こんにちは、大木です。

ずいぶんごぶさたですが。
みなさんはいかがおすごしでしょうか?

さて、さっそくですが
きょうの箴言シリーズより - - -

「 - -  医者というものは、

病いの重症化は予見できるが

患者の< 虚言 >は

なかなか 見抜けない。- - - 」


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こんにちは、大木です。

みなさん、いかがおすごしでしょうか?

ご無沙汰する間に、大変ショッキングな事件が報道されています。

26日の午前2時ごろ、
相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」に侵入した元職員の男によって、

入所者19名が殺害され26名が重軽傷を負わされるという、このうえなく悲惨な事件です。

被害にあわれた方たちに心からお悔やみをもうしあげます。
またお見舞いをもうしあげます。

さて、みなさんも余りのことに気が動転して混乱されているでしょうから

さっそく事件についてすこしでも理解をすすめてまいりましょう。

犯行直後に自首した植松聖という男の、言動の一部からでも

これが双極性障害いわゆる劇症化した躁症状のなかでおこなわれたことが推量されます。

そして、
なぜか?衆議院議長宛に書かれた(このことがすでに病理をしめしている)「手紙」には、

一見すると、「- 常軌を逸する発言であることは重々理解しております・・」といった

常人のような物言いがちりばめられていてなかなかしたたかに装われています。
(- 妄想の実現のためには他者を欺くために常人を装うのはよくあることです)

また、「 障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております」と記すとき、

この施設に勤務していた男にはそのようにしか見えていないことをものがたっています。

すなわち、すでに男の方こそが社会から孤立し、

他者との関係性が冷え切った感覚世界にたたされていることを吐露しているのです。

たしかに、障害があらわれていない人にとっては、

障害があるゆえの苦悩を(あるいは苦悩ともされていないかもしれない)、はかるすべもない。

だがだからこそ、その苦悩や生き難さにみえることをもふくめ、

個の存在において なにものよりも尊いものとして学び、共生してゆくべきことなのだ。

ほんとうは、
ここにこそ、人間の「類としての根源的な存在の意味」が託され、

個々に問われているとおもわなければならない。

欧米の人でなし効率主義や優生思想に染められて正義の者であるように、

他者の存在を恣意的に「削除」しようとする行為は誰であれ、

「狂気」の沙汰というほかない。

また、
「 保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳 」と

男がさもわけ知り顔で記述した言葉は、

じつは、自分自身がいまからヒーローとなるために欠かせない

都合よくバイアスがかかって描かれた解離妄想イメージそのものなのです。

何がなんでもヒーロー妄想を実行したいと強迫的に欲求するようになった男の

恣意的で身勝手な、破綻し失調した思考が「さも正義のような」世界観として「巧妙に」記述されています。

この国ではマスメディアや連中を操るものたちが、
「全力でしっかりと」現実逃避の 欺瞞、詐術、詭弁を弄した

人でなしの言葉ばかりを垂れ流しつづけているために、

ひとびとにまでそれが伝染浸透していて、時代そのものが精神を病んでひさしく、

その病理的な時代の土壌ゆえに当然のように、ソシオパスをうみだすのだ。

したがって男のような 「 ものの考え方」 に賛同する者もいなくもないにちがいない。

だがそれは、すでに心を病んだ者の「鬱・うつ」の思考回路なのである。


-- ほぼ分裂症的な男の「考え」が、衆議院議長に託すという「行動」によって

ナルシズムとヒロイズムに酔った躁症状に至っています。

いいかえれば、「ソシオパス」をあらわしているともいえるでしょう。

くり返された右脳の妄想イメージこそが、卵からサナギへと成長、

いずれ「実行」されうる「破壊」に向けた、病んだ精神の世界なのです。

そして何事かを契機に、

経験同一化の法則のままに、人はじぶんが考えたように実行にいたります。

( いいかえれば、考えなかった事はだれも行動しない、できないわけです。)

したがってかさねていえば、
男は文字どおり、「考えたとおりに(妄想を)実行した」ということ。


-- さて、衆議院議長へのある種の「決意表明」におどろいた関係者、警察は

相模原市精神保健福祉課にはかり、男を措置入院させています。

しかしわずか2週間たらずで、
担当医師が「 他人を傷つけるおそれがなくなった 」と診断し、退院させていました。

おそらくこの医師は、精神の病についてあまり深く理解していないものとおもわれます。

このような劇症的な躁行為にたいしてほとんど無自覚な対処というほかない。

すくなくとも双極性障害(躁鬱病)においては、長いスパンで見守る必要があるのは自明のこと。

男が表わす解離妄想の世界が
現実の中へ踏み入ってゆくのを止めるための懸命の努力がなされるべきだったと悔やまれる。

男の妄想を解体するたたかいこそが医師にもとめられたのだが。・・・

ここまでのところは、男の精神の破綻にいたるまでの

主たる要因を形成したであろう乳幼児期以来の生育歴のプロファイルが不明の為に

これ以上の解明は次の機会を待つことにしましょう。
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( 小悪党知事をいじりまわして闇の真相をかくすメディアと政・官 -)

こんにちは、大木です。

早や季節は梅雨。みなさんはいかがお過ごしですか?

