私が「ハンマークラヴィーア」に出会ったのは私が23のときである。
日本テレビのあるドキュメンタリー番組で 林美土里(はやしみどり)君の
取材を見たときである。この時彼は21か22ぐらいだと思う。
彼は難病に侵され、首をわずかしか動かせない。体の他の部分はまったく動かせない。
彼の病気はタンが喉につかえると自分の力では吐き出せないため、
そのまま窒息してしまう危険がある。
でも特殊なタイプライターを使って、1編の長編推理小説を書き上げ、
出版された。書名は「美土里くんの『ドライツェーン』」だ。
私は興味を感じ、さっそく買って読んでみた。
(なお、この本は2万5千部売れたということである。)
読み始めると冒頭にあるベートーヴェンのピアノ曲の紹介があった。
その曲がピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」だった。
それが私とハンマークラヴィーアとの出会いであった。
彼の本の記述にベートーヴェンのピアノソナタの中でいちばん規模が大きい曲とあった。
私はこの曲を曲名も含めて全く知らなかった。知っていたのは「月光」
「熱情」「悲愴」ぐらいだっただろうか。
それで好奇心を刺激されさっそくLPレコードを買い求め、聴いてみた。
演奏者は「ウラジーミル・アシュケナージ」だ。
そしてステレオにレコードを乗せ針を落とす。
曲が始まった。
冒頭を聴いて驚いた。この曲は凄い、と。
そして全部を聴いて圧倒された。こんな曲があったとはねえ、と思った。
また自分の趣味にも合っていたようである。
その後メディアがレコードからCDに切り替わり、私はいろんなピアニストのCDの
ハンマークラヴィーアの録音を買い求めた。
ポリーニ、ギレリス、リヒテルなどだ。
またアシュケナージのものは若い頃の最初の録音のLPを都内の
中古レコード店で見つけ、買った。
なのでアシュケナージのLPは同じ曲のものを2枚持っていることになる。
アシュケナージの最初の録音を聴いてみて、やはり若いときの録音のほうが
初々しさがあっていい、と思った。
よけいなことを考えず、自分のイメージをそのままピアノにぶつけていく。
そのエネルギー。演奏を聴いての快感。たまらない。
林美土里君は以前弟を彼と同じ病気で亡くしていた。その後彼の父もガンで亡くされた。
そして林美土里君自身も後年世を去った。訃報を聞いたとき私はたいへん残念に思った。
彼のおかげでハンマークラヴィーアに出会えたわけで、感謝の気持ちは
そのときも今も変わらない。
私がハンマークラヴィーアに出会ってから約30年の月日がたち、
日本に彗星のように現れたピアニスト辻井伸行!
彼はショパンコンクールに出場したのち、
ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに出場するため、
アメリカ、テキサス州へと向かっていた。
既に師から離れて勉強をしていた辻井。満を持しての参加であった。
以下続く