『海にいるよ、釣りしてたわ』




やっと通じた電話。




そして、言われた通りの場所へ向かえば、しばらく見ていなかった、猫背の後ろ姿。




「いちろーくーん!」




二郎が呼べば、振り向く一郎。
いつでも癒しのふにゃっとした優しい笑顔。
安心できる、幸せになれる。


こうして一郎の顔を見るだけで二郎は知らぬ間に背負っていた責任感から自然と解放され、そして余裕を持って弟たちに、そして自分自身に、向き合うことができるようになるのだ。




「二郎くん、しろ、ありがとな」

「ありがとな、じゃないですよ、ったく、計画性のない」


すかさず四郎が抗議の声を上げた。
すると意外なところからも同じく発言があり。


「えー?オイラ二郎くんには言ってたよな?今日帰るよって」

「・・・う、うん。」

「え!はぁ!?ちょ、じろちゃん、なんでそれ言ってくんなかったの!?」

「いや、俺が迎えに行けばいいよなって思ってたから・・・」

「そーじゃなくてぇ!みんな一郎さんが帰ってくるの待ってるんだから、そこはさすがに言って欲しいわけ」

「ごめん」

「もー・・・それに、わかってたら、俺らだってじろちゃんに負担かけないようにってどうにかしたじゃん」


言い訳も何もせず謝る二郎になにか解せない気持ちを拭えず、四郎は二郎へ詰め寄ると、一郎が口を開いた。


「しろ、やめとけ。二郎くんきっと、オマエらの生活を乱したくなかったんじゃねーかな、ちがうか?」

「どういうこと」



低くそう言って四郎は一郎へ矛先を向ける。

そんな剣のある四郎の様子すらも一郎は可愛いと感じて、やわらかく微笑む。そんな一郎のありさまに、二郎はやはり安心するのだ。


一郎の頼もしさに甘えて、二郎はこの一件について話してみることにした。


「いや、だって、五郎は今回の一郎くん帰宅については主役じゃない。だから絶対に負担かけたくなかったし、三郎は今日みたいに予定外のことあったらどうしようもない。四郎は決まった勤務時間がないからこそ、休める時に休んでもらって、もし余裕があったら一緒に行ってもらえらればいいかなー、くらい?」


そういって口を尖らす二郎はやっぱり一郎がいることでの、弟らしい仕草。


「二郎くん、オイラがいないと家族のこと、ぜーんぶひとりでどうにかしようとしちまうんだもんな・・・それはホントごめんな」

「そうだよ、俺らにもマジで頼ってよね。じろちゃんばっかりに負担かけたくないのは俺らも同じだし」

「いや、それは全然ってか、当然だし」

「んはは!『全然ってか当然』って、なんかラップみたいでカッコイイな!」

「ちょっともー、からかわないでよー!」



今度は二郎が抗議する番。



「もーほら、こんな海辺で喋ってないで、帰るよ!一郎くん、ほら、釣り片付けて!」

「怒られちったなぁ、んじゃ、しろ、手伝ってくれ」

「やだよ!触りたくねーよ!」

「ひでぇなぁ」



と、お約束のように3人でわちゃわちゃと、水がかかっただの、磯臭いだ、ベタベタするだなどと、好き勝手言いながら騒いでいるうちに、長男不在によってそれぞれが抱えていた寂しさなどはいつのまにか溶けていた。







