夏の暑さの名残がまとわりつく夜。

ささやかな虫の声は欠けていく月を愛でるにはお誂え向きのBGM。湿度の高い夜気の中、ふいに心地よい風が頬を撫ぜる。


風呂上がりの五郎は季節の移ろう感触を楽しみながら縁側で晩酌をしていた。



そんな彼の後ろから、五郎と入れ替わりに風呂へ入り、そして上がってきた二郎の声が聞こえてくる。ぺたぺたと近づく足音に『あちぃあちぃ』といいながら上裸でうちわの二郎は、自分用の缶ビールを手にして五郎の隣に座った。





「もー、二郎くんってばまたそんなカッコでー。虫に食われるよ」


「蚊のヤツ、暑すぎてあんま活動出来なかったらしいよな、今年」

「なんかそんな話もあったね。涼しくなったら出てくるのかなぁ」




カシャッと小気味よい開封音を響かせ、五郎気に入りのロックグラスにカチリと挨拶。



「おつかれぃ」

「うん、お疲れ様です」



ごくごくごくごく……と、まるで効果音の文字が見えるのではないかと思えるほどに喉仏が上下する二郎をみて、五郎はなんとなく幸せな気持ちになる。




「ふぃーっ!染みるなぁ!」

「相変わらず美味そうに飲むね」

「風呂の後は割増でうめぇからな!」



酒好きな二郎だが、種類にこだわることなくなんでも美味そうに飲む彼は、ヘタなこだわりを見せる愛酒家より余程楽しく飲める相手だ。



「二郎くん、それ飲んだら、こっち飲む?」




と、五郎がすすめるのはちょっと特別なウイスキー。




「お、『舞賀』さんじゃないですか、悪くねぇな」

「ふふ、久しぶりにね。どうやって飲む?ロック?割る?」

「ロックかなぁ」





二郎が『舞賀さん』と呼ぶウイスキーは、この家を建てた今から26年前、舞賀家兄弟たちの父親が『大人になったらみんなで飲もう』と、家を建てた記念として樽買いした思い出の品。一郎から五郎まで、それぞれの成人のタイミングでボトリングして送ってもらってきた。全員が成人して以降、わざわざ取り寄せるタイミングもなくしばらく寝かせてきたものだが、樽のオーナーである父親が不在になったことをきっかけに、全量を引き取ろうと兄弟で決めた。


日々の生活の中で、なにかの記念日に、みんなで少しづつ大切に飲んできた。


これが、最後の1本。




「じゃあ僕用意するから、三郎くんに飲み方、聞いてきて?」

「おう、兄さんと四郎は?」

「二郎くんがお風呂入ってる間にコンビニ行ってアイス買ってくるとか行って出ていったから、一郎くんが道草食ってなければ…そろそろじゃないかなぁ」

「アイス買ってるなら、溶ける前に四郎が連れて帰ってくれるだろな」



そうして、五郎は弾む気持ちでキッチンへ。遅い時間だけど、せっかくならと、ツマミを用意するために冷蔵庫を開けた。




二郎は自分と入れ違いに風呂に入った三郎に声をかければ




「オレ、ハイボール!えー!みんなで飲むのひさしぶり!すぐ出る!」

「いやいや、ゆっくり入ってろって。酒は逃げねぇから」

「そしたらいっちゃんとしろが帰ってきたらすぐ教えてよ!」

「了解」




二郎はこうして兄弟が集まりたがることに幸せを感じていた。
そしてそれは、兄弟全員も。



程なく、一郎と四郎は帰ってきたが、すでにほろ酔いの2人。帰り道にすでに缶ビールを空けたらしく、アイスと一緒に空の缶が2つ。




「兄さん、ご機嫌じゃん」

「しろが甘えてくっからついついなぁ」

「そっか、最近アイツ忙しくしてたから、久しぶりに一緒にのんびりできるのが嬉しいんだろうな。……まぁ、それは、四郎だけじゃないってことも、重ねて、お伝えしておきますけども」

