これが、相葉さんと始まったきっかけ。
あのとき、彼の持つ陽と陰の雰囲気のギャップが俺の興味ゴコロを掻き立て、恋人なんて久しく居なかったものだから『じゃあ、そーいう関係になる?』なんて、いつもの俺なら絶対に初対面ではしないような強気で誘ってしまった。
理由なんかわからない。
強いていえば、非日常だったから、かな。
とはいえ、始めてみたはいいが、相葉さんはキャンプ場に常駐している管理人として、毎日、自然の中で仕事をしている。
どうしても俺が会いに行かなければ、そうそう時間は作れない。
たまの彼の休みに街で会っても、飯を食い、酒を飲むだけ。俺の部屋に来たとしても、翌日の仕事のために泊まることはなく。
……つまり、抱き合うこともなく、また自然の中に帰っていくのだった。
梅雨の隙間のある日。
雨上がりの空気が重苦しい午後。
付き合い始めてしばらくがたち、少しずつスキンシップは深まっていきながらも、なかなか詰め切れない相葉さんとの距離感に物足りなさを感じていて。そして恋人としての自信をなくしているのと同時に、言いようもない焦燥感。
そのわけは、相葉さんから、求められている気がしない、ということ。
手は繋ぐ。たとえば電車で混んでいるときは抱き寄せて守ってくれる。もちろん、二人で過ごせばキスだってしてる。軽いとこから、ちょっと深いヤツも。キスの合間に舌先で相葉さんの唇をなぞってみれば、同じように俺の唇を舌先で撫ぜてくれる。
でも、そこまで。
誘いには乗ってこない。
彼の舌が咥内に差し込まれることは、今のところ、まだない。
なんなんだろ。
別に、ホントは俺のことなんか好きってワケでもないのかな。
たくさんいる客の遊び相手のひとり、だったりして。
その可能性は大いにありうる。
だって、あの自然の中での解放感は相当。
客だって普段とは違う環境でテンションも上がって、それに乗って相葉さんも上手にはしゃいでる。
性別問わず、彼は人気者。
バリスタとしてコーヒーを淹れている相葉さんのカッコよさはかなりのものだし。俺だって結局、そういうその場のノリ、テンションで誘うような、何人もいるなかのひとり、なんだ。
もやもやとしているけど、でもやっぱり一緒にいたい。わざわざ有給をとって、なるべく人が少ない平日のキャンプ場へ出向く。
なのに。
せっかく来たのに。
相変わらず留守番をさせられ、アイスコーヒーを渡され、ひとりでゲーム。
これならここに来なくたってよかったじゃん
と、ちょっと悲しくなっていた。
「よぅ、ひとりなのか?」
「……どーも、相葉さんならトラブルだとかで、ちょっとフィールドに出てます、ケド」
「ん、そっか。んじゃ、待たせてもらうよ」
「ハイ、お好きに。」
この人はキャンプ場でインストラクターをしている大野さん。
界隈では有名なソロキャンパー。
YouTubeチャンネルの中の人。
『リーダー』というキャンプネームで配信していて、その配信を勧めたのも、準備したのも、実は俺。
この人の空気感も実はとても心地よくて、相葉さんとは違う意味で、とても居心地がいいヒト。相葉さんより先に出会ってたら、もしかしたら好きになっちゃってたかも、なんて。
そんな大野さんにはちょっと甘えてしまって。
遠慮なく、気兼ねなく、心のままに言葉がこぼれる。
「ねぇ、おおのさん」
「んー?」
「俺、可愛いですよね」
「んははっ、なんだよ、急に」
「いや……なんでも」
「ニノはかわいいよ、オイラにとっては、甘やかしてやりたい妹みたいなもんかな」
「…妹、かよ」
「そ、いもーと」
「おおのさん、妹、いんの?」
「うんにゃ、いねーな」
「なんだよそれ、それじゃ妹の感覚なんかわかんないじゃん(笑)」
「おう、わかんね、だからこそ、オメェのこと、妹って思えるんかもな。実際を知らねぇから、オイラの気持ちとして妹、ってことだ」
「……なんか、わかんないけど、わかっちゃう気がするのが悔しい」
「んはは!悩みがあるなら、にーちゃんが聞いてやろっか?」
そういって、大野さんは俺の頭をくしゃっとしてくれて、俺を想ってくれるぬくもりに、なんだか泣きそうになった。
大野さんに誘われ、外の空気を吸うために受付の小屋を出る。
オレンジとピンク、紫と水色が混ざったような夕方の空の色。
風が強く出てきていた。
夏の間際。
また雨が降って、気温が上がって、季節は進む。
そんな独特の湿った風の香りに鼻の奥がツンとした。
じわりと涙が溢れそうになって、慌てて目をこすると、大野さんが言う。
「ニノ、ちゃんと息、吸え。しっかり空気腹に吸い込んで、その分吐き出せ。そうやって、カラダ緩めて、気持ちに素直になれ。寂しいと思えば泣いていい。ここは、そういう場所だ。自然が寄り添ってくれる。ココロとカラダを解放する場所なんだよ」
そういわれて、急に喉の奥がぎゅっとなった。
風が頬を通り過ぎた時、冷たく濡らす涙に気づく。
同時に、抑えていた想いが思わぬ熱さで溢れだした。
「うっ…」
「……ここにいてやるから、泣いとけ」
「おぉ…の、さん、俺、相葉さんが好きなんだ……ほんとに、」
「うん、アイツ、いいやつだよな、ホント」
「かっこよくて…優しくて、コーヒーも美味しくて…人気者で。俺みたいな特技もなくて、なんもできない、ゲームばっかりやってるやつ、もう……飽きちゃったかなぁ」
相葉さんの好きなトコを言う度に、俺の情けなさが俺を責める。
「毎日、楽しそうにアレコレしてる相葉さんには…俺みたいに人から言われたことを言われるままにやってる人間なんて……くだらないって思ってるかも」
あまり自分を卑下するようなことは言いたくないが、こんな風に弱っているときには抑えきれない。
そんな俺の独り言をしばらく黙って聞いていてくれた大野さんが、思わぬ鋭さで俺に言った。
「なぁ?ニノはさ、相葉ちゃんがコーヒー淹れるのうめぇから、好きなのか?」
「…え?」
「かっこいいから?優しいから?そういう、イイトコがあるから好きなのか?」
「違うよ!そんなんじゃない!俺は…俺は……ただ、」
「ただ?」
「……ただ、俺が、俺が…」
「ニノが?」
「俺が!相葉さんを好きだから!側にいたいだけなんだよぉ!」
そう吐き出したら堰が切れてしまったかのごとく、こどもみたいにしゃくりあげるのも憚らず、大野さんの前で泣きじゃくってしまった。
つづく。