辨道話(5)-2 | たこなぐりの宗教ブログ

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宗教の古典の紹介
この世での生活状況

あらゆる宗教本は「退屈だ」。

こういうものは多く読めない。

日経先物チャートは見ていて興奮する。

塩水は飲みたくなるし、飲めば飲むほど喉が渇くわい。

 

只管打坐→現在の自己と一体化する(身心脱落)→天界の感応を受ける

これらの無上の悟りは、さらにその人に帰って、親しく互いに、密かに助ける道が通うために、この坐禅の人は確実に身心を脱落し、従来の雑多な見解や思量を断ち切って、天真の仏法を悟るのであり、

また微塵にまで広く行き渡る多くの諸仏の道場ごとに、仏の教化を助けて、仏をこえる働きに広く力を貸して、仏をこえる法を盛んにするのです。

この時、あらゆる世界の土地、草木、土塀、瓦礫も、 皆仏法を説き始めるので、それらの起こす風水の利益を受ける人々は、皆、甚だ優れた不思議な仏の教化に密かに助けられて、親しい悟りが現れるのです。

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つくづく思う。この人たち(鎌倉六祖)はキチガイなのか、天才なのか。

南無阿弥陀仏を唱えるだけで、極楽往生。

座禅を極めると、世界の全存在が皆仏法を説き始める

南無妙法蓮華経という「経典のタイトルを唱えることの利益や功徳」

これを発明した日蓮の天才性(井沢元彦の逆説の日本史)

(それぞれの信仰を)親鸞、道元、日蓮は日本に根付かせた。

すごい人たちだわ。

誰か「彼らの言説が真実である」ことを証明した人はおるのかな。

まことしやかに批判すれど、時と共に批判は消えて、「六祖の教えは遺る」。

なんででしょう。

なんでこんなに退屈で、金儲けにもならない、女を得ることにもつながらない内容が語り継がれるのか。

 

日経先物の禁断症状に悩みながら、鎌倉時代の僧の本を読む。

パスカルも歯痛をまぎらわせるために、歴史的論文を書いたし。

 

密教の印を結ぶ癖を持つ管理人

中風(脳卒中?)防止には、胡桃を手中でもむのがいいとか。

阿含宗の桐山教祖の本に、密教の「印の結び方」が書いてあった。

りんぴょうとうしゃかいちん、れつざいぜん。

真言を唱えながら、印形(いんぎょう)を結んでいく。

体によさそうですな。

何が幸いするかわからない。

 

Wikipedia

九字(くじ)は、道家により呪力を持つとされた9つの漢字

臨兵闘者 皆陣列在前

りん・ぴょう(びょう)・とう・しゃ(じゃ)・かい・じん・れつ・ざい・ぜん。

意味は「臨む兵、闘う者、皆 陣列べて(ねて)前に在り」。

 

臨兵闘者 皆陣烈(裂)在前

りん・ぴょう(びょう)・とう・しゃ(じゃ)・かい・じん・れつ・ざい・ぜん。

意味は「臨む兵、闘う者、皆 陣烈(裂)れて(きて)前に在り」。

 

臨兵闘者 皆陳列在前

りん・ぴょう(びょう)・とう・しゃ(じゃ)・かい・ちん(じん)・れつ・ざい・ぜん。意味は「臨む兵、闘う者、皆 陳列べて(ねて)前に在り」。

 

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道教、密教いろいろ入り乱れる。

釈迦教にイエス教の救済思想がはいったり(大乗運動)

イエス教に輪廻転生がはいったり(エドガーケーシーのリーディング)

この世頭での「分類」にこだわるのは危険