「ん、わかってるよ」



そして、そんな兄たちに愛されていることを疑わず、同じく愛情を返すことを惜しまない三郎、四郎、五郎。




「おじさんチーム!ほらほら飲むよ~!」

「お兄さんな!」




上の兄2人は、弟たちのことがいつまでも可愛くてしかたない。
こうして酒を酌み交わす年齢になったとて、いつまでもそれは変わらない愛おしさなのだ。





兄弟がそろえば、賑やかに、そして穏やかにゆるりとした時が5人を包む。そして、そんな大人っぽい時間も長くは続かないのが、この5兄弟。





三郎のハイボール用に用意された炭酸を二郎が噴き出させてしまい、兄弟そろって大騒ぎ。



「ちょぉっとー!じろちゃん!吹いてる吹いてる!!」

「わー!なんだよこれ!ごろー!早く拭くヤツくれっ!」


二郎、三郎が騒ぎ出せば



「なにやってんだよー!もーっ!!二郎くんそのまま動かないでよ!」

「じろーちゃん、そんなに大騒ぎしないでください、一郎さんが息してません」



咎めるようなことを言いつつ、楽しそうに笑う五郎と、冷静な突っ込みの四郎。一郎は4人のそんな様子を見て、息継ぎもできないほど笑っている。




5人が揃えば、これが当たり前。




家から出れば、社会では、みんなそれぞれのポジションがある。
それなりの顔で、それなりの立場で、責任ある仕事をして。どこでだって認められて、愛されているのは間違いない。

またそうはいっても時には、不甲斐ない自分に情けなくなることもあるだろう。辛辣な扱いに憤ることもあるだろう。



でも、この5人で過ごす、健やかで甘やかな時間があるから頑張れる。これからも変わらないでいたいと、それぞれが願うのだった。







夜は更けゆく。



三郎がうつらうつらとし始めたら、お開きの合図。



「三郎さん、無駄に長い手足が絡まって誰もアナタを運べないんで、こんなとこで寝ないでくださいよ」

「んー…しろちゃんひどいなぁ、、、Zzz…」

「さぶ、気持ちよさそうだな、オイラもここで寝っかな」

「ちょっと、一郎くん!あなた昨夜もずっと作業してまともに寝てないんだから、部屋でやすんでよ!?」

「へいへい……Zzz...」

「もぉー、ったく、2人ともー」



と、不服そうな声を投げかける四郎と五郎だが、本格的な寝息が聞こえ始めると『じゃあ、僕片付けるね』『部屋から掛けるもの持ってきますよ』と、甲斐甲斐しく世話をするのも結局2人なのだった。





4人のそんなやり取りを見ているのが二郎にとって、なによりの肴である。





「五郎が成人したときに飲んだのが最後だから、もうちょい尖ったアルコールって印象だったけど、26年も経てばそこそこしっかり落ち着いてるな」

「まぁ、1999年モノですから、そこはさすがに」

「だな」




四郎が持ってきたタオルケットを二郎と手分けして、一郎と三郎にかけてやる。二郎が三郎の前髪を払ってやれば、言葉にもならない音でなにやら言うのが可愛い。




一郎の寝顔をじっと見ていた四郎が、静かに想いをこぼす。




「……ねぇ、じろーさん」

「ん、どした」

「…いちにぃは、わたしたちとここで一緒に暮らすの、なんか、息苦しかったり…とか、するのかな」

「なんで、そうおもった?」

「……なんとなく、いちにぃにとっての『自由』は、ここには無い…のかな、なんて」

「あー…まぁたしかに、物理的な自由って意味では、ここには海も山もないから釣りもキャンプもできないし、それを『不自由』といならば、そうなんだろうけど」

「そうだよね……」



なんとなく俯き加減な四郎をみて、切なくなった二郎。
自分自身の気持ちと、そして願望を含めてしおれている弟に言う。




「あのな、四郎。よく聞け?一郎くんにとっての『自由』ってのがどんなことなのかは、正直、俺はわかんねー。わかんねーけど……でも、一郎くんは、少なくともここで俺らと過ごす時間を『不自由』だとは思ってねーよ、それは、絶対」

