夜になるとふとおもう。
私は今後どうなるのだろう…と。
母はいてくれるけど、私になにかあったときは子供はどうなるのだろうと…。
頼れる身内は縁を切っていていない。
私が手術の時は、養護施設ではないけど、子供を預かってもらっている。
できるだけ、子供にさみしいおもいをさせたくないから。
施設にはできるだけ頼りたくない。
障害がある娘、主人がいなくなった私。
今後のことで不安がよぎる。
せめて、もう一人子供がいたら、主人がいてくれたらと。
もちろん今後の将来も。
主人のところにとおもう自分と、子供のことをおもう自分。
障害のある私が母がいなくなったときのことも最近は考える。
主人でもいてくれたら、こんな不安がなくなるのに。
もし、私と娘になったときに私は子供を守れるのか。
私が病気になったときに、いなくなった時にと。
ある年配の人に、あなたは旦那さんもいるし、子供さんがいるから頼れていいねと言った。
当然、子供に障害があることは言ってない。
その人は、子供がいても子供は結婚しているし、自分の生活が大事だし、子供の心配をしていた。
でも、旦那さんがいるでしょ?と言ったら、子供がお父さんは、めんどいからお父さんがなくてからにしてほしいと言われたらしい。
どちらが先にいくかなんてわからないことだけど、私には、その人は、旦那さんも、健常者の子供がいる、羨ましい。
せめて、主人が生きていてさえいてくれたら、こんな不安に感じることもなかったかもしれない。
当たり前の生活がなくなった私には、主人もいて、健常者の子供もいて、とてつもなく贅沢にしかおもえない。
一緒にいる時は、当たり前とおもって生活してきた。
その当たり前の生活がどれほどありがたくおもえたか身にしみる。
一緒にいる時は、旦那さんと別れたいとか、色々言ったりするひともいるだろうけど、一緒にいてくれることが本当にありがたい。
当たり前すぎて、相手をないがしろにしたり、感謝の気持ちを口にしなかったり、言わなくてもわかってくれてるとかそんな人いるけど、亡くなったら返事すらかえってこない。
言わなくてもわかってくれてるとかじゃなくて、口にしないと相手はわからないことはいっぱいある。口にしたら、相手は嫌な顔はしないとおもう。
おもいやりも。
普通の生活がどれほどありがたいか、主人が亡くなってからまわりが羨ましい。
なんでこんなに自分は不安な毎日をおくらないといけないんだろうと。
自分が心から愛した主人。
でも、突然亡くなるなんておもいもしなかった。
まだまだ一緒にいれるとおもっていただけに、主人の死は、私に絶望をあたえた。



