「ずっとさ、伝えたかったんだよ。雅紀のことが好きなんだってこと。」
しょーちゃんはそう言って、グッとストレートのウイスキーを飲み干した。
今日はしょーちゃんの誕生日。
仕事帰りの寄り道で軽くお祝いをしようってことになって、行きつけの小料理屋の『おおみや』で飲んだ。店子さんと大将にサービスをしてもらってたらふく食ったあと、しょーちゃんが『話したいことある』って言うから、じゃあ俺ん家で飲み直そうって。
オレの部屋のソファに座って、ネクタイを緩めてベルトも外して、なんなら今日は靴下も脱いで、当たり前にくつろぎながら。
『雅紀が好きだ』と、言いやがった。
「・・・なんで、いま言うんだよ」
「・・・ん」
「ん、じゃなくて、なんで今なんだって聞いてんだよ」
しょーちゃんは、ずるい。
この人、会社の同期の櫻井翔という男。
やたら顔がよく、頭の切れる、シゴデキなやつ。
でもいまはただの酔っぱらったサラリーマン、なしょーちゃんは、年明け早々に出た辞令に従って、この春には転勤で地方の支店長になる。
会社のあるあるで、転居に支障のない独身を地方の支店へ送り出す。大抵のやつはそこで結婚相手を見つけてくる。そうした社員を会社は高待遇な福利厚生でもてなす。優秀な社員が長く働いてくれる環境を整えて、本社のある都内に家族で戻ってきてもらう。
そしてそのまま出世していく。
そういう、あるある安泰ルート、いわゆる『出世すごろく』に、乗ろうとしてる。
「愚問だな、いまだから、言うんだろ」
「・・・マジでずっちーわ」
「はは、わりぃって。こんな時にか言い出せないヘタレなんスよ」
「ヘタレしょう」
「へーへー、すんませんでしたねぇ」
軽口に任せて、お互いにどれほど今の言葉が重要ではないかを演出していく。大事なのはタイミングであって、中身ではない、という逸らした意識。
オレを好きだと言った彼こそが、気合を入れて告白を、という体でないところをみると、ただ言っただけで済ませたいのだろう。
だって、あまりにも日常の会話、いつもの話題。
特別なことを話しているなんて、これっぽっちも意識してない。
・・・そんなふうに、しているから。
「んじゃあさ、オレだって言わしてもらうけど、オレこそしょーちゃんのことずっとずっとずーっと好きだったの!気づいてなかったろ!」
「はぁ」
「はぁ?じゃねーわ。なんで気づかねんだよ!にぶしょう!」
「にぶしょうって(笑)いや、悪いけど、俺は知ってたよ」
「えっ」
「だから、雅紀は俺のこと好きでいてくれてるんだろうなぁって、俺は知ってたって」
じゃあなんで言わねーんだ!?