身体がキリッとしないのは自律神経がおおきくバランスをくずしているためです。

こんなときこそ、無理して汗をかくようにしてみてくださいね。


さて、ながらく間が空いているうちに世間はますます壊れていっているようです。

「都知事がクレしんを経費で何した」など、

いつのまにか、焦点が知事の「公私混同」週刊誌ネタにすり替わっています。

東京都の問題として挙げられていた「18億円の使途不明金」についてなぜ追求しないのか?

オリンピックのJOCの2億3千万円の賄賂情報はなぜすっかり扱われなくなったのか?

2014年2月のわたしのブログ記事 「やはり!人でなしを選んだ東京人」は、

今日のあるのを見越して、この知事さんと都民を切り刻んでいますのでご参考まで。・・

-- 冬季オリンピック開幕報道でさわがしい中、
あのトーキョー知事選がしずかに終わりました。

そして、「たいして何もしなかったパフォーマンスだけの社会保障制度の専門家」が選ばれました。

- 「世界一の福祉が進んだ街にします!」・・・(だから?) ジジババから金を巻きあげる消費税増税!

ついでに、自分たちにつごうのいい遠隔地の東京原発継続推進!

じつにおめでたい!

このようなろくでもない男がえらばれた東京 バンザイ!

人でなしに愚弄されながら、足を運んだ東京の住民 バンザイ!

いずれにせよ、東京の住民がどのような思考回路を有しているのかが了解できたのはたしかなことです。

前回のブログ記事でも述べたように、

しょせんは、選挙は「地域の催しもの」で、

おのれが何様のつもりなのか、
「ひとをバカにして」それでも選ばれる者と

「バカにされても」その自覚すらなく、いそいそと投票する奇妙な人たちと

その両者が 虚妄の 「みんしゅしゅぎ」の茶番に興ずる姿でしかない。・・


-- そもそも、
「選挙」に足を運ぶ都民にとっては、

町内の「お祭り」さわぎに浮かれることとおなじようなものなんだろうか?

いずれにしても、じぶんが選んだくせに

今さら「あの人はセコイ!」ひとだと、

すっとぼけるのは、卑怯な態度ですぜ!

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( 地獄の就活がつづく、グローバル日本の総ブラック企業化)

こんにちは、大木です。

まあ、ずいぶんごぶさたしてしまいました。

桜も朝方からの雨風に散りかけてきましたね。

- 桜舞う  いたみこらえて  眼を伏せず   --    なんて・・・


この季節は自律神経が副交感神経過剰( アレルギー症活発化)となりますので、

ぎんなん先生の井穴刺絡療法(自分でできます )を、ぜひためしてみましょう。

-- さて、今回はこの日本の国がほんとうに危うくなっていることを、ごいっしょにみていきましょう。

先日来、「保育園落ちた日本死ね!!!」というネット投稿が話題になっています。

- 「なんなんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」「子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ? 何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからって言ってて子供産むやつなんかいねーよ」

   「不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増せよ。オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本」

   「保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。国が子供産ませないでどうすんだよ。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから・・・国会議員を半分くらいクビにすりゃ財源作れるだろ。まじいい加減にしろ日本」(2016.2.15) --

