こんにちは
今日は、前回に引き続き、
【父が今に至る経緯】や
【当時の父の様子】
などについて書いていきます
【父が今に至る経緯1】につきましてはコチラ
☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*
急性期病院を約ひと月ほどで退院した父は、
回復期病院であるリハビリテーション病院に転院しました。
県内にいくつか回復期の病院があったので、
母と私で見学し、説明を受け、
病院の空間の雰囲気や場所を確認
けれど、やっぱり最初にココ
と、感じた場所がすごく良かったので
そこに申し込みすることに決めました
(やっぱり直感は大切ね)
そのリハビリテーション病院の場所は
自宅から1時間と少しかかる距離なのですが、
父が長期に渡って(父の疾患では最大180日)
お世話になる場所なので
やっぱり空間の良い場所がイイと感じて
そのリハビリテーション病院に申込をしました。
さて、このリハビリテーション病院で
お世話になることが決まった父ですが、
点滴だけは外れていましたが、
他の管はついたままでした。
この回復期の病院でのリハビリが、
今後の生活に大きく影響することはいうまでもありません。
本人は覚醒状態が低い時が多く、
『どうこうしたい』という意思表示がなかなか出来なかったので、
家族で色んなことを決めていく感じになりました。
(けれど、父を話の中に入れない訳ではありません
理解はしてると思っていたので、ちゃんと話をし、
覚醒状態が低ければ、何日もかけて伝えて、
本人の了承を得るという形で進めていきました。
家族であっても、自分以外のことを決断するというのは
そう簡単なことではありません
それに、家族がそれを決めたとしても
伝えればちゃんと伝わることのある父に
何も伝えないのはやっぱり違うなと私は思いました。)
リハビリをどういう風にしていくか、
体につながってる管をどうしていくかが、
課題でした。
リハビリは装具を着けて歩かせてもらったり、
お手洗いに座らせてもらったり、
ベッドの上で拘縮予防のストレッチをしてもらったり、
坐位の練習をしたり、
口周りの筋肉のマッサージをしたり、
口腔内の舌や嚥下訓練をしたりする毎日。
父のような脳の病気の人は、
体を休めることもとても大切なようで、
しっかり体も休めます。
体を動かすリハビリは、かなりしんどいようで、
乗り気ではありませんでした。
なので、リハビリの先生はすごく大変そうでした
父はもともと細いからか、
担当のリハビリの先生は女性の先生
足に装具を付けているとはいえ、
大の成人男性を後ろから抱え、
一緒に歩くのは相当大変だったのではないかと思います。
非協力的なら、なおのこと大変だっただろうなぁ
とその当時から思っていました。
歩くリハビリの時は、サポートと応援も兼ね、
父と手を繋いだりしていたのですが、
気にくわないとすごい形相で
物凄い力で手を握ってくるので
負傷するかと危機感を覚えました
けど、それがその当初の父の最大限の自己表現でした。
したくないモノはしたくないんですよね。。。
(体もしんどいですしね。)
父は、急性期病院でお世話になっていたときは、
覚醒状態はかなり低かったように思います。
リハビリもされるがままな感じに近かったように思います。
回復期のリハビリテーション病院でお世話になりはじめてから、
父の覚醒状態は低いなりにも、日々のリハビリによって
(立たせてもらうことによっての足の裏からの刺激)、
父自身が父自身の状況を把握出来るようになったんだろうなと
思っています。
私は父のような病気になった人は、
リハビリもとても大切ですが、
それと同時に心のケアがとてつもなく大切に思います。
病気によって、動かせなくなった体、
覚醒しているか覚醒していないかどうかも分からない。
目覚めてから自分の現状を知って、夢ではないか
何が起こっているのか分からない
そんな状態でただただ起こっている現実を
受け止めきれないことも多いと思うからです。
最近になって、漸く自分から頑張ろうと思えるように
なってきた父ですが、あの当初を思い出すと
想像を絶する出来事を受け止め、
そんな状態でも生かされていることを受け止め、
生きていくというのは言葉で表現出来ないくらいのことだったと思います。
今日は、何だか話もあちこちにとんで
まとまりがない文章になってしまいました
長くなりそうなので、次に続きます
☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*・゜☆.:*・゜☆.。.:*
今日もブログにお付き合いくださった皆さん、
ありがとうございます