下り坂を歩いていた夫が、突然、小走りになって小川に架かる橋へと向かった
と、「おいで おいで
」と声をあげた
足早に近寄ると、川面を見ていた夫が、「いたか
と思ったら、アメンボだったわ
」と呟いた。
釣り好きという訳ではないが、なぜか、橋から川面を眺めることの好きな夫は、橋を渡る度に欄干に立ち寄り、じっくりと魚影を探し求めている 水が澄み、川底まで見通せるこの場所は、かなりのお気に入りだ
また、大きな二つの池を八の字に囲んだ遊歩道も格好の見学スポットだ
この池には、「池の主」とも言える巨大な鯉がたくさんいる 遊歩道の柵にもたれて覗き込むと、緋鯉はすぐに見つけられるが、真鯉は簡単には見つからない
池の水の色に紛れているからだ。 紛れているからこそ、木の上から狙う天敵のカワウからも見つけられにくいのかもしれない
大勢の人の中に埋もれるようにして存在している青年 「男」という殻に包まれながら、内にある「女」を意識しているトランスジェンダーの青年は、「性差」という天敵から逃れようとしているのだろうか
『Blue』(川野 芽生)の主人公は、「正雄」として生まれ、高校時代は「真砂(まさご)」として生き、「眞靑(まさお)」としてコロナ禍の学生時代を過ごす。
ずっと、物語の底にあるのが、アンデルセンの『人魚姫』の話だ 高校
の演劇部で、彼が演じたのは、オリジナル脚本の人魚姫役だった
人魚姫の願いはどこにあるのか
・・・王子からの愛か
不滅の魂か
・・・ メンバー達と議論を重ね、彼らなりの舞台を創りあげていったが、毎日が「人間のしあわせ」から遠いと感じる自分と人魚姫を重ねていたことに彼
は気付く
男友だちの中にいて、自分も「男」として扱われることを棘が刺さったように感じていたからだった
「人魚姫の眼は矢車菊の靑。その眼は天の光に焦がれていなかったのではなかったか からだは魚なのに、頭は人間だった彼女は」 社会規範の中で揺すぶられ続ける現実。辛い心の内を誰かに「話す」ことは、心を「放す」ことに繋がったのだろうか
作家でもあり、歌人やエッセイ、評論と幅広いジャンルで活躍されている川野さんのこの作品は、170回の「芥川賞候補」にあげられている