このお母さんのおっしゃるとおりで、日本中のお母さんが働きに行けないで怒っています。

日本の政権が誰のために、どちらを向いて政治をおこなっているのかがよくわかるというものです。

けっこうな人数の女性大臣らが何もしてこなかったことがわかります。

-- それで、タイトルの「総ブラック企業化」ですが、

政府は求人倍率などという詐欺まがいのトリックを弄して国民を欺き、

大学側も虚飾した就職率をPRして受験生をかきあつめようとしています。

ほんとうにかれらの公表数字が学生たちに朗報であるならば、どこも人手が足りず

日本にはブラック企業やブラックバイトなどありえないはずです。

実体は真逆であり、悲惨をきわめています。

全国のすべての労働環境がここまで劣悪になっているのは、政権がなんと言おうと

日本の経済がこのうえなく落ち込んでいるからにほかなりません。 これに尽きます。

どの営業員も詐欺まがいの手口以外には、どこにいってもまったく商談にならないのが現状です。

大小を問わず、
どの企業ももはや資産を切り売りするしか生き残れないところに追い立てられ、

果てのないスクラップ&ビルドをくりかえし、そのたびにブラックに堕すしかない状況です。

ましてや全国の自営業者は
とてつもなく続く不況の中に溺れ流される運命を自覚しないものはいないのです。

いってみれば、
日本経済はいま、バイアスのかかった美化の妄想にしがみついて

危機的現実から目を背ける船長や船員ばかりの船のように、さまよっているばかりなのです。

あってはならない奨学金ローンからはじまり、マイカーローン、住宅ローンと、

ローン地獄のがんじがらめのこの社会のシステム・パラダイムを転換しないと、

市民の生活はいつまでもお先真っ暗なままでしょう。

すくなくとも、乳幼児からの完全保育、医療、教育の無償化と、

労働環境の是正と老齢年金の保障さえできれば、

ハイエナの金融屋や無駄な官庁は淘汰縮小されるとともに、

あらたな社会・労働構造が生まれて、大きく内需が好循環してゆくでしょう。

人はいままでのように、何のために働いているのか分からないような

強迫的で生き難い暮らしから放たれ

だれもが精神のゆとりのもとに、、おだやかに生きてゆけるようにおもいます。

いまの病理的な現代日本を救う手立ては

それほど難しいことではないはずだが。・・・

そうするときにも、
うわべではもっともな言で同調するが、

本音では個の尊厳より国家や組織を優先しようとする

権威主義的な党派的教条主義者らが勇みだって介入してくるかもしれないので、

その連中にはくれぐれも騙されないように。・・・
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こんにちは、のほせんです。

またまたごぶさたするうちにすっかりおしつまりましたが、

みなさんはこの一年をいかがお過ごしだったでしょうか?

日本の社会が個の尊厳を蔑(ないがし)ろにする、

人でなし連中の横暴がますます目に余る時代になっています。

わたしたちは「個」の意味をはぎとられ、孤立させられ、

よって精神も限界に達し、より困難な日々を背負わされ

生き難く、胸のうちは途方に暮れて 涙さえ涸れてひさしい。・・・


-- さて先日、
学生時代からの旧友T の喪のしらせがとどきました。

かれは永らく、詩人永瀬清子主宰亡き後、詩誌「黄薔薇」の発行にたずさわっていましたが、

近年の不調からついに帰らぬ人となりました。

遠くさかのぼれば、学生闘争のあとに、わたしは一遍の詩を記したきり、

筆をとることなく生きてきました。

かれはそんなわたしに何も言わずに、毎号の「黄薔薇」と

精魂こめた詩集本を贈りつづけてくれました。

やさしい詩の言葉の背後には
書ききれない哀しみや、絶望や、自責の思いが、しずかに抑制されていました。

もっともわたしは、だれよりもTの詩にきびしかったことを今も後悔していません。

時代の中に孤立し、なおも救い難い者であればこそ

切り拓かれよう普遍性をかれに求めつづけたことを。・・・

当時のわたしたちの学生闘争は、日本社会のすべての既成概念を打破するたたかいであり、

「自らに由って、命革(いのちあらた)むる」精神性をひたすらめざしたものでもあった。

1968年 底冷えのする冬の校舎で、

ノンセクトゆえに炊き出しの握り飯にもありつけぬ夜のバリケードのコンクリート床に、

一枚のダンボールに寝転んで 毛布代わりの新聞紙を大事にかぶり

既成秩序の補完党派たることを自覚しない黄ヘル軍の襲撃に

身を固くしていた二十歳のT とわたし。

しかしノンセクト(無党派)ゆえに、
自らの精神はだれよりもかぎりなく自由にのびやかで、その熱情に屈託はなかった。

徹夜で階段を割って投石を用意している白ヘル諸君の党派の優等生的な生真面目さとは無縁の

「あてにならない」連中として、自在にたたかっていた。

T もわたしも、あらゆる権力に向かって「ノン!」を、あらゆる管理規制に「ノン!」を、

既成秩序社会への「ノン!」を唯一の、旗印にしてたたかっていった。

国家権力(保身利権政党)やそのお先棒を担ぐ黄ヘル党派、さらには共闘する白、赤ヘル党派も

苦しくなれば、組織防衛のために自らの党派性が最優先されることは

世界史にみられる通り、党派という組織が「信」ならざるものであることは自明なことだった。

その内向する自己矛盾にいっきに行き着き、

そのことをだれもが自覚させられたはずの悲劇的出来事として連合赤軍総括事件がある。・・

わたしたちは「個」人こそが、すべてに優先されると提起しつづけた。(たとえ裏切りがあろうとも!)

