岩波新書から昨年10月に刊行された原 武史氏の『象徴天皇の実像 「昭和天皇拝謁記」を読む』を読んでみると、最近読んだ本で最も面白かったです。
昭和天皇は、連合国占領期にカトリックへの改宗を検討していたそうです。
日本書紀・古事記に書かれている神話から天孫の子孫であるとして神道の総元締めの位置にあるはずの天皇が、カトリック(キリスト教)への改宗にあまり抵抗を感じていなかったらしいことがこの本に書かれています。
右翼国粋主義者が読んだらひっくり返るようなことがさらっと書かれていて、なかなか面白い本です。
日本人の宗教に対する態度がゆるゆるだということを以前の記事で書いたのですが、祭祀王(つまり神主の王)であるはずの天皇がお寺の檀家であることもおかしいのに、キリスト教に改宗することに抵抗がないというのもゆるゆるすぎるのでは?
日本という国は論理的に物事を考える人は発狂してしまうくらい理屈に合わない矛盾したことだらけで、よくこんなので社会が崩壊しないものだと感心するくらいです。
また、昭和天皇はデモクラシー(民主制・民主政=システム)と民主主義(デモクラシズム=抽象概念)の違いを理解していて、両者を区別して使っていたみたいです。
「democrasyの弊の一つは・・・戦争などの時・・・どうしても後手になる・・・」と、システムとして手続きに時間がかかることを言い、「民主主義という抽象的な言葉は・・・共産主義も一種の民主主義のやうに言うかもしれぬ・・・」とあります。
英語に堪能なはずのアメリカ帰りの「高学歴知識人」が、やたらと「民主主義」という言葉を連発するのですが、この国の訳の分からなさを思い知らされます。
朝鮮戦争が勃発して皇太后から空襲がないと保障するかと聞かれて「神様でないから保証と仰せになっても困りますが・・・」と言ったらしいのですが、「神様じゃなくなったから」という冗談だったのでしょうか?
また、昭和天皇はサンフランシスコ講和条約で日本が完全に独立したと考えていたみたいで、「拝謁記」が書かれた時期には日米安全保障条約(+行政協定)が実質的に米国の占領を継続するものであることについてはあまり理解していなかったようです。
ありがとうございます