日本建国史(タイトルを変更してます) 2  日本の宗教戦争後の記録 | たこなぐりの宗教ブログ

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藤原鎌足と蘇我氏

どちらが悪者か。管理人には判断がつかない。


[『大化の改新』が起こった理由は? 今は「645年」とは習わない!?]  より

 

現在はその習い方が変わっています。
実は、「645年」は『乙巳の変』(いつしのへん)という反乱が起きた年になります。そしてそれ以降に始まる数年間に及ぶ一連の政治改革を『大化の改新』というのです。

*

反乱とは。

下剋上?

クーデターや革命?

竹内先生の動画を観たくなった。

調べものに、便利な時代になった。

 

後醍醐天皇VS足利尊氏

戦前は楠木正成は大忠臣で、尊氏は逆賊

足利市民まで差別を受けたらしい。

「建武の新政」とか「建武の中興」とか。

 

「変」「乱」「戦争」「役」

英語が北京語にも、それに当たる単語があるのかな。

 

[仏教伝来]

仏教派の蘇我一族と、神道派の物部一族が争い、戦争をするようになっていくのです。帰化系の人間達は易姓革命を願ったのです。「天皇を殺して自分が中心になればよい」と考えたのです。

 日本の歴史は、遂にそれができなかったのです。実際に天皇は一人殺されたのです。それを中大兄皇子が斬り殺したのです。死体を送りつけるという野蛮なことをやったように見えますが、非常に英名な天智天皇になっていくのです。

 それまで豪族が各地方を治めていたのですが、律令制度にして天皇が全国を治めたのです。それまでお米は豪族が取り放題だったのですが、細かく計算して、公地公民制にしたのです。天皇を中心にして「正一位」という制度が残っています。その時の制度です。

 

*

大化の改新以降の歴史は日本書紀に負う。

藤原不比等が編纂したので、全部は信用できない。

日本書紀信仰の問題

逆説の日本史の井沢先生も書いている。

 

竹内先生も「本当のことは書きません」「すべて口伝です」。

5年前に死んだ政治評論家の三宅久之さん

「自分が見聞したことを、生きている間に書いておかねば」と、言っていた。

 

 

律令制度、社会で習った懐かしい知識。

時代が下って、「当時の税金は、どのようなものか」と聞かれた管理人

「租庸調」と答えて、日本史の先生にあきれられた。

正解は「年貢・公事・夫役

「租庸調など、時代遅れも甚だしい」と、注意を受けた。

あれから36年ぐらい経つかな。

アスペルガーよろしく、昨日のことのように思い出せるわ。