「新・古」と対比する場合、と「新・旧」と対比する場合には「新」の意味のニュアンスが違うように思います。
「古き良き時代」という保守主義の標語のような言葉がありますが、世の中には古くから現在まで長年の風雪に耐えて残っているのは時代を超えた普遍的な価値があるからだという考え方があります。
クラシック音楽の「クラシック」というのは、長年の時代を経て生き残った、時代を超えた普遍的な価値を持つ「クラス(≒レベル)」の音楽(曲)という意味なのだそうで、ジャズのスタンダード・ナンバーのスタンダードと似たような意味らしいです。
「スタンダード・ナンバー」というのは和製英語なんですね。
ヤプーランド(日本列島)ではクラシックというのは単に西欧の古い音楽という意味でしか使われてないようですが、元々は上記のような意味らしいです。
このような思想からすると、新しいものは「まだ価値の定まっていないもの」、「いいのか悪いのかまだわからないもの」という意味になりますので、「新」という意味は価値判断から中立的なものになるでしょう。
「新奇なる」という言葉がありますので、「新」という言葉が全面的に肯定的な意味でもないみたいです。
「新・旧」と対比した場合、「旧式」というのは、現在では使い物にならないポンコツという意味合いがありますので、否定的な意味になりますから、「新」には肯定的な意味が与えられるような気がします。
「クラシック」という「時代を超えた普遍的な価値」という意味をあらわす単語が日本語には無い(「不易」が近いかも)のでそのまま「クラシック音楽」として日本語になっています。
英語の「NEW」も「NEO」も日本語では「新」にしてしまいますが、意味が違うから英語では別の単語になっているわけですから、同じ「新」という言葉に訳すのは明らかに間違っていると思いますが、「NEO」の日本語訳がないわけです。
「自由」を表す単語にも英語では「Freedom」と「Liberty」という二種類があり、微妙に意味が違うみたいなのですけど、日本語ではどちらも「自由」なので区別できません。
「ネオリベラリズム」を「新自由主義」と訳すのはおかしいと思うので「ネオ自由主義」とするか、そのまま「ネオリベラリズム」とでもするしかないと思うのですが、マスメディアは「新自由主義」と訳して「いいこと」という印象操作をしてきているように思われてなりません。
とにかくヤプーマスメディアは米欧側のエージェントのようなものですから、言葉の意味をずらしたり、微妙に言い返したり、意味をまやかしたりして常に何らかの印象操作をしていると考えながら見ないといけない危険な存在です。
ありがとうございます