だがしかし、現実のリアルなたたかいのなかで敗北していった。

わたしたちには、あらゆる党派組織をも個の次元にまで融解させうるだけの言葉をもちえなかったのだ。

すべての人たちに、ほんとうの自由への手がかりを、

その伝えるべき言葉を、ついにもちあわせなかった。

党派的教条主義でも、欧米プラグマティズムでも、機能主義でもない言葉を。・・・ 

T の詩への執着もここに、そのあらたな出発の起源をみてとれる。

そしてわたしの、詩の失語もここにある。 無念なことに

いまだわたしは、伝えるべき言葉を見出せないでいる。

またわたしの知るかぎり、他のだれも いまだに その言葉を 提示できないままだが。・・・

時がうつっても、人をあざむくプロパガンダの言葉に終始する政治家を名乗る連中などは、

イカレたペテン師か、無能な偽善者面をさらして見苦しいかぎり、小悪党ばかり。

この連中にヨイショしつづけるマスメディアは自らを賤しめ、すでに破綻している。

こんな者らをいまだに跋扈させている日本の国はすでに正気を逸してきているのかもしれない。

この国の人びとも、「個」の思想の成熟(マチュア)とは遠く乖離したまま 
さ迷いつづけている。・・・

 
権力をもてあそび、傍若無人にして日本を自滅に誘う者らを
無念にも ただ凝視するばかり。

それにしても T君、

あれ以来一度も会えずじまい、否 会わずじまいだったことが、

今となっては 心残りです。

ただ生涯、たとえ小さな権力とも無縁でありつづけたTに 

いま 万感のおもいで 別れを 告げん! 
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こんにちは、のほせんです。

ずいぶんご無沙汰いたしましたが、

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

近ごろ、ご自分の心的な変調に気づかれない方が多くおみうけするようになりました。

何かに偏向して(ペットやギャンブル、スマホ、あるいは宗教など)、それにどっぷりはまりこんで

どんどん現実から解離されて、社会性をこわしていかれる方が増えています。 

そんな方にかぎって、じぶんでは、それぞれに言い分といいますか、

理屈を持たれているだけにやっかいなんです。(ああ言えば、こう言う!こてこての自己流思考)

「ああ言えばこう言う」といえば大阪のあの人、

政治家を(屋?)やめるって、啖呵きった「イシン」を名乗る人がいます。

忘れてるようやから恥かかんうちに、だれか、

側にいる強面のおっちゃんでもええからおしえちゃりなはれ。

それにしても、こんな連中が肩で風切っているのは、さすがオオサカ!か?

大阪の人たちは今、

自民党分派のイシンとかいうハッタリ屋と、

自己保身党そのものの利権屋との、ダブル選挙をつきつけられています。

「ハッタリ屋と利権屋、どっちにする?」・・・( ハッタリ屋も利権には目がないようやけど。)

大阪にもこれに唖然とするひとたちがいるとはおもいますが、

他党もおおかたがおそまつくんやし、・・・

御用マスメディアはこれに何の異論もなく、「さあさあ! どっちだ、どっちだ!」とはやしている。

まるで、もはや時代はこういうところにきているんだというようにはしゃいでいる。

それでは一首、

「 トコーソー ふたを開けたら 紙一枚 キャッチコピーの 五文字だけ 」

まあ、マジシャンならご愛敬ですみますが、

ほんまに、「言うてみただけ!」 だと びっくりポンやでー ・・・  

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こんにちは、のほせんです。

まだ日中は暑いながらも、上空のうろこ雲が秋の気配を染め、
  
夜は虫の音がいっそうにぎやかになってきました。

みなさんは、いかがおすごしでしょうか?

