ちょっと時間は経ったけど
それはいつだって考えていなきゃいけないから
想いを表すのはいつでもいい。
8月15日
バンキシャ、みましたよね。
みました。
で、その昼間に。
戦争を知らない世代と、経験した祖母の温度差を描いた自主映画を見たの。それは本当にたまたま。友達にすすめられて。
内容はありふれてる。
戦争なんかわからなくて、知らなくて。
空襲で亡くなったご先祖さまのお墓参りをすっぽかす主人公。友達との約束を優先して、おばあちゃんに酷いことを言ってしまう。
だんだんと罪悪感が増していく。
主人公は、学校の先生に相談をして、ある場所へたどり着く。
そこは東京大空襲の資料が保管された資料館。
その資料館で戦争体験者の話を聞き・・・
まあ、そんな話。
そして、その夜のバンキシャ。
そこで取り上げられたある取り組み。
広島の高校生が戦争の記憶を油絵で残していく活動。
その中で語られる言葉。
「広島の子どもだから描ける」
「広島の子どもとしての使命感、責任感」
この言葉に、ものすごく衝撃をうけた。
そしてそれならば、と。
わたしは、何者だ。
ヒロシマ、ナガサキのある国で生まれた日本人だ。
これまでしょーちゃんが伝え続けてくれた数々の言葉。
取材や手記で戦争に対する解像度をあげてくれた。
それらが私の中で連綿と積み重なる。
その想いがある強さを持って動き出した瞬間。
今しかない。
まず、関東に住む私ができる、最初のこと。
東京大空襲
1945年3月10日
空襲の資料が保管されている資料館がある。
わたし、この資料館のガイドボランティアを始めました。
まだまだ何もできないけど
自分の関心に従って、少しずつ勉強していく。
例えば、「防空法」って知ってますか?
焼夷弾で火災が発生したら、男性は逃げてはいけない。
防火用水で消火活動をしなくてはいけない。
でも焼夷弾はかなり強力。
どれだけ自分たちに被害がなく効率よく焼き払えるかをアメリカが研究し尽くした武器。
スライム状のガソリンが詰められていて、燃料が液体状じゃないから、皮膚や家屋にくっつくと簡単には振り払えない。
それをバケツの水で消すなんて、絶対無理。
でも、防空法のせいで逃げることは許されない
逃げたら、罰金。
そんな無茶な法律があった時代。
そして、焼夷弾。