?

爆買いいただいている彼の国のひとたちを内心快くおもっていないにちがいないし。・・

-- (買い物症候群は日本人のとくに好む依存症だが、彼の国も後を追っている!)

まあ、さすがに官僚ママがでてきて、正気に帰らせ

大好きなお買い物やバラマキで好感度アップで上機嫌と。・・

-- (A坊ちゃまにかぎらず歴代政府は敗戦時に身を売った先代以来、 まるでパラノイア。 
真珠湾を逆手に国民を煽った謀略好きの米国支配層は白人優生思想に凝り固まった点では、
ナチズム以上の狂気の歴史を刻んできた連中ゆえに始末が悪い。
日本政府は米政権にずっと恐怖妄想をかかえ、異常執着から離れがたい!)

ついでにとばかり、
A坊ちゃまのケツをつつく輩がいて、歴史・憲法に手をつけようと。・・

歴史を書き換えるのは古代より時の権力者の特権。(それも権力争いのどうでもいい歴史だが)

なんとでも解釈すれば、ちょうちん持ちのメディアとガクシャ先生が書きたてまっせー。

とはいうものの、すくなくとも書き換えることがゆるされる権力者とは、

その時代をみずからの力で切り拓いて築いた者にかぎられる。

わるいが、どうころんでも
今のいちばんエライひとには、そんな名声も権威もあるわけも無し。

まあ、その取り巻きも何様のつもりか? 

へえー、 チンケなおまえさんたちが歴史、憲法を書き換えるってかい?

勘違いもはなはだしい。
( 恥ずかしいかぎり)・・・

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こんにちは、のほせんです。

つよい寒気が列島を覆っています。

いつまでも明けないこの国にはお似合いなのかもしれない。

能天気なうえに人でなしのエライ人たちが大きな顔で(じっさいデカイ!)、

闇夜の国を仕切っていて、時代はどんどんわたしたちを生き難くしてゆこうとしています。

さて、イスラム国を挑発した二人の真意はともかくとして、

ついに遠く彼の地で日本政府に救われなかった後藤さんと湯川さんに 

心から哀悼の意を捧げます・・・

二人目の後藤さんが処刑されたあとに、顔のデカイ、エライ人がこう発言している。

「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、最高責任者は私だ。
結果として2人の日本人の命が奪われたことは誠に無念で痛恨の極みだ」・・・

みなさんもおわかりでしょうが、この発言を通訳するとつぎのような意味になります。

「わたしがいちばんエライ責任者だが、この責任は取らない。
何か交渉しているフリをしていただけだから、
結果的にというか、当然ながら二人は救えなかった。
悪いが誠に毛ほどの痛痒も感じていません。グスッ」・・・

また、こうも言っている。
「テロと戦う、日本の国際社会での責任を毅然と果たしていく。
今後も国内外の日本人の安全に万全を期す」と。・・・

この首相はじぶんのしたことと真逆のことを平気な顔して言っている。

-- まず戦い(交渉)に敗れたこと。

-- 今後も何も、今のいま日本人の安全に万全を期さなかったこと。・・

いちばんエライこの人がおどろくほどの欺瞞的な分裂症的な発言をする理由・動機は、

もとより、かれの頭の中には「実行すべきシナリオが大前提にかかげられている」ために、

すべての現実の事象をむりやりねじ曲げて、字面だけを装うほかないからであろう。

二人が拘束された昨年のうちに独、仏のように身代金と交換で救出できなかったのはなぜか?

ましてそのあと、イスラム国を挑発するようにのこのこ出かけて

2億ドルのバラマキを自慢げに演説したのは、だれのシナリオ?

まさかこれが「国際社会における責任」だというのではないだろうね?

ならば、そんな寝言を本気で話す間抜けな首脳など

あんた以外に国際社会には一人もいないということ。

そんなことより、さっさと自国民の救出を本気でやってのけるのが一国の代表の成すべきことにきまっている。

現にいちばんエライひとの媒酌人だった福田元首相も

人命第一といって、周囲の幼稚な利敵非難の声をふりきって大勢の人命を救っている。

そこで、またテロルが繰りかえされるという理屈は、支配者の側のもので

圧倒的な武力で他国民の頭上に爆弾を落とす「有志諸国連合?」が唯一正義であるとは冗談にすぎない。

まだ国の体を成していない生まれたての集団を相手にイスラム凶悪プロパガンダで「紛争」をおこす、

この「正義の仮面をかぶる連合」こそ 何をたくらんでいるのか?