大阪の熱帯夜もきのうのことになったというのに、

「政治家辞める!」と潔かった橋下氏がアレレ? 「新党結成」などと叫んでいます。

暑気でご乱心なのか? もとからペテン師か、住民をバカにしているのか?・・

 
-- 先日来、またも拉致殺害事件が報道されていますが、

無念のうちに亡くなられた少女と少年に心からのお悔やみをもうしあげます。

心のスキを嗅ぎつけるように動き回る者が現実にいるんだということを、

あらためて若い人たちにも知っておいてほしいとおもう。・・

-- さて、今回逮捕された容疑者はあきらかにサイコパスのようにおもわれますが、

サカキバラセイト・少年Aの場合は、その類別にちがいないが幼い特異な存在であったともいえる。

そこには、性の欲動が制御不能となった14歳の未熟な少年が 哀れにも

狂気に陥っていった姿がみとめられる。・・

その狂気を引き止められなかった要因には、

母親との乳幼児期の「愛着の齟齬」、「躾という抑圧」や

児童期の「葛藤能力の不全」、「基礎教育不在」がみとめられる。

母親が愛着よりも「良かれ!」とおもい、かかわった偏向した育児や、

子どもの好き嫌いを優先したある種の「ネグレクト」などが暴走時のハードルを低くしたと。・・

また「なんでオレのこと嫌いなん?」と弟に聞かれたほど分けもなくイジメつづけたことは、

制御不能となっていった少年Aの狂気の兆しととらえることもできよう。

また無秩序な幼児期とはいえ、小動物を虐待したり、傷つけようと欲する時点で

すでに常軌を越えようとしていた。  そこではAは

人に生来的にそなわった「生理的嫌悪感・嘔吐感」や「親の眼」などの「壁」が

性の欲動の倒錯的快感欲求の前に、無効となった域に立っている。


-- そして児童期に入って、子どもたちの「性の欲動」がいったん無意識の奥におしこまれ、

社会的抑圧が優位の時期も、やがて過ぎて、

そのあとにやってくる、思春期の年齢になるころに

少年Aは待ち切れないようにして「性の欲動」を「殺人欲求」という狂気として暴発させる。

その狂気をおしとどめるべく 「自我の葛藤能力」の閾値があまりにも低かったことが

少年Aのかかえた不幸にほかならない。・・

淳くんを殺害するときの「無茶苦茶にしたい気持ち」(サディズム)と、

「ひりつくような罪悪感に身悶えしたい」(マゾヒズム)という

性的倒錯に酔い痴れる狂気の世界に踏み込んでいった。・・

そして相当な期間ののちになって、やっと

「淳くんのお父さんと彩花さんのお母さんの手記を読んだあと、

布団に入ると犯行時の様子が繰り返しフラッシュバックした」と告白している。

それまではずっと、正当な社会観から解離したまま、フラッシュバックさえおきないで、

Aの脳には自己流のコピペの疑似社会妄念が渦巻いていたことをしめている。・・


-- Aははたして治癒にむかえるのだろうか?

なんと、少年Aが“逮捕される数日前”、児童相談所の先生が家庭訪問して、こう話していた。

「A君は、だいぶん打ち解けてきましたよ。いい傾向ですよ。お母さん!」と。・・大失態!

少年Aも、相手の思惑を見透かし、同調して気取らせないなどはお手のものだった。・・

またある関係者はつよく言い切った。・・ 「Aに再犯の恐れはない」、

「彼が以前と同じパターンで小さい子どもを殺す可能性はゼロです。

なぜなら、もはや彼にはその「原因」がなくなったからです」と。 ・・?

井垣裁判官の寄稿では・・

「少年Aを生まれたての赤ん坊の時期まで巻き戻し、その状態から

「母」の愛を惜しみなく与えて育て直すことを期待して少年院に送った」とある。・・

この人は精神の病理も人の生育歴の重さについても何もご存じないようです。

“ 人はだれも、生育歴を巻き戻すことはできない。-- ”

だからこそ生き難いし、克服するほかない。

なるほど教誨師や、担任教官や女医の方々はAの寛解にむけて懸命にサポートされたし、

関係者も誇らしげに、
「性的サディズムは完治し、普通の青年になっている。精神科医のケアはほとんど必要ない」と語る。

だが、Aは告白している。
「父親は僕が更生したことを信じきれず、

僕がひとりになると再び罪を犯すのではないかと恐れていた」と。・・

はたしてどちらが本当なのか?


心理カウンセリングではもちろん、更生施設の教官とおなじく、

社会性の教育による「葛藤能力の向上」をめざし、

「社会性から解離した病理的な世界観」の解体をめざします。

しかし、それと並行して、
患者の「心の闇」に向きあって、その病理の構造をひも解いてゆきます。

とはいっても、ただ赤ん坊をあやす様に同調し心を開かせることではない。

「世界一だと」自負する更生施設の教官たちも、肝腎のここを欠落している。

「病理」「治癒」そのものの本質理解をとりちがえているのである。

「寛解」(いわゆるおとなしくなったから)で良しとする人たちばかりの精神医学界なのである。

それはあくまで時々の「症状」の状態にしかすぎないのである。

Aは「苦しくて気が狂いそうだった」と言い訳して薬に頼ったが、

わたしはカウンセラーとして、フラッシュバックに堪えられないAに薬をすすめるようなことは断じてしない。

フラッシュバックを遠ざけるのもカウンセラーのしごとだが、 Aにとっては

はじめのうちはその苦しみを受け留めることが「償い」のひとつになるのではないだろうか?

Aはまた、じぶんの来た道をナルシスティックにとらえて、共感する漫画に自己投影している。

そして、その「少年Aからの脱出」をつよく願望する。・・

厳しい現実社会におじ気づいたAは、ついにまた、じぶんの中へ内向しようとする。

「僕が最後に辿りついた居場所、自分が自分でいられる安息の地は、自分の中にしかなかった」・・

「自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、僕に残された唯一の自己救済であり、たったひとつの「生きる道」でした。」

こう結んだAは、ついにじぶんの狂気に到った病理を正しく理解しないまま、

自己救済を優先させた告白本を残そうと願った。

生半可な病理理解と中途半端な死者への償いとともに。・・・・・


いまの自分自身の性的な現在について、あるいは(フロイト的な)夢について

何も語らないのは正直な態度ではないし、

かれの病理をより深く、正しく理解するためにも欠かせない必須の情報なのだが。・・・
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こんにちは、のほせんです。

雨模様のじっとりした空気が肌にまといつく、この2,3日ですが

みなさん、いかがおすごしでしょうか?

