いざ、いざ奈良へ2/おふさ観音から藤原宮へ
いざ、いざ 奈良へおふさ観音は賑わっていたのに藤原宮へ向かう人はなくて💦今日は藤原宮資料館が休館日でしたぽつぽつ写真撮るカップルもいましたけどねとにかく広くて風が気持ち良いので一周歩きます😊テキストを入力藤原宮跡 は、694年に 持統天皇 が遷都した藤原京の中心にあった宮殿跡です。藤原京は、日本で初めて本格的な中国式都市計画によって造られた都で、710年に 平城京 へ移るまでの16年間、政治の中心でした。今で言うと皇居国会議事堂霞が関の官庁街を全部合わせたような場所です。天皇の住まいである「内裏」、政治や儀式を行う「大極殿」、役所群が集まっていました。規模がすごい!宮だけで約900m四方、ほぼ1km四方もありました。一周して大満足です😊最近の研究では、後の平城京や平安京を上回る規模だった可能性もあるとされています。現在は広大な草地になっていて、🌼 春は菜の花🌸 桜🪷 夏はハス🌸 秋はコスモスそして何より、東に 天香久山西に 畝傍山北に 耳成山という「大和三山」を一望できます。万葉集の世界そのままの景色ちょうどハスが咲き始めでした小倉百人一首の持統天皇 の歌春過ぎて 夏来にけらし 白妙の衣ほすてふ 天の香具山春が過ぎて、いよいよ夏が来たらしい。真っ白な衣を干しているという天の香具山を見れば、それがよくわかる。天香久山 は、この歌の舞台そのものです。「本当にあの山に白い衣が干されていたのかな〜」と、1300年以上前の風景を想像できる景色でした~🌸☀️1300年前に持統天皇や文武天皇が見たであろう大和三山を、今もほぼ同じ姿で眺めて🌿🏛️✨「昔の人はここで日本という国を形にしていったんだなあ」と思うと、じんわり感慨深い場所です。大和八木駅行のバス停🚏で30分待ち⁉️歩き旅です😊すでに5キロ以上歩いてきました❣️「今井町」へすれ違う人に「今井町までどのくらいですか?」「歩いて行きますか?」「線路の向こうですよ」鬼瓦じゃない布袋様、大黒様、福禄寿、寿老人。。。ありがたーい華甍ここのガイドさんが親切丁寧予約無しで見学できる所教えてくださいました今井町は単なる町ではなく、かつて「環濠自治都市」として栄えました。今井の地名は1386年の文書戦国時代(1532~1555年頃)、一向宗の僧・今井兵部卿豊寿が寺内町を築いたことが始まりです。一向宗の門徒たちは称念寺を中心に集まり、自衛のための武力も持ちながら暮らしました。織田信長と対立しましたが、1575年に降伏し、その後は自治を認められました。大坂や堺との交易で発展し、江戸時代には南大和最大の商業都市となりました。独自の通貨「今井札(銀札)」を発行するほどの繁栄。今井町の町並み江戸時代初期には東西約600m、南北約310m、人口約4,000人、約1,100軒の大きな町でした。周囲には濠(土塁や堀)が巡らされ、9つの門がありました。道路はわざと曲げられ、敵が侵入しても見通せないよう工夫されていました。当初は軍事目的の防御施設でしたが、後には商人の財産や命を守る役割になりました。現在も江戸時代からの町家が数多く残り、町全体が戦国時代から続く寺内町の姿を伝えています。しかも今井町は「海のない堺」と呼ばれるほど豊かだったそうです。電線地中化して時代劇の撮影に使われてるんですね河合酒造株式会社奈良漬が美味しい❣️奈良漬は奈良が発祥酒どころ奈良ならではの保存食です。酒粕に何度も漬け替えながら、半年から1年以上かけて熟成させるので、あの独特の飴色と深い香りに。どっしり重いけど「これは買い」お隣は高木家住宅岡田准一さんが撮影された場所箱階段箱階段は階段の下が収納になっていて、限られた空間を有効活用する昔の知恵です。今見るとおしゃれですが、当時は実用そのもの。 上ったら蓋をしてプライベートな空間に、2階の床が一階の天井になるんです。商家らしい合理性を感じます。書院造天皇陛下が座られた場所に案内されて説明を聞きました。釘隠しの桃釘隠しには縁起の良い桃の意匠が使われています。桃は邪気を払い、長寿、魔除け中国の神話でも桃は不老長寿の象徴です商売繁盛や家内安全への願いが込められていました。200年前の井戸の滑車裏木戸から大名が籠で入る話高木家は町の有力商人だったため、大名や身分の高い客が商談、借金に訪れることもありました。表通りは人目につくので、身分の高い客は裏木戸から籠に乗ったまま出入りしたと伝えられています。当時の籠は意外と大きいので、 「本当にここを通ったの?」 と思うような入口籠で入った証大きな石を解説していただきました。「昔の人は小さかったですから天井も低いですよ。刀を振り回せない。そんな造リになってます」時代劇の悪代官のやり取りを思い出しました町全体が「生きた江戸時代」のようで、歩いているだけで楽しいです。橋を渡ると現代に戻ってしまいます無事戻りました(笑)