中学生の子ども達に劇という手法を使って平和教育を
している鹿児島のN先生の講演を聞く機会がありました。
ただ、平和教育というと何かと風当たりが強いもの。理解
してくれる周りの人たちがいて初めて続けられることが
できます。
でも、当初は校長から呼び出されて注意を受けたり、
教育委員会から事情を聞かれたりと”出る杭は打たれる”
を経験したN先生ですが、先生がおっしゃるには「政治で
教育が変わる。」ということを実感しているようです。
でも本当は「政治で教育がゆがめられる。」と言いたかった
んでしょうね。
国の担当官庁から、教育委員会へ通達という形での介入。
そして、上の意向に右往左往する現場の校長。人事考課する
教育委員会にNOは言えません。保身と体面と管理能力を
問われるということになるので校長も必至です。この図式
で、締め付けが各先生方へ浸透していきます。
それに使用する教科書も選定を受けた後に、地域によって
決ってきます。
学びたい教科書、使いたい教科書から”使うことが決められ
た教科書”が使われるという訳です。
このN先生は中学校の最初の赴任地で文化祭に劇を使った表現
をする先輩先生がいて、「先生って、こんなこともやんなくちゃ
なんないのか~」と良い意味で感化され、次の赴任地で劇
を文化祭にを取り入れるようになったということです。
シナリオをN先生自身が書き、それを教室で読み上げた後で、
劇に出演しようと集まった生徒たちに配役の希望をとるそう
なんです。
その反骨精神のN先生が劇を通じて生徒達を見ていて実感した
ことがあります。
それは・・・
1、生徒達は感動に飢えている
2、子ども達は何かを表現したがっている
3、子ども達自身・地域・先生方への発信の場となっている
4、指導している自分自身が楽しいし、勉強になる
5、取材を通じて地域の人たちと繋がりを持てる
という、行動したものでないと語れない言葉を言っておられ
た。
ただ、彼のような人間は少数派で大多数は自分を守るにに
必死です。それを否定する気はありません。
でも、N先生が自分が正しいと思うことを生徒に問うて、やって
いる点は評価できる。生徒だって人間。正しいことかそうでない
かは彼らが感じているんだと思う。
謙虚に自分のやっていることを淡々と語る姿はとても好感が
もてました。彼は信念を持ってやっているということが良く
分かりました。素晴らしい!