体調管理は、ぎんなん先生の井穴刺絡療法でしっかりセルフコントロールなさってくださいね。

-- さて、今回はサカキバラセイト・元少年Aの病理についての続考ということで、ごいっしょに考えてまいりましょう。

- 1997年6月28日、14歳の容疑者のAが早朝に連行され、自供する場面から「絶歌」は書き出している。

Aはその間の警察官とのやり取りや表情をごく冷静な眼で観察・記憶し、

すこし作家気取りの文章で描いている。

そして、「-- やっと証拠が出た。終わりだ。もう終わっていいんだ --」と

もったいぶったうえに、感傷的な表現には、

「もうこれ以上、誰も傷付けずに済む。」という意味深長な理由付けが付されている。

本心だろうか? それともまだ無念さがかくされているのだろうか? ・・


-- 「リセットボタンのない命がけのゲーム。負ければ絞首刑。」・・ だが、

このコメントは殺害行為が社会的事件となった「後付け」のこれ見よがしのパフォーマンスにすぎない。

しょせんゲーム感覚の中ではバーチャルな恐怖や征服感しか得られず、

本物の恐怖や嫌悪感も、そして狂おしい快感も現実に侵犯したときしか手に入らないものだから。

ほんとうのかれは昂奮に身を震わせながら、現実に侵犯し、殺害し陵辱し、至上の快感をものにしたとき、

社会から隔絶したあとに、命がけのゲームをおもいつき挑むほか術がなくなっていたからだ。・・


筆者Aはいわゆる「直感像素質者」らしく、瞬時に記憶した他者の物言いのコピペ・フレーズの抽斗から

器用ににさまざまな比喩を駆使して文章を仕立ててゆこうとする。

しかしなぜか、流暢な言い回しであるほど読む者に空々しくおもわせるものが滲み出てくる。

フロイトや村上龍のコピペをとりだして、

「生の欲動」「死の欲動」だの、「涅槃原則」「体内回帰願望」など、

半可通をふりまわして読む者を白けさせるのには閉口する。・・

だが案外、Aは本気で作家として、じぶんのコンプレックスを解消したいと望んでいるような、

どうも、そんな気配が全体にただよっている。


-- そして、「原罪」という章で、いよいよ決定的な告白を聞くことになる。

小学5年生の春に、慕ってきた祖母が亡くなる。・・

祖母がいなくなった部屋で、マッサージ器で祖母の思い出と戯れるうちに、

ペニスに当てた感覚に昂奮してしまって、ついに射精してしまったという。

未だ皮被りのペニスに激痛が走ったという。・・

( このとき、母より慕った祖母の死に直面したAには

不安と絶望を糊塗する必要に急かされるように、

性の欲動が起きあがってきたとみとめられる。

この時点ではまだ、性欲動の対象が定まらないまま、欲動だけが過剰にあらわれだしたといえよう。

しかし、これほどAが祖母を代理母のように慕うほかなかったとすれば、その理由は

かれの母親や父親が「告白日記」から「覚えがない」と否定しているものの、

離乳や排便など、幼児期以前の母子関係のあり様が

Aには「楽しかった記憶は何もありません」と、

言わしめる「愛着の欠如」あるいは「齟齬」があったことはたしかなようである。

そして、まだ幼いAには早くに両親の過大な権威抑圧から離脱する術は、

「親を懲らしめる」ことでしか実現できないことを無意識に学習していたようだ。

こうしてAは、祖母の位牌の前で罪悪感を快感に転倒しつつ、

早すぎた、しかし切迫的な不安抑圧にもはや堪えられないために、冒涜の儀式をくりかえしてゆく。・・

-- 両親はまた、このように証言している。
(母親)「人見知りがはげしく、とりわけAは、じぶんの興味のないことは、まったく受け付けない性格でした。」(不安緊張症と葛藤能力の不全)

(父親)「勉強はまったくダメで、おとなしい目立たない子だった」(教育不在) --

-- 人は思春期の前段階に、すなわち幼児期にも性の欲動は活発にあり、このとき欲動が満足できないと「不安」に転換する。

そして満足を得るためにあらゆる前性器的体制に「退行」して、倒錯の方へ向かおうとする。(J・フロイト) --

どんどん自閉してゆくAにたいして親は鈍感に過ぎたようだ。

「この頃からマーマレードの空き瓶にナメクジを集め始めた」と、Aは次なる階段を上りだす。

さらに、祖母の死の後を追うように死んだ祖母の飼い犬サスケの

小屋の前の餌皿に顔を突っ込んでいた野良猫を見たとき、

「ー 殺そう - と閃いた」とAは語っている。・・

「 あの全身の骨を擽(くすぐ)られるような、いても立ってもいられなくなる奇妙に心地よい痺れと恍惚感・・・。

間違いない。 ” ソレ ” は性的な衝動だった。」・・・

ここに到ってAの性的な欲動は、
明確に性器的な体制を回避し、幼児期の性的対象の倒錯期に退行する。

( 幼児は生殖という目的にいたらない部分「性欲動」(口唇期、肛門期)の塊であり、

幼児においては性倒錯がむしろ「正常」な状態であって、

かえって幼児期の倒錯から「正常」な性対象にいたる道筋の方が説明を要するほどである。

フロイトは、幼児的な性倒錯を思春期において性器的な体制に統合できなかった個人は、

神経症になるか、性倒錯になるとかんがえた。)

