「・・・出ません。」
「んー、仕方ない、とりあえずこのまんま向かうしかねぇか」
月が遠く輝く今夜。
絵描きの長男、一郎が旅から帰ってくるからと、空港まで迎えに行く途中、二郎が運転する車の高速道路の道すがら、助手席の四郎は一郎へ電話をかけていた。
・・・が、出ない。
コールはするものの、しばらくすると留守電に切り替わる。
今に至るまで何度吹き込んだか。
「もー、ホント自由だよね、あの人」
四郎は悪態をついて『さも迷惑だ』というような態度でいるが、それは酷く心配しているが故の天邪鬼だということが二郎には痛いほどわかっている。
「ったく、あのオジサン、我々がはるばるやって来るってこと忘れてるんじゃないでしょうね」
「オジサンってお前(笑)まぁ、忘れて欲しくはないけど、逆に俺らがちゃんと行くってわかってるからこそ・・・なんじゃない?」
「だってさ!『あと3時間で羽田着くから』とか!?アンタどこにいたんだよって!」
「まぁそれは俺もびっくりしたけど(笑)今は国内にいるのは知ってたから・・・一郎くんなら着く前に連絡くれただけいいかな、みたいな」
「はぁ!?じろちゃん連絡とってたの!?」
「あ、いや、連絡というか、五郎が舞台出るって雑誌だか新聞だかで見たらしくて『これ、五郎か?』ってメールきてさ。それ知ってるってことは、まぁ、今は日本にはいるんだなぁくらい。」
「・・・じろちゃんには連絡するんだ」
「そこは、ホラ、留守を守る年長者って事で、やらせてもらってますんで」
と、どんなにふざけた体で言ってみたところで、長男が不在時にどうしたって弟たちの不安や不満を引き受けようとがんばる次郎は、やっぱりそれはそれで弟たちにはバレバレで・・・とくに四郎には。
「・・・じろちゃんも、大変ねぇ。」
「っはは!なんだよ、急に」
「いや、だってそれこそ、本当はオレと三郎さんとで行くはずだったのに、あのひと急患だーって、つきっきりになっちゃって」
「それは仕方ないよ。三郎のおかげで助かる命があるんだからさ。」
「わかってますよ、だから本人に恨み言みたいなことは言ってないし」
「ん、サンキュな」
三郎は動物看護師で、産気づいたと飛び込んできた患畜がかさなって、先生だけじゃ手が足りないと、急遽病院に向かった。そのため四郎はひとりで一郎を迎えに出ようとしたところ、過保護な二郎が『一緒に行く』と言い出した。二郎は商社で国内外問わずあちこちで商談をするいわゆるサラリーマン。明日も早朝から出張だから休ませてあげたいと四郎は同行を拒否したが、ひとりで行かせまいと、頑として譲らなかった。
「三郎さんが無理ならごろくんが来るって言ってたんですよ?」
「それもだめ。アイツ今、めちゃくちゃルーティン守らないと、久しぶりの表舞台だし、不安なくやって欲しいから」
「そんなこと言ったら、じろちゃんもです」
「俺はいーの。体力には自信がある。」
そう言っておどけたように親指を立てる二郎だった。
五郎は駆け出しの役者で、大きな舞台で主演を務めるチャンスを手にした。それをきっかけに絵描きとして旅をしている一郎が帰国することになったのだ。
そんな理由であれば当然『オレが行く』と言い出した五郎に『お前の舞台が見たくて一郎くんは帰ってくるんだから、準備万端にしとけ』と言って、やはり来ることを許さなかった。
その点、Webデザイン、アプリ開発などなど、およそ何を主な生業にしているのかわからないが、昼夜問わず家で仕事が出来て出勤という概念のない四郎が今回は迎え役の1番手になった。
空港へ向かう道中、街並みから灯りがだんだんと減ってきて、都心から離れつつあることを知らせる。
「月、明るいねぇ」
「だなぁ」
「・・・オジサンも見てるかな」
「お兄さんな(笑)」
兄弟の中でも四郎は特に一郎に懐いていて、大人になった今でも、本当は一緒に過ごしたいのが本音。
普段一緒に過ごせないのだからこうしてたまに帰ってくる時は思い切り甘えてもいいようなものだが、そこは天邪鬼な四郎。もう次の別れを気にして初めから寂しさを誤魔化すために、可愛くない態度を取ることが、もはやお決まり。
・・・なんてことは、兄達にとっては愛おしさでしかなく、弟のそんな態度は実のところ、一郎と二郎、共通の楽しみになっている。
三郎と五郎は素直に兄に甘えたり時に反発したりするものだから、感情のままに受け止めるが、こと四郎に関しては二郎にはわりと素直なものの、なぜか対、一郎にはついては、その素直さは鳴りを潜めている。
こんな風に三郎も五郎もいない、上の兄2人と四郎の組み合わせはなかなか珍しい。二郎に対して素直になる時のように、一郎にも接することができたらいいのに、と二郎は思う。
無言の時間を月灯りが柔らかく照らす。
エンジンの振動は心地よく、助手席の四郎は顔を窓に向けて静かにしている。もしかしたら寝たかもしれない、そんな思いで二郎はカーステレオのボリュームを絞った。
微かに聞こえるラジオ。
小気味よく話す人気俳優のラジオから流れる夏の歌が心地いい。
「・・・いちにぃ、しばらくいるかな」
ラジオの曲が途切れた刹那。
四郎の本音がこぼれた。
「・・・ん、たぶん、今回は長めに家にいるんじゃない、かな」
「ふーん・・・」
運転中だから辛うじて自制したが、これは二郎にとっては悶絶モノ。こんな可愛く素直な四郎は、兄としては滋養強壮栄養補給。しかも、いまや二郎と二人だけの時にしか口にしない、おそらく四郎からは一郎本人にも呼びかけなくなっている『いちにぃ』呼び。
「早く会いてぇなぁ」
と、四郎の郷愁に誘われて二郎が何気なく呟けば
「・・・ん」
と、言葉少なに返事をする四郎。
そのあいだも、静かに車は進む。
一郎に会うために、空港にむかって