8月25日は俺千葉記念日。
なにかお話を書きたいなぁ
でも、じゅんちゃんのお誕生日モノも佳境だし
などおもっていたところ。
急にネタが降ってきて。
どうしようもない話しを書いてしまったのです。
とりあえずあげてみようってことで
あ、潤誕生日はちゃんと、真面目なお話ですから
レコメンで『夏の終わりに想うこと』がリクエストされてた。
わたしも好きです。
何気なくわりと高頻度で聞いてたのに、その時、そのタイミングだからこそ、耳に飛び込んでくる歌詞ってあるよね。
抱きしめた夢の中で
夢の中で息をとめた
思い出が溢れ出して
始まる夏の終わり
急に歌詞が入ってきて、心のドアをこじ開けられた感じがした。
んで、落涙。
もー、すぐ泣くー。
明らかな情景を描かない聞き手任せの歌詞って
解釈によってはグッサリやられるよなぁと思い。
嵐と過ごす時間は、夢の時間なんだよなぁ、と。
息をとめたら時間はとめられるかな。
終わりが始まる…。
わたしは以前にも書いたと思うけど、『終わり』を受け入れた派(8月25日現在)なので、だからこそ、泣いて過ごしたくない。使えるものはなんでも使って、とにかく精一杯を嵐と過ごしたい。
人も時間もお金も。
それができるから、できるだけやる。
人生には優先順位があって。
有難いことに、親は元気で、贅沢はしてなくても我慢せずに緩い生活をしてくれているから、子が(私が)親の生活を支える必要が無いことが、マジでありがたい。介護もない。
人それぞれの優先順位は個人の好き嫌いだけでは成り立たないこともあるよね。パートナーやその親族、子がいればそれもだし、唯一無二の職に従事しているという矜持があれば仕事もプライオリティ高いだろうな。
仕事に関しては、自分の人生を犠牲にするほどの唯一無二なんて絶対にない、と、思ってますが。それも価値観のちがいよな。
私は恵まれた環境とか、有難いことに健康な体があって。
だから、課金も出来るし、平日の番協も申し込めるし、イベントも全国どこでも申し込める。当たるかどうかは別としても、地元しか無理、みたいなことは無いから、単純に確率は上がるよね。
これからも残り少ない嵐が活動している時間。
全力で楽しもうと思う
お話を書くこともそのひとつ