仮に、あのエライひとの寝言が本気だったら、

まったく「国際社会病症候群」とでもいうしかない、日本の病理を代表している。

だが、うがったとらえ方をするまでもなく、あきらかに

はなから、拘束された二人の命の代償を念頭においたうえでの

故意にする、次なるシナリオ展開への仕掛けとかんがえるほかないようにおもえる。

なぜならこのエライひとの口からは、美化の妄想と人でなしの政策しか出たためしがないからだ。

どうにもこうにも、誠意が、実が、金輪際カケラもみられない、

「全力でしっかり」「毅然として」「お約束いたします」ばかり吐くロボットのようなエライひとだから。・・・

-- それにしても、このいちばんエライひとがここまで平気でわたしたちに向かって

あまりにも愚弄した(むしろ病的な)発言をする胸中には、

「いや、それでもいけるんだ」と見切って、高をくくっているところがあるからではないだろうか?

それはかれの、この時代に対するある種の悪の直感に根ざしたものかもしれない。

なめられたもんだが、それほどに、この時代が

個々にとっては危機的な局面にあることを示唆しているのかもしれない。・・・

そういえば、
最近のたび重なる少女による「殺人欲求型」事件には、

すでにこの国の個々が、

自己の破壊衝動の葛藤のタガが外れてきたことをあらわしはじめている。

じぶんを抑制する左脳のはたらきが極度に退行してきた結果、破綻した者の

社会病理の発現とみなされよう。

いまこの、支配層から若年層まで通底する

時代のあらわす精神の危機の情況を、

あらゆる局面でみとめられるようになりつつあるととらえなければならない。・・・
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こんにちは、のほせんです。

久しぶりの雨が土をぬらしています。

火鉢の水に棲みなれたメダカも、きょうは雨にうたれて底にひっそりしています。

たまに晴れた日には、ひよどりが水浴びがてら嘴でついばもうとするのでひやりとします。

さて、この生き難い時代の底で、

みなさんはどのようにおすごしでしょうか?

-- 「イスラム国」と名乗る勢力があり、

中東シリア・イラクの国境を越えて拡大しているという。

その実体はまだ虚実入りまじっていてさだかではない。

ただなぜか欧米諸国がやっきになって空爆していると報道されている。

だが元は米国やサウジアラビアの後押しする傭兵部隊が主力であったともいわれている。

ようするに既成の勢力にとって、未知の敵対勢力として急速に登場してきたという図式になる。

しかし、それだけのことであるのに、二人の日本人は

なぜ無理にでも、まるで誘われるようにして「入っていった」のか?

一人は戦争ビジネスを手がけるためと公言していた。

いま一人はその捕らえられた男を捜すためだったといわれている。

米国のイラク占領以来、ブッシュの閣僚たちが巨利を得る戦争ビジネスとして、

正規軍に代わるハリバートンKBRなどの民間軍事会社をもうけてきた。

かれらは継続的な利益のために、戦争が終わらない程度に戦闘を演じている。

イラク撤収が決まって、のこるアフガン、ウクライナがその主たる舞台にちがいない。

そうすると、「イスラム国」という紛争地域がつぎなる舞台となってきたのは偶然ではないようにおもえる。

そこへ、「ビジネスチャンス」を夢想した一人の日本人がのこのこ出かけていく姿は

あまりにも幼稚な思考というよりも、戦争地域に立つことの精神の昂奮が

かれを異常な躁状態にもちあげたあげく、支離滅裂な破綻にむかったものというよりほかない。

そのあとを追ったもう一人も、個人的になにか特別な事情があっての動機以外には

「真実の報道」などの理念や理由付けも無効であるとするしかない。

なぜなら、かれら日本人たちが、以前から
欧米の傀儡・傭兵部隊である反シリア政府軍の支援に頼ってきたこと。

親欧米=正義という幼児的な日本的善人意識にどっぷりつかった思考回路が

おもいきりバイアスのかかった「真実の報道」を無自覚に垂れ流すことは百害しかありえないからである。

まして敵対する部隊の側に行って、釈放を頼むことなど、

いかに日本人が何も解っていない、自己チュウな人間になってしまったのか唖然とするばかりである。

イスラム国のほうも、二人が戦場支配地にやって来たから捕らえたにもかかわらず、

「テロ」あつかいされるのでは、まったく何を言っているのか意味がわからないだろう。

そこへ、世界の安倍首相がお出かけの駄賃に、

お坊ちゃま風の「遠まわしの喧嘩」を売ったから、さあたいへん!

