もう過去のことなので
書くけれど
 
 
日本にいた頃、
富裕層が多いエリアに住んでいて
 
色々な経験をした。
 
 
 
 
例えば
「あら、あなたのカバンは新作の〇〇?」
 
「あの方は、何でいつも同じサングラスを
してるのかしら?(お金がないのかしらね?)
 
 
みたいな事を
素で言っちゃうような
ボスママ的な人がいたり。
(おもろすぎるだろ)
 
 
 
同じ区内にも
ヒエラルキーがあり
 
「あの方は(どうせ)〇丁目に住んでるものね..(うちより格下ね)
 
 
などなど
なかなか香ばしい会話に
混ざった事もある。
 
 
 
 
 
でも、こんな
韓国ドラマみたいな人達は
ごく僅かで
 
滅多に遭遇できない
四葉のクローバーのような存在。
(急に素敵になった)
 
 
 
住人の殆どは、残念ながら
素敵な方ばかりである。
(ごめんあそばせ)
 
 
 
なんてったって
石を投げたら東大卒業生に当たる
と言われているような
エリート集団の住処だ。
 
 
更には
MIT、ハーバード、スタンフォードの
卒業生も
 
大きめの岩を投げたら当たる
くらいいるし
 
世界の大企業の社長や
貴族まで、コンニチハ。
(勿論、鳥じゃない方の貴族です)
 
 
 
 
言っておくが
「凄い人と友達なんだぜ、俺」
みたいな自慢をしたい訳ではない。
 
(むしろ、苦手な人種です)
 
 
 
ボリュームを
限りなくゼロに近い1で言うと
 
札幌ビューティーアート専門学校卒
の私は(ググらないで下さい)
 
間違って混ざってしまった
アウトサイダー的な存在だったと、
今なら思う。
 
 
 
でも、
アウトサイダーだからこそ
インサイダーよりも
 
色々な違和感に
気づくことが出来る。
 
 
 
今回は、多くの気づきの中で
一番の学びになった事を
シェアするでやんす。
(急に語尾きもw)
 
 
 
 
 
それは
本物の法則
 
 
 
 
本物と言っても
色々な本物がいるけれど
 
全てに
割と共通してると思ってて
 
 
一流(本物)な人は
 
自慢しない
マウントしない
意地悪しない
寛容
 
ということである。
 
 
 
裕福層であっても
コンプレックスがある人は
(本物の自信がない人)
 
 
マウント
自慢(大した事ないのに凄そうに話す)
挨拶しても無視
こっちの懐事情を探る etc...
 
 
見た目は綺麗にしていても
中身がとても下品なのである。
 
 
 
 
 
分かりやすい実体験を出すと
 
無名の元モデルとか
驚くほどツンツンしてて
偉そうだったけど
(だから売れねーんだよ)
 
誰もが知る大女優は
とても愛想が良く素敵だった。
(人間力おばけ)
 
 
私達の起業した話に
興味を持ってくれたり
 
褒めてくれる人も
本物の人だった。
 
 
(本当に良いと思っているかは置いておいて)
本物は、相手を褒めたり
優しくする余裕があるのだ。
 
 
 
 
そして本物というのは
経済力だけではない。
 
 
例えば
本当に幸せな人
本当に自信がある人 etc..
 
全てに当てはまる。
 
 
 
本当に幸せな人は
自分が幸せですアピールしないし
他人にも優しい。
 
本当に自信がある人は
自分が凄いと自慢しないし
出来ない人を見下さない。
 
 
 
だから、
そういう人を見るたび
 
「本当は満たされてないのか」
「本当は自分に自信がないのか」
 
と思っている。
 
 
 
生き方のセンスや生き様は
意外とお金で買えない。
 
 
 
私含め、
全ての人が一流の人間に
なれる訳ではないし
 
なる必要もないけれど
 
せめて、
他人を見下したり、
自分を凄そうに見せるといった
 
ダサい生き方だけは
したくないと思うのである。
 
 
 

👠Asami's Pole Lounge

 

 

先日、

気になるスレッズがあった。

 

 

高校生の娘がいる

あるお母さんの投稿。




 

 

カフェで3歳の子供が

ミルクをこぼして

 

高校生の娘のお気に入りの上着に

少しかかってしまった。

 

子供の母親に

かかってないか聞かれた時に

 

娘は、かかった部分を隠して

「全然大丈夫です!」と言った。

優しい子に育っている。

 

みたいな内容だった。

 

 



確かに優しいけれど

お気に入りの物が汚されたなら

相手に正直に伝えてもいいと思う

 

が私の率直な意見だけれど

 

人それぞれ考えが違うし

その子が決めたことなので。

 

 

 

私が気になったのは

絶賛の嵐だったコメント欄だ。

 

 

 

内容は

 

優しい!素晴らしい!

