つきあいで、ドーム。
野球観に行ってきました。
ドーム来たのいつ以来?
EXILEのライブ以来な気がする。
2016だな、ほとんど10年前だ。
で、あれ?
思ったよりちかくない!?
2階スタンド、3塁側だったんだわ。
もーっとまめつぶのイメージしてたんだけど、全然ちかい!

まぁ、肉眼で顔は見えなくとも、人物の様子はわかったので、嵐の5人だとしたら、誰が誰だかわかんない、なんてことはないって確信したわ!
こうなると、もう、嵐のコンサートがドームで出来るなら、そこに入れるなら、座席の位置なんでどこでもいいって思えちゃった。
すごい前向きになれた
ちょっと、この先に書くつぶやきは、イヤな人はイヤかも。
何度か書いているけれど、わたしは『終わりが来ることを受け入れた人』なので、その視点じゃない方はイラつくかもです。
なので、自衛してくださいませね。
わたしね、『また来週ねー』って言って、二度と会えなくなった人がいるんですよ。大好きで尊敬してて、ずっと私の前で背中を見せてくれるんだ、と、なんの疑いもなかった師匠みたいなひと。
あんな別れ方はもう二度としたくない。
悲しみより、未だに怒りのほうが強い。
だって、来週って言ったじゃん。
今日の続きの練習を、来週やるんじゃなかったの?
出された課題を練習した成果、見てくれるんじゃなかったの?
なんで、どうして。
あのときああ言えばよかった?
こう言えば良かった?
って、どれほど後悔したか。
そういう想いをしたことがあるから
余計にそう思うのだろうけれど。
サヨナラの日がわかっていたら、後悔は無くせるかもしれない。
無くならないにしても、減らせると思う。
寂しい、悲しい、残念。
嫌だよ嫌だよ、別れたくない、ずっと側にいてよ。
そういう思いをゼロにすることは出来ないだろうけど。
少なくとも、やり残したこと、伝えられなかったこと、が。
減らせる、かも。
なるべく、後悔なく。
嵐が、ちゃんと、終わろうとしてる。
彼らの意思で。
彼らの選択したやりかた、ありかたで。
嵐Movieでの選曲を受け取って、より強く感じた。
こちらがいくら、いやだいやだと背を向けてうずくまっても、嵐は温かく、熱く、優しく、強く、抱きしめてくれる。
私がいくらいじけて手を振り払おうとも、嵐はファンを想って出来るだけのことをしてくれてる。
それなら、差し出された手を取りたい。
こちらからも笑顔で抱き返したい。
ありがとう、すきだよ、だいすきだよ。
あなた達が大切。
どうかどうか、幸せでいて。
そう伝えながら、残りの日々を過ごしたいな。