いつもの「遠吠え」が直近で耳に入ったきたイスラム国の戦士の逆鱗にふれたというわけだ。

「なめたらあかんぜよ!」 と相成ったしだい。

どうする安倍お坊ちゃま? いきなり王手を指されましたぜ。

この困った二人を助けられますか? それとも

あれもこれも、じつは「自衛隊派遣」への三文芝居の掛け合い第一幕なんですか?
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こんにちは、のほせんです。

年が明けましたが、みなさんお変わりありませんか?

とてもおめでたきこの世に一句、 字あまりにてささげます・・

-- 明けぬ夜に とこしえ(永久)に おおわれて このくには --

正月早々、お粗末さまで。

それではついでの座興に、

お口直しの「わんにゃん新春バトル」でも見物していってくださいませ。
--
(どら)・ 「ゴンタ、正月の晴れ着かい?」

(ゴンタ)・「うるせーな」

(どら)・ 「犬がヒョウ柄ルックかい?」

(ゴンタ)・「おれも好きでこんな格好してるんじゃねえ。
      飼い主のオカンがスーパーで買ってきたんだからしょうがないじゃん、
      笑うんじゃねえ!」

(どら)・ 「いや、おまえさん。ネコ科のオネエになったんかと。」

(ゴンタ)・「うるせー、もうドッグフード分けてやんねえぞ。」

(どら)・ 「ごめんごめん、それだけはかんべん。 ノラ猫姐さんをお見捨てなく。」

(ゴンタ)・「しかし、おれのめしはまだ変わんないけど、
      近頃じゃ、オカンの年金も目減りがひどくて、暖房も昼間はつけないんだから!
      いっぱい着込んで冷めたコタツにもぐってるじぇ。」

(どら)・ 「そうかい、それでもホームレスのとこよりましだよ。
      夜はそこの親父の汚ねえ布団の隅っこで一宿の恩義にあずかってんだけど、きついよ。」

(ゴンタ)・「聞いてるだけで風邪引きそうだな。
      あんなとこに寝てないで、生活保護をとったらいいのになあ?」

(どら)・ 「だろう? なんでしないのかわかんねえニャン。」

(ゴンタ)・「ヤクバってとこが、窓を閉めてんじゃねーの?」 

(どら)・ 「あたいの知ってるチケット屋に雇われてるオヤジも、
      生活保護手当てにくらべて稼ぎがおっつかないって言ってこぼしてるよ。」

(ゴンタ)・「アベノミックチュで景気がいいそうだから、
      どんどん手当てを厚くしたらいいワン。」

(どら)・ 「ノラ手当ても欲しいニャン。」

(ゴンタ)・「ノラでも犬はあかん。うっかりすると、保健所行きの殺処分や。」

(どら)・ 「そうすると、将軍綱吉はエラかったなー。お犬様猫様やー、どや。」

(ゴンタ)・「江戸時代はほんまによかったなー。
      人間様も借金チャラの徳政令(棄捐令)があったし。
      チャラになったらやり直しもできるちゅーもんや」

(どら)・ 「ほんまほんま、明治維新をおこした悪党の性格がそのまま
      明治の人間を荒んだものに変えてしもうた。
      おまけに貧乏人まで帝国ニッポンなんぞと旗ふって、狂ってしもうたニャン。」