「本当に?」

「当たり前だろ」

「…ん、そっか、それならいいんだけど」

「もし一郎くんがどっかまた旅に出たとしても、俺らのところには、かならず、帰って来てくれるから」

「うん」

「しろちゃん いっちゃんがしばらく家にいるとさ、いつも急に寂しそうな顔するよねぇ」

「え?」

「四郎はさ、予防線張りすぎなんだよな」


「五郎くん…」



いつの間にか、起きて話を聞いていた三郎と、洗い物が一段落して戻ってきた五郎がいた。




「いなくなること先読みして、勝手にさみしくなってんじゃねーぞ?」



くしゃくしゃと四郎の髪をかき混ぜて、さらに二郎は言った。




「一郎くんはさ、決めたら覆さない。だから行く時は、行く。俺らにしてみたら、これまで当たり前にそばに居た人に会えなくなったら、どんなに準備したって、その時の寂しさをゼロにすることはできなんだよ。それは四郎だって、わかってんだろ?」

「…ん」

「でさ、寂しくなることを先取りしてつまんねぇ時間を過ごすより、一緒にいられる今さ、めいっぱい甘えたらいいんじゃねーの?」

「べ、べつに甘えたいとかは、」

「えー?オレ、いっちゃんに甘えたいよー?」

「三郎さんは、黙ってて!」

「なんでだよ!」

「もー、三郎くん、ちゃかさないのー、四郎もムキにならない」

「じろちゃんは、なにニヤニヤしてんのぉ?」



その三郎のツッコミに四郎と五郎からも視線を送られた二郎。



「いや……みんなで一緒にいられるって、すげぇ幸せだなって」



そんな二郎の言葉を受けて、素直に四郎は言う。




「そーですね、幸せです、本当に」




そういって、寝ている一郎の手を握った。



「指、ざらざら…」



そう呟く四郎の片手をとって


「四郎の手は相変わらずやらかいなぁ」


と、五郎が四郎の手を取る。



「ふふ、五郎くんはいつの間にか大人の手だよね」




この尊い光景を見逃すまいと、黙って見守っている二郎を察した三郎は、静かに二郎の背を撫ぜている。




「さぶの手はでかくて熱いな」

「ふふふ、じろちゃんの手は…キレイだからなにもしなくていいよ♡」

「おい、うれしくねぇぞ!ってか、….違う、すまん、不器用で」

「いいよいいよ、じろちゃんはそのままで」



四郎と五郎は、二人の世界になりがちな二郎と三郎を、こちらもまた、羨ましくも微笑ましくみているのだった。







「心配すんな。オイラはいつでも、どこにいても、オメェらの兄ちゃんだ」

「いちにぃ…」



いつのまに起きていたのか。
一郎は四郎の手を握り返して続ける。




「どこにいても、何をしてても、オイラはオメェたちの兄ちゃんだし、オメェたちは、オイラの弟だよ」

「うん、兄さんがどこかで楽しくやってるんだろうなって思えば、俺たちもまたあえる日まで元気でいようって思える」

「もー、じろーちゃんまじめっ!いっちゃんだいすきだよー!」

「三郎さんは脈絡が無さすぎなんですよ…まぁ、それはそうなんですけど……」

「あら!しろちゃん!今なんて言ったの!?」

「なんにも言ってませんよ!五郎くんこそ、一郎さんに甘えたいんじゃないですか?」

「えー!オレも甘えたーい!」

「ちょっ!三郎さん、邪魔ですよっ!」




わちゃわちゃとじゃれる兄弟たち。

しんみりしていた空気は瞬く間にあたたかな時間にかわる。








「兄さん、ありがとな」

「おう」


「直接言えて、よかった」


「オイラも、会えてよかったよ」



おしまい