「とても美しい方なので、おもわず、声をかけてしまいました」
「俺が、美しい?」
「ええ、ひと目で、『見つけた』と、感じました。あなたの隣に座りたい。ご一緒しても構いませんか?」
「もちろん」
「ありがとうございます」
気持ちのいい言葉遣い。
遊び慣れた風では無さそうだし、まして、こんな雑踏のなか、看板も出さない不親切なバーに、まるで似つかわしくない上等な男だ。もし気まぐれに立ち寄ったとしたならば、あまりに不用心すぎる。ここでは視線を絡ませて値踏み、誘い、アプローチに気分が沿えば共に店を出て...となる。お互いそのつもりで声をかけ、または応じるものだが。
この男はそんな欲の匂いを感じさせない。
「私は潤、あなたのお名前を聞いても?」
「俺は翔」
「初めまして、翔さん」
「なぁ、ここに座ったならあまり堅苦しくなく話してもらいたいんだが、いいか?」
「…ええ、僕もそのほうが嬉しい」
彼は…潤は、俺に『僕のために何かカクテルを選んで欲しい』と言う。
「潤のために?」
「そう、僕、翔さんが選んでくれた物を飲みたい」
「わかった。苦手なものはあるか?」
「ないよ、なんでも大丈夫。」
「そうだな……」
初対面の俺にこんな戯れを仕掛けるとは、実は大層な遊び人なのかもしれないと思い始めた。
それなのに、警戒よりも興味。
自分でも不思議なほどに感じる追慕。
潤を見つめれば、心が揺れる。
穢れのない、けれど匂い立つ色香を感じて、アンバランスな魅力に囚われそうになる。
白く美しく、甘い香りのする魅惑的な花の名が浮かんだ。
「……カサブランカ」
「カサブランカ、それを、僕に?」
「あぁ、潤を見ていたら、純潔で高貴なカサブランカがよく似合いそうだ。それに、カクテルとしてもピッタリだな」
【カサブランカ】
ラムのなかでもヘビーなゴールドラムをベースにした黄褐色の美しいカクテル。レモンの爽やかな酸味とラムが相まって、風味の重いラムが少し軽く感じられる。さらに芳香のあるビターズ(苦味酒)である、アンゴスチュラビターズのアクセントもきいている。
「甘いラムとビターズ…僕、そんな裏がありそう?」
「裏というか、まぁ、一見爽やかそうで、その実、一度味を知ってしまったら、めちゃくちゃ重くて甘ったるい罠にハマりこみそうだな」
「まぁ、重くて甘い、は否定できないかも」
「ふふ、怖いね」
バーテンダーにカクテルをオーダーすれば、ふんわりと微笑んで、御意を示す。口数は多くないが決して無愛想ではない彼の存在も、この店の気に入っているポイントのひとつ。
「ねぇ、あのバーテンダー、翔さんのこととても気に入っているね」
「ん?なんでそう思う?」
「目を見れば分かる。翔さんを見つめるカレ、すごく素敵だから」
「その言葉を借りてみれば、俺には潤がとても素敵に見える」
「翔さん、うまいね」
「思ったことを言っただけだよ」
「翔さん、僕を素敵だと言ってくれるなら、僕は翔さんに触れたい。手を握っても?」
潤は手のひらを上に向けて、俺を誘う。
目を逸らさず、それに応えて手を添えれば、潤は俺の手をキュッと握り、そして、ふんわりと手の甲にキスをくれた。
「キマってるな、慣れてる」
「そんなはずは無いよ。大切な人への敬愛の印だから。誰にでもはしない」
「では、俺は潤に選ばれたのかな?」
「そうだね、僕が選んだ……そう言ってもいいのかな。ただ…」
「ただ?」
「いいえ……ああ、カレがこちらを伺っています。カクテルを作るタイミングを待っているかも」
そう言われて、カウンターへ視線を向ければ、心得たとばかりに手元に用意されていたリキュールを手早く計量しバーテンダーはシェイカーを振る。カシャカシャと小気味良いリズム。しっとりと輝くショートグラスに流し込まれる液体がグラスを満たていく様は、潤と俺の鼓動の高まりを表しているようで目が離せなかった。
バーテンダーが舞うようにカクテルを作る様子を見つめながら、触れた手を離さずにいる。体温が馴染んで、いつもこうしているのが当たり前かのような心地よい温かな感触。
「カサブランカでございます。お楽しみください。」
そしてバーテンダーが潤にグラスを、俺に目礼を残して去っていく。