(ゴンタ)・「夏目漱石の我輩の猫が文明明治以降の日本人の心の閉塞を暗示してましたワン。」

(どら)・ 「ゴンタおまえさん、ワン公のくせに「猫」を読んだのかい?」

(ゴンタ)・「ああ見えて、オカンが読書家なんで、
      おいらも退屈しのぎにつきあってんだワン。
      どら、おまえもどうだい?」

(どら)。 「読んでもいいけど、ヒョウ柄にされるのはごめんだニャン。」・・・

-- 漱石の明治・近代日本にたいする憂鬱とは、

縄文以来のこの国の普遍性であった精神の母型を喪失した哀しみであったのではないか。・・・

-- “ ヘーゲルが旧世界として文明史的に無視した世界は、

内在の精神史からは人類の原型にゆきつく特性を象徴していると、かんがえることができる。

そこでは天然は自生物の音響によって語り、植物や動物も言葉をもっていて、人語に響いてくる。

そういう認知は迷信や錯覚ではない仕方で、人間が天然や自然の本性のところまで下りてゆくことができる深層をしめしている。・・

わたしたちは現在、内在の精神世界として人類の母型を、どこまでも深層へ掘り下げられるかを問われている。” --
( 吉本隆明 「アフリカ的段階についてⅠ」より抜粋)
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こんにちは、のほせんです。

明日はもう、大つごもり。

樋口一葉のもの悲しい小説がおもいだされます。

しかし
貧しさがゆえに不幸であるか、不幸におもわないかは それぞれです。

かえってそこにしか、いたわり合う心情はめばえないものとおもえます。

ですから昨今の不幸な事件・犯罪と報道される記事をていねいにみると、

ひもじさゆえの犯罪というものは無く、

そこにはかならず、
家族への暴行・虐待行為がついに犯罪をうみだしている元凶であることがみえてきます。

そのことをじつによく描かれた映画に、「息もできない」(ヤン・イクチュン監督)があります。

-- 毎日毎日、父親が母親にふるう暴力行為をみせつけられて育った男がチンピラになって、

いまでは老いた父親にむかってじぶんが暴力をふるう連鎖から逃れられずにいる。

「韓国の父親はサイテーだ。

このザマなのに家族の前ではキム・イルソン気取りだ!」などとチンピラの男が吐き捨てる。

肉親との過剰な愛憎とは、「親子密着」とみなすべき心の病に相当する。

第三者からみれば、とっとと別れたらよいものをと、おもえるのだがそうはしない。

それが親子密着というものの病の手ごわさなのだ。

おなじような境遇の(というよりこの種の暴力がいかに多いことか!)女子高校生との

不釣りあいだが 淡くて可愛い交友関係がうまれても、

ふたりは、余りにもやりきれなくて哀しくて、

じぶんのほんとうの生き難さを相手に話せない。・・・

ただそれぞれの深い哀しみのなかで、それぞれに嗚咽することが精一杯だ。

そして男の父親が自殺を図ったとたん、

「親父、どんなに死にたくても生きてろ!」と憎しみと愛しさが重なった言葉を吐く。

「オレの血をぜんぶ親父に輸血してやってくれ!」と泣き叫ぶ。・・・

これほど「親子密着」の深淵をみごとにとらえて表現された映画はない。

過剰な愛着が貼りついたままの過剰な憎しみが、暴力を、虐待を表現せずにおれない病。・・・

このように暴行・虐待のなかで育った子どもは、だれにたいしても、何にたいしても

「ゆえなき過剰な生きることの不安」を生涯にわたってかかえてゆくことになる。

そこからは、暴力にたよる生き方しか学べなかった子どもの

荒んだ、哀しい人生が待っている。・・・

-- 12月25日「埼玉・祖父母強殺少年」の地裁判決がしめされた。

少年の父母は就学前に別居し、その後に離婚。
少年を引きとった母親はホストクラブにはまって、なじみのホストを家に連れ込む乱れようで
小学4年生からはほとんど学校に行かなくなったという。

母親は再婚し、一時は元ホストの義父と母親と3人で静岡に暮らし、2~3カ月間は静岡の小学校に通った。
その後、住民票を残したまま埼玉に戻り、小学5年からは学校に通っていないという。

日雇い仕事で義父に収入がある日は3人でラブホテルに宿泊し、仕事がない日は公園で野宿した。
ささいなことで義父に殴られ、前歯が4本折れたこともあったという。

少年は母親と義父の指示で、親類らに金銭を無心していた。
弁護側証人として出廷した父方の祖母の姉は「約4年間で振り込んだ金は400万~500万円。借金して調達した」と証言した。