「ねぇ、兄さん、なんであんなとこで釣りしてたの・・・ってか、どうやってあそこに移動したの?」




帰りの車内では四郎の運転で。
助手席には一郎。リアシートに二郎。



「ん?おめぇら待ってる間に客待ちしてたタクシーの運転手と喋ってたらよ、この辺はいい釣り場があるってんで盛り上がって、乗せてきてもらった」

「タクシー乗れんなら自分で帰ってきなさいよ!」


すかさず突っ込む四郎。
一郎もさすがに『そうだねぇ』と苦笑い。



「だってよぉ、弟たちの運転でドライブなんて楽しいじゃん」

「・・・え、まさかのそんな理由?こわいんだけど」



四郎はもう怒ったり呆れたりするより、一郎らしい思いつきにおもわず笑ってしまっている。



「それだけじゃねーぞ?来てもらったらそれだけ早く会える!」

「もー、兄さんにそれ言われたら迎えにきたくなっちゃうじゃーん」


二郎は眉を八の字に下げてやたら嬉しそうにしている。ミラー越しにその顔を見て四郎もなぜか幸せを感じていた。



高速を降りて一般道を走る。

低い位置にあった月が、いつのまにか高く上がっていた。




信号で止まると一郎が言う。



「今日、この3色、青赤黄の信号が設置された記念日、『交通信号設置記念日』なんだってさ」

「なにそれ!」



知識欲の塊のような二郎はすかさず身を乗り出して食いついた。



「さっきタクシーの兄ちゃんに教えてもらった」

「へぇー。運転しながらそんなことも話題にするのかなぁ。じろちゃん帰ったらめちゃくちゃ調べそう(笑)」

「調べるよ!記念日、気になる!」

「んはは!だろ?二郎くん好きそうな話だなって。んで、今日は満月。これは潮の満ち干きを気にする釣り人の知恵」

「・・・ほんとだ!道理で明るいと思った!満月か!おぉー!」

「じろちゃん、おお、じゃないのよ(笑)感心したら調子乗るよこのヒト」



順調に自宅に向かって走る車。

心地よい会話が弾む。



そんな中、一郎が言った。




「次、信号でとまったら、四郎も月見ろ」



「いいよ」


「いいから見ろ」


「いいよ別に」



見ろ、見ないよと、押し問答。




「・・・あ、もしかして」



二郎はある考えを口にする。


「兄さん、タクシーに乗って帰ってくることも出来たのにって思ってたけど・・・。一緒に、月、見ようと思ってくれた・・・ってこと?」


「んふふ、そ、キレーだかんな」

「そんなの、家からでも見えんじゃん」

「だけどよ、色んな場所で見た方が、良くね?」

「なにそれ、意味わかんない」

「一緒に月見たなって、『今日』の思い出になる。空港からの帰りに釣りして、信号の記念日祝って、そんで3人でドライブして月見してさ」

「信号の記念日を祝った覚えは無いですけどね」

「いいんだよ!祝えって(笑)」

「やだよ」

「オイラは晴れてりゃ必ず月を見てるから。しろも二郎くんも、三郎も五郎も一緒にさ、おめぇら皆で月みろ。」

「・・・気が向いたらね」

「四郎」


二人の会話を黙って聞いていた二郎。素直になれない四郎が切なくていじらしくてどうにかしてやりたいと思っていた。また離れ離れになることを憂いて、可愛げのない態度は寂しさから来ることはわかっている。


どうしたものかとため息をついた時、信号が赤に変わった。






「・・・なんで、一緒に見ようって言ってくれないんだよ」



「え?」



「なんで『皆で一緒に月を見よう』って言ってくんないんだよ!」


「しろ・・・」


「じろちゃんと、三郎さんと五郎くんと月、見て、それで!?いないアンタを思いだせって?」


「四郎、わかってるから、な」



堰を切ったように喋りだした四郎をなだめようとする二郎だが、やはり、四郎は気に入らない。



「じろちゃんはいいよ、このヒトと連絡とってるんだもん」

「しろ、悪かった。これからはみんなに連絡するから」

「そういうことを言ってんじゃねーよ!」



一郎も二郎も、四郎にかける言葉が見つからない。

しん、とした車内に、もう堪らないといった様子で四郎が叫んだ。




「オレは・・・オレたちは!!いちにぃともっと一緒にいたいっていってんの!!」



四郎がこれまでの寂しさを吐き出すように絞り出した本音。

やっと言った。

やっとのことで言えた、のに、間が悪い。

赤から青に変わる信号。



「・・・クソッ!」



たまらず二郎は危ないのを承知で車から降り、運転席から四郎を引っ張り出すとそのまま後部座へと押し込んだ。



「ちょ!もう、なによじろちゃん!痛いって!」


「兄さんも!うしろ!!」


「は?」


「いいから!!四郎と!後ろに座って!」


働き始めてからあまり大きな声を出さなくなった二郎の久々の剣幕に一郎は戸惑い、そして勢いに押されて、慌てて後ろへまわる。2人が座ったことを見届けた二郎は、そのまま運転席へ。

後ろの車にハザードランプで待たせた詫びをして、アクセルを踏みこんだ。



無音の車内にエンジンの唸りが響く。

振動が心地よく、四郎の力みも和らいだ。






「・・・いちにぃ、」


「ん」


「ごめん」


そう言って、膝を抱えて座るものだから、一郎は思わず四郎のアタマをくしゃくしゃと撫でた。

その様子をバックミラー越しに見ていた二郎。四郎は一郎の手を振り払うか、もしくはまた可愛げのない可愛いことを何か言うかと思ったが、大人しくされるがままの四郎。

それを見て、どれほど一郎との時間を欲していたかを突きつけられた。







自宅に着く頃。

四郎は一郎の膝枕で眠っていた。



「起こさなくていいぞ。このまんま暫く車にいるよ。」



そう言って、一郎は愛おしげに四郎の頬を指で撫ぜる。


そんな一郎と四郎を優しく見守りつつ、二郎は言う。


「五郎は絶対大人しく寝てないだろうし、そろそろ落ち着いた三郎も帰ってくるみたいだから、居間に布団敷いてみんなで寝ない?・・・縁側から月も見えるし」

「んはは、それ、たのしそうだ」

「兄さんの隣、取り合いになるなぁ」

「そうかぁ?まぁ、そうだとしても、明日も明後日も、みんなで一緒に寝りゃいいだろ」

「ん、そーだね」



そんなふうに言ってくれる一郎を、とても嬉しいと思う二郎。

兄の絶対的な存在感は二郎を弟にしてくれる。




「よし!今夜はみんなで月見しながら雑魚寝すっぞ!」




そういった一郎の手を、寝ているはずの四郎がきゅっと、握った。