日本列島の戦後史をヤプーランド旗の変遷によりわかりやすく解説できるのではないかと思い、チャレンジしてみました。
まず、戦後の出発点はポツダム宣言を受諾することを大日本帝国臣民にラジオ放送した時点だと考えると、1945年8月15日の時点で日本列島を表す旗は下のようになったと思われます。
日本列島は、1945年9月2日の降伏文書調印から連合国軍の進駐により連合国の占領地となり、帝国陸海軍も解散し、非武装化されました。
降伏して占領されているので、日本列島住民全員が連合国の捕虜ですから非武装化され、当然「中立」でしたので、この時期に制定された「新憲法」は当時の現状を踏まえ連合国への恭順を表す「9条(戦争放棄条項)」で現状を恒久化するはずでした。
ところが、1950年に朝鮮戦争が勃発し、占領軍(米軍)の命令で警察予備隊(とごまかした軍隊)が編成され、占領中でしたので「軽武装中立」状態になりました。
朝鮮戦争が継続中の1951年に、米国などいわゆる西側諸国とのみの片面講和ではありましたが、9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約とにより国際法上は日本国は独立を回復したことになってます。
(片面)
しかし、その日のうちに調印された(旧)日米安全保障条約(+行政協定+日米委員会+密約)により、日本列島は米国のステルス自治領植民地にされてしまい、「米領ヤプーランド」が誕生しました。
(もう一方の片面)
なお、ヤプーランド旗の星条旗の下には朝鮮国連軍旗(国連旗)とNATO旗が存在します。
現在も基本的にこの状態は継続しているのですが、ほとんどのヤプーは狡猾な権力者側から巧みにまやかされているので、私も最近まで知りませんでした。
有事の際には下のようになるらしいです。
ありがとうございます