「ひぃいいっ!!」

「にのー?いけるって!大丈夫!ほら!」

「もう、やだぁ!!」



なんでこんな目にあってるんだよ……

マジで、勘弁してくれ。





俺は二宮和也。


仕事は通信会社の派遣社員。

営業がとってきたネット回線の開通工事や、回線トラブルや引っ越しに伴う開通なんかで個人宅を訪ねたり、どこへでもいく…つまり、使いっ走りのサービスマン。


春先に先輩に無理やり連れてこられたキャンプ場。


暖かくなって動き出した虫だのカエルだのが嫌で嫌で、逃げ回るも、先輩が面白がって触らせようとする。





「わかったよ、にの、んじゃ、気が向いたら出ておいで」

「たぶん、向きませんので、お気になさらず」

「おいおい、そこは『はい』でいいだろぉ(笑)」




そうしてやっと地獄から解放され、キャンプ場自慢のバリスタがいるという受付で、コーヒーを飲んで今日をやり過ごそうと心に決めた。





そこで、彼と出会った。


相葉雅紀。


小さな頭にふんわりと柔らかなウェーブの黒髪が良く似合う。身長はモデル並みとはいかないが、スラッと目を引くスタイルの良さ。洗いざらしの白いTシャツに緩いデニムがめちゃくちゃ似合ってる。きっと俺のヨレヨレのTシャツにハーフパンツとは値段が何倍も違うんだろう。


バリスタの腕前はなかなかのもので、コーヒーマシンもいいものが置いてある。好みのコーヒーを淹れてくれて、なにより居心地がよく、先輩とは帰るまで合流せずに、受付の小屋でスマホゲームをして過ごすことにした。

相葉さんは『虫が嫌ならここにいていいですよ』と、こんな俺を馬鹿にするでもなく、当たり前にソファーを勧めてくれる。


そして、暑かったその日はエアコンを強くしてあるから、と、おそらく上質なカシミアの、薄くやわらかな深緑色のショールを肩にかけてくれた。


飾らない素材の良さと、ふんわりと心地よい肌触りが『この人らしい』と、率直に好ましく感じた。

接客をしている彼はさわやかな笑顔と朗らかな声でよく笑い、来場者を盛り上げてキャンプ場へ送り出していく。時にはやたら重そうなビールのタンクを担いで、ジョッキを彼のでかい手で何個も掴み、客と一緒に出て行った。



「お留守番、お願いしまーす」

「え?ねぇ、留守番ってなにするんすか?」

「何にもしなくていいです、強いていえば、お客さん来たら、待っててと伝えてもらえれば」

「はぁ…」


俺も客だけど、と、思わないでもなかったが、実際、来た客に受付の人が戻るまで待ってて、といえば誰もが合点して、ただただ、これから始まるそれぞれのキャンプを楽しみに、うきうきと待っていてくれた。


そうか。

ここはそういう場所か。


そこに相葉さんが戻ればさらに賑やかに。

そして、テキパキと受付を済ませてあっという間に彼らを送り出す。



そのざっくばらんな受付の様子とは対照的に、客足が途切れると黙々とグラスを磨き、豆をアレコレどうかしてブレンドをつくり、味見をしたり、温度を測ったり、メモを取ったり。

かと思えば、時折、俺にふいと視線を向ける。

不躾に見つめてしまっていたが、彼はそれをなにか思うこともないのだろう。


見られ慣れているのかな。


視線が合えば目元を柔らかく緩ませて、そしてまた作業へ向かう。そんな自然な仕草が『いいな』と感じた。


コーヒーをドリップしながら、膨らんだ豆のドームを見つめて伏せた瞼。縁取る長いまつげ。そして淹れたコーヒーを口に含んで遠くを見つめる美しい横顔。

ブレンドがうまくいったのだろうか、嬉しそうに頬を緩めたときに見せる目じりの優しいシワ。コクンとコーヒーを飲み下した後に吐き出すかすかな吐息。



笑顔と静寂のギャップに惹かれ、俺は彼に、自分から話しかけた。



「うまくできましたか?」

「はい、とても。」

「あの…すみません、居座っちゃいまして」

「うふふ、ぜんぜんいいですよ?いつまでいてもらっても」

「あーどうも…ええと、コーヒーって、お代わり、もらえます?」

「もちろん!あ、気に入ってくれた?」

「うん、好きな味」

「やった!オレ自慢のブレンド!相葉スペシャル!」

「あいば、スペシャル?」

「そ。オレ、相葉雅紀ね、だから相葉スペシャル!よろしくね!」

「まんまじゃん(笑)」

「ふふ、いいのいいの!ね、二宮和也さん、だよね!松岡さんとこのお連れ様でしょ?」

「すげぇ、すぐ覚えられるんだぁ」


さすが接客、と思ったものの、俺も接客業みたいなもんなのに全然覚えようとしたことないな、と、なんとなく反省。


したのもつかの間。



「なーんて、実は、気になって名前確認しちゃったんだ」

「…気になって?」



なんだろ、俺、変なことした?

確かに、キャンプ来て虫が嫌だのとインドアしてるのはおかしいだろうなぁと、思うところもあるはあるが。



「そ、かずくんのこと、かわいいなって」

「か?え、はぁ?かず、くん?かわいい??」

「うん、和也くんだから『かずくん』で合ってるでしょ?そんなふうにずーっとお家でゲームしてたら、そりゃもちもちの色白さんになるわけだよねぇ」



なんなんだ、調子狂う。

なんだよ、かわいいって、もちもちって。



「いい歳のオトコ捕まえてナニ言ってんすか。相葉さん、目ぇわるいんじゃないの?」


ふふふ、と機嫌よく笑いながらコーヒーを用意してくれている背中に言い返してみたものの、全然やり返した心地がしない。


仕事でもこんな風に絡まれることはしょっちゅうだから、『はいはいどーも』と、ザクザクッと切り捨ててしまうことに慣れている…はず、なのに、このときは、言ってる内容はバカみたいなことなのに、その言葉にはそぐわないほど甘い眼差しで俺を見つめる相葉さんの瞳に、いつもの勢いを削がれてしまった。



勝手にバツの悪さを感じ黙っているところへ、相葉さんが香ばしく爽やかな香りのコーヒーを持って来た。




「ふふ、耳、真っ赤。かわい」

「ちょ…あいば、さん?」


コーヒーをローテーブルに置いたその指先の軌道が、当然のように俺へと向かう。指先が耳の縁をなぞり、その感触に腹の底がゾクッと沸き立つ。




俺的に、コレは黄色信号。


経験上、捕食者の目には敏感なつもりだった。


いつだってお互いのために。

そうならないように気を張ってたのに。

キャンプという非日常の新鮮な感覚と、相葉さんとの出会いに浮かれて、警戒心が緩んでた。




「かずくん、恋人、いる?」

「はぁ?んなの、答える義理はないですよ」

「あらら。冷たい。まぁ、それも可愛いけど。ねぇ、松岡さん、は違うよね?」

「あの人は全然ちがうよ、めちゃくちゃ可愛がってくれてるけど、そーいう関係じゃない」

「ふーん……ねぇ、かずくんには『そーいう関係』のひとは、いるの?」

「いたら、休みの日にわざわざ男所帯でこんな森ん中にはこないよ。相葉さんはたくさんいそうだね」

「ふふ、どうかな。まぁ、モテるのは否定しないけどね。」

「来るもの拒まず?」

「そんなこともないよ。でも、かずくんならオレは大歓迎だけどな」




つづく。