異性を対象にできない幼い思春期前期のAが、小動物の殺戮に向かった理由は、

殺害攻撃過程が「冒涜の罪悪感」のオナニーをはるかに越える、

相手の恐怖苦痛 = 快感増幅であることを、幼児期のある時点ですでに学習済みであることがうかがえる。


-- またAが「小学校に上がる前の記憶がほとんどない」というとき、

あきらかに乳幼児期の母子愛着の欠如・齟齬とともに、

母親からの「躾け」という抑圧がつよくあったことを物語っている。

抑圧は幼児の性の欲動をも例外としない。 すると、

その抑圧による欲動の屈折や抵抗・固着が生じて、後々の思春期になって、

神経症を発症したり、性の対象倒錯などがあらわされるようになる。

乳幼児期の早い段階での何らかの固着によるフェティシズム(死体)や、

人類史の素因ともみなされる残酷さ・サディズムと性欲動の密接さが

Aの葛藤能力の閾値の低さを利して、発現されたのではないかとおもわれる。


猫を殺戮するときの描写はAが「手の施しようのない性倒錯者になった」ことをしめしている。

Aは告白する。--

「猫殺しの手口はますます残虐を極めた。」「それに反比例してエクスタシーは得られなくなった。」

「中学に上がる頃には猫殺しに飽き、次第に自分と同じ ” 人間 ” を壊してみたいという思いに囚われ寝ても覚めても、もうそのことしか考えられなくなった 」・・

( もはや、自我の抑圧(自制)や葛藤をまたいで逃亡したAは、

快感の感応度低減に我慢できず、

さらなる性の快感欲求に見合った人間破壊のイメージを大脳辺縁系に固着したことを告白している。

・・そしてついに、Aは現実への侵犯に向かう。)

1997年3月16日、ハンマーで彩花さんを殴殺し、もう一人の女の子をナイフで刺した。・・

さすがにAは離人症をていして、

「身体の重さを感じない。何を食べても味がしない。相手の声がどこか遠くから聴こえてくる」と訴える。

さらに、5月27日未明、殺害陵辱した淳くんの頭部を風呂場で洗おうとして、

「僕は殺人よりも更におぞましい行為に及んだ 」 と告白している。・・・

(次回につづきます)
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こんにちは、のほせんです。

ようやく度を越す暑さが通り過ぎようとしていますが、

みなさんはいかがおすごしでしょうか? 

クマ蝉は姿を消し、ツクツクボウシが遠慮気に鳴きだしました。

自然の移ろいは、たしかに一時もとどこおることなく今日も前にすすんでいっているようです。

-- さて、いつものことですが、

当時の国民挙っての帝国の敗戦を内輪で認知しあった「終戦記念日」には、

綿綿とつづく「保身」政権とマスメディアのお涙頂戴の催しもので今度もおしまいになりました。・・

まるで日本中が世界から解離したように内向してああだこうだと過去の事に固着すれども、

時が止まったように

そこには現代日本も世界も、視野に入っていない、統合失調症のような様相しか映らない。

今も、世界中で戦争がおこなわれていること。・・

12歳の少年たちが拉致されて銃をもたされることが現実におこっていることを知らないではすまされない。

大儀という理屈付けがどうあろうと、指導部の思惑がどこにあろうと、

決して「正義」であろうはずがない。

非道な、人でなしな、「悪」であるという指弾を免れることはできない。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問うた日本人の若者がいたが、

12歳の拉致された少年兵たちに聞かせてみたいものだ。

ふやけ切った、なんの切実感もない、もはや精神が屍のような日本のこの若者と

不条理にも戦場に立たされた少年兵たちの恐怖と苦悩の日々。・・


「終戦」を儀式化するだけの現代日本のひとびと。

遠くさかのぼった戦争を生きるほかなかった当時の日本の若者たち。 

これから戦場に行かなければならない当時の思春期の若者たちの閉ざされた明日に

想いいたることができない現代日本の精神の枯渇。


むろんのことに、中国をはじめ、二千万人以上ともいわれるアジア諸国の戦死者に

真っ先に哀悼の真をささげ、頭を垂れてしかるべきこと。・・

仮に、「亜細亜の解放」の大儀の下にでも、

このような途方もない犠牲をしいる者たちを、だれが赦すというのだろうか?


