八月の終わり。
カレンダーには「処暑」の二文字が並び、
季節はそろそろ涼しさを見せるはずなのに、
現実は全く違う。
世間では40℃を超える地域が。
もちろん神奈川も、
狂ったように暑い。
目を覚ました瞬間から熱気がじわりとまとわりつき、
夜になっても部屋の隅に残暑が潜んでいる。
そしてふと気が付く。
神奈川と福島の暑さが微妙に違うこと。
一方で同じものもある。
わたくしの毛根が、
そろそろ限界を迎えようとしていることだ。
酷暑と抜け毛
1.孤独な福島
福島での単身赴任生活は、
文明を遠ざけたミニマムライフ。
冷蔵庫もレンジも炊飯器もない。
昼間の太陽は、
そんなわたくしを容赦なく攻撃してくる。
窓際に立つと、
壁の向こうから熱がにじみ出てきて、
Tシャツは汗で地図を描く。
孤独に耐えていると、
ふと床に落ちた一本の抜け毛が目に入る。
その瞬間、
わたくしは聞いてしまった。
――「俺も一人だよ…」
抜け毛の声だ。
床に落ちた一本が、
小さなため息をついたように見えた。
「お前もか」
とわたくしは思わず声をかける。
孤独な部屋、
孤独な暑さ、
そして――
――孤独な抜け毛。
わたくしは彼を「抜け毛1号」と名づけ、
ゴミ箱にそっと入れた。
2.喧噪の神奈川
神奈川に戻れば暑さは激変する。
朝から晩まで死ぬほど暑い。
リビングには家族が集まり、
エアコンの温度を巡って議論が勃発する。
「暑い!もっと下げろ!」
「扇風機の風がこない!」
「誰だカーテン開けたやつは!」
ふだん不在のわたくしの声は、
ここでは完全に無視される。
冷凍庫のアイスは朝から大人気。
冷たい麦茶もあっという間になくなる。
ここは朝から晩までお祭り騒ぎだ。
だが恐ろしいのは夜の風呂場である。
排水口を見下ろせば、
そこには髪の毛のカーニバルが広がっていた。
わたくしの黒々とした(かつて黒々としていた)毛だけでなく、
家族全員の髪の毛が絡まり合って大渋滞。
そしてここでも声がした。
――「おい押すなよ!」
――「ちょっと待て、俺まだ流されてない!」
――「家族サービスだぞ、全員一緒に排水口だ!」
ここは温泉旅館の宴会場か?
抜け毛たちの大騒ぎに、
苦笑するしかなかった。
3.毛根戦線
夜。
布団に入ると、
毛根から声が聞こえてくる。
「おーもり隊長!頭皮が暑いです!」
「毛穴防衛ラインが崩壊寸前です!」
「誰かが犠牲にならないと持ちません!」
「頭皮が熱暴走! 至急冷却を!」
こんな声が聞こえてくる時点で、
わたくしは深刻な病を抱えているのかもしれない。
だがなんでだろう。
この声を聴くだけで、
涙が止まらないのは...
「まだ抜けるな!もう少し粘ってくれ!」
我が毛根たちは、
なんと忠義に厚いこと。
「おーもり隊長、我々はこの頭皮のために尽くします!抜け毛となっても誇りは失いません!」
そして次の瞬間、
一本の勇者がスッと抜け落ち、
英霊となった。
わたくしはその英霊を黙って見送るしかなかった。
頭皮の上で繰り広げられる小さなドラマは、
わたくしの夏そのものだ。
4.夏が終わっても
時間が経てば、
いつか秋が来る。
この孤独な暑さも、
喧噪の熱気も、
静かに消えていくだろう。
だが抜け毛は減らない。
下手したら増える。
毛根戦争は終わることを知らない。
「おーもり隊長!わたくしたちは隊長を裏切りません!万が一先に抜けても、ここにいた証は残します!」
ありがとう。
毛根たちよ。
なんて忠義深い毛根たちなんだ。
できればその忠義を、
抜けたあとではなく、
抜けないようにして欲しい。
そうすればわたくしは、
もっとフサフサなのに...
わたくしの頭を見ても、
誰も君たちの忠義を信じる者はいない。
むしろ毛根に裏切られたと思われてもおかしくないだろう。
だがわたくしは違う。
わたくしは忘れない。
この夏を共に戦った、
君たちの忠義を。
そしてこれからも共に戦おう。
なぜならば我らは、
共に戦い続ける戦友なのだから!
また
ごはんおおもり
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