年末の休みに入って、大野さんの『会社やすみなら、ここにいろ』という言葉に甘えて、アトリエに入り浸っていた。
2、3日続けて泊まって、わかったことがある。
俺は、大野さんと一緒にいることが嬉しい、ということ。
彼は作業中に手が離せないときにちょっとした道具を取ってほしいとか、支えててほしいとかで、しばしばアトリエから俺を呼ぶ。
きっと本当はそんな手伝いはいらないことはわかってる。
でも、呼ばれたら嬉しい。
心が弾む。
俺は彼の傍に行く。
カチンカチンと気持ちよく響く槌音。
順調に製作は進んでいるようだ。
大野さんから何やら言われて、目的の道具を探す。大きかったり小さかったり、最初は区別がつかなかった、いろんな道具。営業で訪ねていた時に観察していて、槌目の大きさとか、素材によって違いがあることを知った。
道具を渡す。
ありがと、と、ちらりと俺を見る。
必ず道具を受け取るとその手で俺の手をきゅっと握る。
そしてそのまま作業を続ける。
『あとでコーヒー淹れてやるな』とかなんとか言いながら。
大野さんのなにげない毎日の当たり前に流れる時間に、俺がいる。
触れられると嬉しい。
求められると満たされる。
そんな簡単なことを改めて感じられた。
そういう自分が、嬉しかった。
大晦日は実家に泊まって、一応の正月らしさに触れた。そのとき、両親から一人暮らしをひどく心配されていたことを知る。先輩にも恵まれ、お客様にも可愛がってらえて、仕事は楽しいと、それらしく話をして、家を出た息子としての役割を果たした。
『帰る場所がある』というのは悪くないものだと、家を出ることしか考えていなかった去年の自分を笑えるのは、大野さんのおかげなのは言うまでもない。
彼に実家を出た旨のメッセージを送れば『そのまま帰ってこい』と返事が来る。
「・・・帰って来いって。俺だって自分の部屋があるっつーの」
なんて独り言ちて、口元が緩む自分も悪くないと思っていた。
「おおのさーん。・・・おじゃましまーす。いるー?」
アトリエはあたたかく静かだった。
空調も電気もついているから不在ではなさそう。
呼びかけても返事がないのは防音の作業場にいるからかな。
初めてこのアトリエに来た時も、こんな風に静かなこの場所で待っていた。空気が肌になじむ・・・というのは、この場所へ来て、知った感覚。
大野さんの匂い。
無意識に呼吸が深くなっているから、身体が緩む。
外の空気はキンと冷たいが、ガラス窓ひとつでこんなにも世界が分断される。
大野さんと過ごしたこの数日。
ちょうど、『その時期』ということと、気持ちが緩んだせいか、心の奥底に沈めた、あの冬のことを思い出しそうになっている。
無意識に、あの傷跡が残る左手の薬指を口元に寄せてしまっていた。
・・・怖い。
体温を容赦なく奪う冷たいアスファルト。
涙を流した頬は、まるで氷で撫ぜられたように肌を冷やしていく・・・。
体が鉛のように重たく感じる。
もう二度と立ち上がれないのではないかと錯覚する。
目も開けられない。
息も吸えない。
心臓がぎゅうっと締まる。
そういう時は、大野さんのいろんなことを思い出してみる。
カラダのあったかさとか、握られた手の強さ。
ちょっと荒れてザラっとする指先。
淹れてくれるおいしいコーヒー。
俺を抱いた時のあの雄の瞳。
青い炎。
そういういろんな大野さん・・・を、想う。
彼がそんな俺の背中をしばらく見ていたことに気づかなかった。
「和也」
背後から声をかけられて驚いた。
「・・・っ!あ、ごめん、気づかなかった。お邪魔してます」
「・・・いらっしゃい・・・」
「・・・?どうしたんですか、変な顔」
唇を尖らせて、すねたような顔。
そんな顔のまま座る俺の前にしゃがみこみ、両手を握られた。
必然、椅子に座る俺を上目遣いに見る。
「和也さぁ・・・ここに、ただいまって言うの、イヤか?」
「え?え、べつに嫌じゃないです、けど?え?・・・ただいま?」
「んー、そうじゃなくって、アレだ。ここで一緒に暮らさねぇ?ってハナシ」
一緒に。
・・・暮らす?
「えっ!」
「ちょっと、急なことに感じるかもしんねぇけど、おれはずっと和也といたいと思っててさ」
「おおのさん・・・」
「だから、今は無理なら、時間かけていいから。考えてみてくんね?」
『時間かけていいから』と。
答えを性急に求めない大野さんが、優しくて、なんだか切なかった。
「・・・かんがえ、ます。」
そう答えた。
優しく俺の髪を梳きながら、大野さんはふわりと笑って『待ってるから』と、額にキスをくれた。
直ぐに答えを出せなかった自分が・・・悲しかった。