しばらく体育館の入口が見えるベンチから出入りする生徒たちを眺めていた。

少し暗くなり始める黄昏。
植栽によって死角になるここは。



まーくんとよくキスをする場所。



部活が始まる前に、終わったあとに。

時には休憩中にまで。



あの出入口からきょろきょろを周りを見ながらいきなり走るからせっかく隠れているのに『余計目立つ』とよく笑っていたものだ。


校舎からは記憶の中と同じように、吹奏楽部の演奏が聞こえる。

吹奏楽部の演奏をBGMにしていつまでも飽きずにキスをした。
汗に濡れたせいで冷たくなった、俺の大好きなユニフォーム姿の彼に抱き締められながら。






「俺・・・この曲すきだな」


「オレも。なんか元気になるよな」

「ね」




あの時と同じ、この曲。

たしか、夏の野球大会の応援歌だ。




吹奏楽部からのエールだね、と、智に笑いかけたけど、全然上手くいかなかった。

それならば、と、ぐっと立ち上がり意識を音楽に向けて、体育館に近づく自分の緊張を逃がすべく、口ずさんでみた。





が。


・・・ダメだ。



ここには。

まーくんがいなくなった残りの学校生活があった。



時に気が狂いそうなほどの喪失感に苛まれ、身体の震えを抑えられず、ひたすらうずくまってやり過ごした時間も少なくない。


誰にも頼れなくて、頼りたくなくて、ただただ。


そんな記憶が洪水のように溢れて俺を飲み込む。





無理やりに歌おうと頑張って深く息を吸っても肺が膨らまない。



喉が詰まって声が出ない。



足も動かない。




音楽が聞こえなくなって、意識が薄れそうになった・・・





そのとき。




智に強く腕を引かれてバランスを崩した。



その勢いのまま




「んっ!?・・・はァッ、・・・ん、んっ!」




智にキスで口を塞がれる。



唇が離れた刹那、反射的に息を吸った。
キスは繰り返される。
何度も何度も。
頬を両手で包まれながら。
角度を変えて。
深く、深く。
熱く。








「ハァッ・・・ハァ、ハァ・・・」


「カズ・・・戻ってこい」





唇を軽く触れ合わせたままに、智は俺の正気を確認した。




いつの間にか呼吸ができるようになっている。


もう少し息が整うまで智にもたれて感情の波をやり過ごす。




「ん・・・だいじょうぶ。ありがと、智」




気持ちの昂りからか、または生理的な理由か・・・。
わからないまま、いつのまにか溢れていた冷たい雫。





「・・・なにこれ、涙とまんない・・・」

「・・・つらいか?」

「そういう感じじゃない・・・」

「そうか・・・良くも悪くも、涙は人の気持ちが見える。見せてくれる。ここに、想いがあるってわかる。だから、和也が辛くなければ、そのまま流しておけばいい。オレが和也が抱えてる相葉さんへの想いを、一緒に感じてやれる・・・無理に泣きやもうとしなくていい」

「・・・想いが、ある?」

「そう、和也がどれだけ相葉さんを愛していたか、お前の涙を見れば、オレにもわかる」

「俺の涙で・・・智は、そんな俺、嫌じゃないの?」


「嫌なわけあるか。その涙も全部が和也だ」


智の懐の深さを知る度に、俺は素直になっていける。

絶対に受け止めてくれるという、深い信頼が湧き上がる。




「うん・・・そうなんだ、俺・・・・まーくんを愛してた・・・」





言いながらやっぱり涙がはらはらとこぼれていく。






「カズ、オレを見て?」

「ん・・・」

「いま、オレは和也にとって、どんな存在?オレをどう思ってる?」

「どう思ってるか・・・?どうって・・・大好きで、大切で・・・ずっとそばにいたい。・・・愛してる」

「じゃあ、相葉さんのことは?」

「まーくん・・・」

「そう、さっきも言ってた。いま、和也は相葉さんのこと、どんな風に思ってる?」




智は俺に何を言わせたいんだろう。

きっと、なにか意図がある。

わざわざ傷つけるために過去の想いを呼び起こさせるようなことはしない。


だから、素直に答えるのが一番いい。




「俺は、まーくんを・・・愛していた。心から。・・・心も身体も、ぜんぶ、まーくんのものだった」



そう。

全部がまーくんのもので、彼の全部が俺のものだと信じてた。

そしてだからこその絶望を味わった。

あの頃の俺は、だから、こんな風に智と愛し合える日が来るなんて想像もしていなかった。







あぁ・・・



そうか。






俺は今、その想像していなかった、未来にいるんだ。





「俺、まーくんを過去形にできてるよ・・・」

「ん、よくできました」






そう。


もう、まーくんは、いなくて。


二度と会うことはできない人で。

それは、ついさっき知ったこと。

俺は、ずっと知らなかったこと。

知らなかったから、彼の時間は俺と同じように進んでいると思い続けて、俺はまーくんを過去にできなかった。智と出会った後でさえ、まーくんとの幸せな時間の記憶が、俺を傷つけ続けた。


そんな風に思っていて、もしかしていつか、その恨みに変えた彼への想いを・・・愛を。またいつか伝えられる日が来るかもしれない、そんなことをどこかで願っていた。




決して叶わないとも知らないで・・・。




智に見守られて、ゆっくりと体育館へ向かう。

俺がぐずぐずしている間に夕闇が深くなり、部活はとっくに終わっていた。




誰もいない、相変わらず清潔な、いまは電気の消えた体育館。



非常灯の緑が床に映っている。

その明かりを頼りに、用具倉庫をめざす。




ゆっくりと倉庫の扉を開ける。

引き戸は重くて冷たかった。

開けるにはある程度の覚悟が必要な重さ。



おあつらえ向きだ。



もう俺は、目をそらさない。
俺自身の止まっていた時を、今に追いつかせるように。
智と生きる、今を大切にするために。




まーくんを、思い出の中に置いていく。