って言葉は、かなり頑張って飲み込んだ。
だって言わなかったのは、オレだって同じなのだ。
自分勝手な苛立ちと、もどかしさが募る。
行き場のない気持ちを酒を飲んで誤魔化すことにした。
「・・・ごくっ」
「・・・・コクリ」
「・・・ごくごくごくっ」
「・・・・コクリ」
言うべき言葉を探して、オレはうっすーいハイボールを飲む。ごくごく飲む。しょーちゃんは手酌でグラスにウイスキーを継ぎ足して、相変わらずストレートをちびりちびり。しょーちゃんはオレが薄くして飲んでることを知ってるから、やたらと飲んでも止めることはしない。
・・・そーいうトコも、なんかヤダ。
「オレ、やけ酒してますけど!」
「俺、それに付き合ってますけど。」
「・・・・・・ごくごくごくごくっ!」
くっそー。
飲むぞ。
飲んでやるぞ。
「・・・ってか、今日俺、誕生日なんだけどなぁ(笑)なんで雅紀がやけ酒すんのよ」
「だってそれは・・・!」
言葉を継いだところで、オレはしょーちゃんには勝てない。絶対に言いくるめられる。それも、説得されるのではなくて、さも、オレ自身が出した答えかのように、上手く落とされる。
「それは?」
俺の顔を覗き込みながら、しょーちゃんは首を傾げる。
まあるい、ぱっちり二重の、思慮深い瞳。
この世の配慮という配慮、思いやりという思いやり、を、全部詰め込んで、聡明さと愛嬌と少しのビビりでコーティングしたら、【しょーちゃんの瞳】っていう宝石ができるんだろうな。
いま目の前でオレを捉えてはなさない、つやりと潤った瞳。
【しょーちゃんの瞳】は、それはそれは素敵な宝物だ。
そんなことが頭の中でぐるんぐるんして、ついでに酔いも手伝って、やけ酒ついでに、可愛くてカッコよくて、本当は好きでたまらないしょーちゃんに、文句のひとつも言ってやりたくなった。
「それは・・・オレがしょーちゃんをどんくらい好きかってことをわかってなくてむかつくからだよ!勝手に転勤することになっててさ、オレのコイゴコロを置き去りにしてくれちゃってさぁ!こんなんじゃほかの人を好きになることもできねーよ!マジ消化不良!!!」
「あははっ!消化不良って!それでやけ酒なの?(笑)」
「そーだよ!わりいか!」
「悪くねーけど」
「もーっ!そういう余裕なとこもー!!!むかつくんだよっ!!!!」
「・・・雅紀は、大丈夫、すぐに新しい恋ができるよ」
「そ、そんなん、しょーちゃんにはカンケーねーし!」
「そうだな・・・もう、関係なくなる・・・かな。・・・氷、もらうね」
そう言って立ち上がり、キッチンへ向かったしょーちゃんは意外にも寂しそうに、なんならちょっと傷ついたみたいな顔をして、オレは自分でふっかけたくせに、早くも後悔した。
そうだ。
だってこの男はもうここからいなくなる。来なくなる。
今日の誕生日だって、来年からはきっと祝えない。
この部屋でこうしてソファに座ってだらしなく飲むこともしなくなる。脱いだ靴下が片方無いんだと騒いでオレの靴下をはいて帰ることもなくなる。勝手に冷凍後を開けて氷を取ったり、冷蔵庫をあければいつもある、オレがしょーちゃんのために買っておいたキムチを見つけて『これ食っていい?』と嬉しそうに振り返ることもない。
【しょーちゃんの瞳】という宝物を見られるのも、あと何回あるだろう。
そう考えたら急に悲しくなって、キッチンから戻ってきて、当たり前にオレの隣に座るしょーちゃんに思わず抱き着いた。
「っわ!ぶね!こぼすこぼす!」
「ごめんしょーちゃん!ごめん!オレ、やだよ!全然関係なくない!関係なくなりたくない!」
「・・・あー、うん、俺も、それは、正直、そう思ってはいる」
抱き着いたオレを引き離すこともせず、優しく腕をさすってくれる。薄いワイシャツ越しにしょーちゃんの体温が思いのほかオレの心臓に響いた。
「しょーちゃん」
「んー?」
オレは抱きついたまま。
しょーちゃんは抱きつかれたまま。
「しょーちゃん、すきだよ」
「・・・俺も、雅紀が好きだよ」
しょーちゃんは相変わらず、シャツ越しに腕を撫ぜてくれてる。
今、体勢を変えたら、身体を離したら、あたらめて抱き合い直すなんてことにはならない。本当はちゃんと真正面から抱き合いたいけど、きっとそうはならない。だから、このまま、隣から抱きついてる体勢はちょっとわき腹が痛いけど、でも、このまま。
「・・・俺さ、雅紀のこと、めちゃくちゃ好きでさ、でも言えなくて。」
「なんで言えなかったの」
「言ったら・・・」
「言ったら?」
「・・・誤解しないで欲しいんだけど、あえていうなら・・・言ったら、気持ちを伝えたら、『先』に、進まなきゃいけなくなるから、かな」