冬の気配が最後の最後とばかりに空気を凍らせているある日。
「二宮、ちょっと面談するか」
「はい!」
職場で菊池先輩に声をかけられた。
パーテーションで区切っただけでできた、フロア奥のミーティングスペース。先輩がお茶を入れてくれて、ありがたくいただきながら、なんとなく世間話を始める。
「そろそろ仕事初めて1年になるけど、どうよ」
「はい。思ったより、ちゃんと・・・なんていうか、働けているのではないかな、と」
あたたかなカップを両手で包み、水面に視線を落として、率直に答える。1年目の仕事ぶり。自分としては悪くなかったと思う。
「そーだなぁ・・・。最初は頼りなさそうな、もちもちの中学生が来たんじゃないかって思った」
「それはまぁ、否めないところです・・・って、なんすか、『もちもち』って」
「はは!まぁ、そりゃな!ほんのちょっと前まで高校生だったんだし、それはそうなんだろうけど、でも、実のところ、二宮、めちゃくちゃ優秀でびっくりした」
「それなら、よかったです。先輩のご指導のおかげです」
「だろーっ!?やっぱ、俺のシゴデキ感ってあふれちゃって隠しきれないっつーかぁ・・・って、もー!今日はおふざけなしなの!」
「俺はなんにも言ってません(笑)」
「もぉ!にのちゃんってば!」
「先輩、本題はなんでしょうか」
先を促せば、咳払いをして普段お客様にしか見せない真面目な様子で俺に向き合って、思ってもみないことを言われた。
「あのさ・・・マジの話し、な。・・・単刀直入に聞くけど。二宮さ、このままうちの会社で仕事、続ける?」
「は?」
「いや、誤解してほしくないんだけど、俺はお前とこのまま楽しく仕事してたい。そのうえでな。最近、ちょこちょこと、プライベート話してくれてたじゃん。それ聞いててさ、もしかして、ここで仕事するより、別の方向性のほうが良かったりすんのかなって」
菊池先輩の恋人が山田主任だとわかってから、誰もわざわざ言わないけど、この営業所の人たちはみんなちゃんとわかってるんだと知った。そんな安心感と親しみから、俺も智とのことを少しずつ話すようになって。
たぶん、そういう流れの中で、何か察してくれていたのかもしれない。
でも、まだ就職して1年目。
何もできてないのに、いいんだろうか。
「・・・それ、先輩が言っちゃっていいんですか」
「どーだろ(笑)会社的にはせっかくの優秀な社員だし、手放すのはNGだろうけど、俺的には、もう二宮は会社の先輩後輩ってのとは別に、大事にしてやりたいなっておもうわけよ」
「・・・ありがとうございます。現状として、仕事はつらくはないし、幸い、先輩や上司に恵まれて全然イヤな思いもせずに仕事できてるって、ありがたいことなんだろうなって思ってます」
「だよな、二宮が辛そうに営業回りしてる様子はなかったから、メンタル病んだりとかの心配はしてなかったよ」
「ふふ、気にかけてもらって嬉しいです」
「まぁ、だから、それこそ、今どき転職なんか当たり前だし、もし別の方向を見つけるなら、それは少なからず、自分が選んだ道筋なんだから、後ろめたく思う必要はないっていうか」
「はい・・・なんか、ものすごく、ありがとうございます、です」
「ここで会社に縛り付けて今後ツライことがあったときにさ、俺がどこまで役に立てるか、守ってやれるかわかんねーじゃん。それより、せっかく縁を感じる方向があるなら、そっちに向かってもいいんじゃねーかなって」
「・・・本当に、そういう風に考えてみてもいいんでしょうか」
「いいんだよ、それで。二宮が心地よく生きてくために、『嫌な事を避ける選択で道を決める人生』じゃなくて『やりたい事をするために道を選ぶ人生』でいてほしいわけ。動かなきゃいけないタイミングって、環境の変化とか、誰かに何か言われたとか、いろんなきっかけはあると思うけど、結局は自分が決めるんだよ・・・って、コレ、つたわる?」
「はい、よく・・・よく、わかりました。」
そして俺は、4月になる前に、会社を辞めた。