とても良い子!的なものばかり。

 

 

この褒め言葉を紐解くと

 

空気を読めたこと

我慢できたことに対して

優しい!良い子!と褒めているのだ。

 

 

 

 

その子が我慢したいなら、

したらいい。

 

だけど

我慢出来る=良い子

なのだろうか?

 

我慢出来て、空気を読めるのが

優しいのだろうか?

 

 

自分が我慢してまで

誰かに優しくするのが良い子?

 

子供がそうなったら

親として嬉しいことなの??

 

 

 

私は、自分を犠牲にしてまで

他人に優しくするべきとは思わない。

 

 

なぜなら

自分を大切に出来ない人は

 

他人にも

心から優しく出来ないからだ。

 

 



優しい人になりたいなら

まずは自分を大切にする事から。

 

 

そして、

嫌な時に嫌だと言うのは

全く悪い事ではないし

 

言わない人が

いい人、優しい人

だとも思わない。

 

 

 

 

だから、スレッズの中で

その子が良い子だと絶賛され過ぎてて

正直、気持ち悪かった。

 

 

その子が

気持ち悪い訳ではない。

 

我慢できる、空気が読める子が最高

というその空気感がだ。

 

 

 

 

その価値観が植え付けられると

 

嫌な事をされた時

 

感情を抑えきれず

つい出してしまったら

 

"自分は我慢できないダメな子だ"

と思ってしまわないだろうか。

 

 

 

感情を持つのは当たり前のこと。

 

だから

嬉しい時は素直に喜び

 

嫌な時は、

その嫌な気持ちを

 

相手へどう伝えるか?を

学んだ方がいいと私は思っている。

 

 

相手に悪気が

無いこともあるから

(今回のミルクの件もそう)

 

感情的にならず

リスペクトを持って

自分の気持ちを言語化する。

 

これは

褒めるよりも

よっぽど難しいから

 

訓練が必要だと思う。

 

 

 

 

 

人は人、自分は自分なので

どうでもいいのだが

 

あまりにも

我慢できる事が絶賛され過ぎてて

書かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

👠Asami's Pole Lounge

 

 

息子がバルセロナの
バレーボールチームに入ったのが
去年の9月。
 
 
 
それから3ヶ月後の
去年12月末に
4泊5日の遠征試合があった。
 
 
 
息子は最初
参加するか迷っていたけれど
 
「迷ったらGo」が我が家の教訓
ということで参加することに。
 
 
 
 
 
息子はスペイン語が
ほぼ話せなくて
 
チームメイト達と
コミュニケーションが取れてるのか
私も今だに分からない。
(なぜなら親は練習を見れないから)
 
 
 
 
そんな息子が
現地の人達に混ざって
 
4泊5日過ごすというのは
とても勇気のいる事だと思う。
 
(私なら出来ない)
 
 
だから
その決断をしただけでも
本当に誇らしい。
 
 
 
 
普段は試合のチャンスが
あまりない息子だけど
 
全員遠征に行く訳ではないから
試合に出るチャンスもありそう!
 
と、楽しみで仕方がなかった。
 
 
 
 
が、当日になると
息子本人よりも
 
母(私)の心配が
止まらない止まらない。
 
 
 
私は、異国の地で
 
言葉が分からず仲間に入れない
という経験を何度もしている。
(今いるスペインでも勿論ある)
 
 
自分の時は
少し寂しいけれど仕方ない
で済むところが
 
息子のことになると
自分のことの
10倍悲しくなる。
 
 
何度も言うが息子ではなく
私がだ。
 
 
 
 
当の本人はそうでもないらしい。
 
でも私が勝手に
一人で心配してるだけ。
 
 
 
 
 
遠征には親も行くのだが
ホテルは別で
 
会場に行く時に少しと
試合中に客席から観るくらいしか
息子に会う(見る)機会がない。
 
 
 
遠くの客席から
息子を眺めるたびに
 
ダルシムのように手が伸びれば..
と何度願ったことか。
(スト2世代)
 
 
 
 
試合中は
心配に加えて
 
チームが勝った喜びや
負けた悔しさなども入ってくる。
 
 
その喜びや悔しさも
自分のことの10倍なのだ。
 
 
1点取られるだけで
地団駄を踏むほど悔しくなるし
 
1点取ると
飛び上がって喜んでしまう。
 
 
 
そして息子が
試合に出ると、これまた大変。
 
 
どうか失敗しませんように
という気持ちと
 
失敗してもいいから
思いっきりやるんだ!!!
という対極な気持ちが入り混じり
 
言葉では表せない気持ちに。
 
 
 