その後、義父は塗装会社に就職し、会社の寮で暮らしたが、間もなく義父は失踪。
少年は16歳から代わりに働いた。 母親は少年に給料の前借りを強要し、
金が尽きた直後、事件が起きたという。・・・

-- 少年の母親は子どもの家庭教育を放棄し、いわゆるホスト依存症をあらわしていた。

この母親はじぶんの破綻不安をホスト依存によってとり憑くことでしのいでいこうとしたものとおもわれる。

ホストの男も、なかば陶酔しつつ奈落に落ちようとする母親に魅かれるようにくっついてしまう

いいかえれば悪しき「共依存」の関係に陥ったというべきか。

幼い子どもは母親の徹底したネグレクト(放棄)に恐怖をいだかせられ、

そこからは母子に支配・服従の関係がつくられる。(これもまた母子密着の変型)

「言うことを聞かないと」という強迫観念が子どもを心の病理へと追いつめる。

そこには自我の発達さえも抑え込まれていて

社会との関係も、強大な母親の意向をとおしてしか「ほんとうに、わからない!」のだ。

母親の意向にそった行為だけが認められ、

それによってのみ
脳内に快感ホルモンのドーパミンが満たされるという
あまりに哀しい少年につくりあげられてきたのだ。

-- 「自分みたいな存在をつくってはダメだと伝えてほしい」・・・

少年は弁護士に、そう話したという。
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こんにちは、のほせんです。

この地方にも寒い冬がやってきました。

風邪に効く薬はありません。 それよりは、 

風邪の初期には爪の根元のH5F5を、熱が出てきたらH6F4を井穴刺絡すれば

軽度の症状で回復にむかいますのでやってみましょう。

さて、今回はこの国の個々人の絶望的な未来にふれてみましょう。

-- 原発事故がふたたび起こったあとの、

この国のひとびとの苦悩を描いた映画「希望の国」(園子温監督)はあきらかに

「ぜつぼうのくに」と読み替えよというメッセージが託されたものでした。

それにならっていえば、
この国の首相が「美しい国」「女性が輝く日本に」とよばわるキャッチコピーも 

とうぜん
「汚染された国」「ゼツボーの国」あるいは「人でなしの国」と

読みかえられなければならない。

アベノミクチュが頓挫したために、大企業の大減税と消費税を上げられなくなったら、

いきなり解散総選挙といって、どっかの親父みたいにちゃぶ台をひっくり返してごまかそうとする。

まあしかし、だらしのない野党相手なら、

改憲可能議席獲得も夢ではないとみて、解散理由もそっちのけに「決断・実行!」。・・・

こうして「ゼツボーの国」がまもなく完成の運びとなる。

ついにこの国も、来るところまで来たということ。・・・


まるでインチキ宗教のように、ああ言えばこう言うだけの、

ほんとうに実のないキャッチコピーばかりのスピーチをくりかえして、

得意げな顔をされても困るのだが。・・

はては隣国への幼児的なな嫌悪と被害妄想を国民に焚きつけて、手っ取り早く

戦前の産・軍・官体制のような「挙国一致」を策すような政権にはあきれるほかない。

いまの政権にはその能力さえも欠落しているだけに、かえって危ういものがあるのだ。

子どもに鉄砲を持たせるようなことにならなければいいが。・・・

そして、原子力なんとかかんとか委員会が、(たぶん東電にけつを掻かれたんどろうが)

どさくさにまぎれて原発被災地の被爆許容値を200ミリシーベルトに上げるといいだした。

「もうこんな連中が仕切る国には住みたくもないぜ!」と、

怨嗟の声が いつか国中に 轟く日まで はたして 生き長らえれるだろうか?
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-- (性同一性障害は乳幼児期での最初のエロス覚の転換過程にまつわる)--

こんにちは、のほせんです。

この地方も一気に冬空におおわれてきましたが、

みなさんは、いかがおすごしでしょうか?