その地域、国のひとびとは、みずからの手で

帝国主義者や独裁主義者の支配から脱するために

懸命に、たたかいつづけるほかない。

だれも、他の国のものが善意や正義だとかいって、介入すべきことではない。・・・・・
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こんにちは、のほせんです。

ええー、みなさん、ずいぶんとご無沙汰でした。ご心配かけてもうしわけありません。

はや梅雨が明け、きびしい暑さが一気にやってきましたが、

こんな時節は、飲食を軽めにして、体調をコントロールしていきましょう。

たくさんクスリを処方されている方も、そのせいで肝臓腎臓に疲労があらわれていれば、

ぎんなん先生の井穴刺絡療法で内臓をピンポイントに回復させるようにしてみてください。

- さて今回は、
あの、「サカキバラセイト」の元少年Aが唐突に、手記を刊行したことについて、

驚きと同時に、以前からの懸念をこのさいに解決したいとおもい、

できるだけのかれの生育歴プロファイリングと、両親との関係をとおして、

かれ自身の告白をたどりながら病理の核心にせまろうとするものです。

「少年A 矯正2500日全記録」、「「少年A」 この子を生んで・・・」、それとかれの手記「絶歌」を精読。

読み通してみて、肝腎の知りたいところが明かされないままなのようにおもえてならない。

わたしは、Aの手記の書き出しが小説かノンフィクションのような文体で、

なにか勘違いしているようにおもいつつ読んでいくうちに、

ナルシズム的な絶唱のところどころに垣間見える自己救済の無自覚な願望に違和を感じた。

また、かれの手記の終わり近くには、
事件後のテレビ討論番組での十代の男子の問いかけを引っぱりだし、

番組のコメンテイターらが誰ひとりその問いに答えられなかったと非難がましく書いている。

- 男子の問いは、「なぜ人を殺してはいけないのか?」 -

これにたいする答えは何通りもあるけれど、 そのまえにA君、

きみは 「なぜ、人を殺してしまったのか?」をもっと自問して、できるかぎり明らかにすべきだとおもいます。

- 「殺した後に、じぶんが苦しむことになるから」 というきみの答えは、残念ながら

おおきなまちがいです。 それは結局、自己中心のものの考え方であって、

どこかじぶんも十字架を背負った被害者の位置にいるような思考回路になっています。

つまり、きみの「自己救済」と「罪を償うこと」という命題の設定には、

はじめから背反があり、矛盾がみられます。

どちらの概念も既成宗教の薄っぺらな倫理の言葉であり、そんなものは

「もし本当に罪が償えると思っているなら、それは傲慢だと思うし、所詮言い逃れにすぎない」と喝破した、

被害者の潤くんの兄さんの切実な言葉にはついにこたえられないとおもいます。

Aがそれでも生きてゆきたいと願ったいじょうは、生き難い苦悩がつきまとうのは避けられないでしょう。

むろん、きみが成りたくて殺人少年になったんじゃないと、

「気がつけば、こんな人間になっていたんだ」と、ほんとうは言いたいのも無理のないことです。

心の闇は、だれも気がつかないうちに、幼児期あるいは胎乳児期にうみつけられるものだから。・・・


- そもそもサカキバラセイト・少年Aも、精神鑑定に当たった医師も、もちろん裁判官も

「心の病理」の本態について、まったく理解していないという他ない。

- 「Aには、離人症状が存在し、解離傾性があった」

- 「Aは、人間関係を攻撃・支配するか、されるかの関係ととらえ、被害意識がつよく、
またつよい攻撃性と完全な支配性を持つ」

- 「しかし、Aはふつうの知能を有し、意識も清明で精神病を疑う症状も無く、心理テストの結果にも見当たらなかった」 --

つまり、精神神経症をあらわし、かつ「関係」性のまったき不全を性格としてみとめながら、

意識清明で、ふつうの人間だと言い張っているのだ。

これでは、無理からでも少年Aをお裁きにかけたい一心だと白状しているようなもの。

だが、どうみても少年Aがふつうではないこと、

あきらかに異常な精神のもとに殺傷行為におよんだことは明白な事実。

みなさんが思い描くような、強迫性妄想が激発して荒ぶる行動をあらわすことも病理なら、

少年Aをはじめとする殺人欲求犯は、
くりかえされた解離妄想のイメージ化とその妄想を現実化・実行するための思考回路の維持がセットになって、

はじめて現実への侵犯が行われ、それによっておぞましい快感を手に入れるという病理をあらわします。

この病理の特質は、快感を欲求するものですから、 仮に

まったく精神が崩壊しているとそれも成り立たないので、むしろ

しだいに抑圧や葛藤が無くなって、妄想実行の一方通行可能な心的状態を契機におこされる。

またこうも言える。
「人は自分が考えたことだけを実行する。」(経験同一化の法則)、

それは病理の人も同様であり、妄想イメージどおりに実行される。

- それで、みなさんは、かれが今、ほんとうに「寛解した」(法務省)のか? あるいは

「Aに再犯の恐れはない。彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。
なぜなら、もはやかれにはその「原因」がなくなったからです。」(関係者)

という矯正教育にかかわった人たちの言葉を信じていますでしょうか?

わたしは、Aが現在のじぶんの性的な現状について、

たとえば、性の欲動について、夢を含めた性対象についての倒錯の有無、

などがまったくあきらかにされていないところに手記に不自然なものを感じています。
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(次回につづきます)

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