 
 
小さい事でも
死ぬほど心配になり
 
いつでも涙腺崩壊する
準備はできでいる。
 
本当にメンタルが忙しい
5日間だった。
 
 
 
 
 
誰だよ、母は強し
とか言ったやつ。
 
激弱じゃねーか。
 
 
子を持つ前の方が
よっぽど強かったわい。
 
 
 
 
ここで一句。
(なんでよ笑)
 
 
喜怒哀楽
すべて10倍
母親心。
 
 
 
 
真顔
 
 
遠征を終えた息子に
来年も行きたいか聞いてみたら
 
「行きたい」とのこと。
 
 
 
あぁ、また1年後
このエモーショナルな5日間があるのか。
 
息子よりも
私にとっての方が過酷だ。
 
 
 
 
 

👠Asami's Pole Lounge

 

 

2026年の初夢を

今でもはっきりと覚えている。




私、夫、子供達で

怖い人の車に乗せられ

密輸の手伝いをさせられていた。

(今思えばツッコミどころ満載なのだが

華麗にスルーお願いします)




夫「この仕事は明日終わる」

私「でも終わったら私達は殺されるよね?」

夫「そうだね..」



こんな最期の迎え方最悪だぁぁあ!!

と私が泣き叫んだ所で

目が覚めた。




とても怖い初夢だった。





だけど、目が覚めたときに

生きてる事が嬉しくて


平穏な日常に

とてつもない感謝も生まれて


今までの悩みが

全てちっぽけに思えたのだ。




そう、

大切な家族がいて

みんな健康で生きていれば


それ以外のことなんて

何てことない。


ハナクソである。

(うちの10歳息子が今だに喜んで使う日本語である。

いつ辞めるのか)



それなのに

当たり前の幸せに目を背け

人間はどんどん欲が出てくる。



欲があるのは悪くない。

むしろ、私はいい事だと思う。



だけど、

既に手に入れている

大切なモノの有り難みを実感せず


実はそこまで大切じゃないことに

時間や労力を使ってしまうのは

とても残念な気がする。





私は、小さい事でも

結構クヨクヨ悩むけれど


自分の"一番"大切なものに

心から感謝できていれば


多少の悩みなんて

どうでもよくなってくる。




失敗も恥も怖くないのだ。




そんな当たり前の事に

気付けた2026年の始まり。



目覚めた時は

「何て不吉な夢だ..」

と思ったけど


結果、私の軸を

強くしてくれたようだ。



新しい場所での挑戦を

少し躊躇していた自分には

有難い夢だった。




新しい一歩は

いつも怖く、

失敗したら恥ずかしい。



そんな悩みは

この夢で吹き飛んだのである。





👠Asami's Pole Lounge

 

 

新しい事を始める頻度は
そこそこ高い方な気はする。


それでも、
やる前に「面倒臭いなぁ」
という気持ちがない訳ではない。


反復横跳びを突然やらされる
くらいの面倒臭さはある。
(結構いやなやつ)



優先順位や価値観も変わり

刺激よりも、心地よさ
広く浅くよりも、狭く深く

人間として
より深みを増す時期だと思うけれど

その分、新しい事には
躊躇しやすくなるのも事実。




新しい事を
しなくてもいいけれど

私は定期的に
新しい環境に身を置き
新しい人と会う事が好きだから

今後も続けていきたい。



だけど、ちょっと面倒くさい。


この
"やりたいけど少し面倒"

という気持ちは


私がアートクラスで
新しい絵を描き始める時
にとても似ている。


新しい絵を描くことは
楽しみなのだけど

真っさらな紙に
全体の大きさをザックリ描いて..

という、
完成まで、まだ遠い
この工程は少し面倒くさい。





ある程度、仕上がり
見栄えも良くなり

細かい所を
調整していく工程は
とても楽しい。



何かを始めた直後よりも

少し上達したり
少し慣れてきた時の方が

より楽しいのと同じだと思う。






私は週一で
アートクラスに行っていて

大体3-6日で
一つの絵を完成させる。


だから
1-2ヶ月に一度

"やりたいけど少し面倒"
という壁にぶつかる訳なんだけど。



これが
物事をゼロから始める為の
いい訓練になるのではないかと
最近、思っている。



人は何事も
続けていれば慣れるものだ。


だからアートクラスで
"やりたいけど少し面倒"
を続けていく事で


アートも上達するし

ゼロから始める事への躊躇も
少なくなるのではないかと。

だとしたら
正に、一石二鳥。



いつの間にか
「歩くつもりが
反復横跳びしちゃってたわ〜」

くらい気軽になればいいな。
(例えの癖強い笑)




👠Asami's Pole Lounge