風邪対策には、交感神経が過度に反応するのを抑制して

即効回復する、稲舛先生の井穴刺絡療法をおすすめします。

- さて今回は、前回の「再び性同一性障害について」のつづきをお話したいとおもいます。

わたしたちの疑問の核心は、
「いったいではなぜ? 性同一性障害という異和がありうるのだろうか?」
というところにあります。

いまその根源に迫ってみたいとおもいます。

「性同一性障害その8(フロイトと母型論2)」(2011.8.30のブログ記事)ではつぎのように記しています。

-- 乳幼児が概念を獲得してゆく過程で、
男児が「女性から男性へ(口から陰茎へ)」
女児が「女性から女性へ(陰核から膣開口部へ)」という転換がうまれ、

さらにそのあとに、「次なる転換」をむかえるとみなされる。
すなわち、フロイトの言う、 「女の乳幼児のエロス覚は男児的で、
女児にあらわれるリビドーもまた男性的な本質をもつ。」 という具合に。

したがって吉本氏の言い方にならえば、
男女の乳幼児はともに肛門性愛をもち、男性器に性感をもつという、
「一種の性転換 」 がこの時期につづいておこるとみられる。

わたしたちが成人に達するまでにいだかされる様々な「性愛への途惑い」は、
この時期をその根源とみることができよう。
それが「性的な倒錯」や「神経症」としてあらわれる症状であっても、
その根源はおなじところにあるとみなされる。

つまり後々のそれらの倒錯などの発現は、二度の「性転換」の時期に、
乳幼児が母親との安心の関係をつくれなかったことにより、
転換に際してなんらかの鬱屈やゆがみをまぬがれなかったとかんがえられる。--

・・それぞれの乳幼児期での最初のエロス覚の転換過程にこそ、

わたしたちの性にまつわる「異和」や「倒錯」や「神経症」の根源が隠されてきたといえる。

さらに、吉本隆明氏は「舞踏論(土方巽の)」のなかでつぎのように示唆している。・・

-- 「わたしたちの身体は、多様な了解系の時間の、多様な度合いからやってくる
多様なリズムをかさねるようにしてもっている。
ただその了解の中枢に “亀裂が入る”体験があれば、
身体はリズムを失調するにちがいない。
また感官が受容の空間的な差異を混乱させれば、
おなじように身体はリズムを失調してしまうにちがいない。

土方巽もまた舞踏の概念を、乳幼児の失調体験からつくりだし、
わたしたちの常識とまったく別の次元までもっていった。・・

それは「姉」「不具(者)」「犬」というキイ・ワードの組で暗喩されているものだ。
「姉」というのは、たぶん漱石の「姉」とおなじものだ。
実在の姉の乳幼児のころのやさしさの記憶、じぶんの姉(近親女性)への変身願望、身体がこうむる妄想、などの過剰さを象徴しているようにみえる。

飢餓と同性愛的な無意識の資質は、ふたつとも身体にはいりこんだ「姉」と、
その根拠からやってくる通路だ。」-- -

舞踏家・土方巽の舞踏に表現される「飢餓」や「同性愛」の無意識の核には、

「姉」「不具」「犬」を暗喩する乳幼児期の失調体験 すなわち

乳幼児期のエロス覚の転換過程での亀裂・混乱がかくされているというのである。

そしてそれはまた、ほかでもない無意識下の母親との情愛の屈折や不和を示唆する物語でもある。

ここまできてわかりうることは、わたしたちの乳幼児期の無意識の記憶の海のなかに、

だれもが、それぞれに固有の「性にかかわる物語」をかかえてきているということである。

この物語から、ひとはだれも免れることはできない。

すると本来、「性にかかわる異和」がだれにもありうるとみなす方が自然なことになる。

それに過剰に固執するのも、しないのも、

また、そのひとの自由に、ゆだねるほかないことである。

それを「障害」や「倒錯」と呼称しようと、しまいと

わたしたちは、他者のあらゆる性的なふるまいを

性的なじぶんの他者的な表現だとみとめて

うけとめるだけである。・・・・・

蛇足ですが、
土方巽の舞踏について、吉本隆明氏は、
従来ある世界の舞踊・舞踏の概念をくつがえしたとして、次の言葉を記しています。

-- 「土方巽の舞踏論は、身体による物語、散文の表現、リズムをもった型の反復、
物象の動きを近似的に模倣する身体行為などに与えられた舞踊や舞踏という言葉は、
まるで放棄され、
身体を文字みたいに使った暗喩の連続した重畳法、つまり
自己表出の冪乗法を意味しているとおもえる。」--

として、畏怖すべきことだとみとめている。

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