「摩訶止観・法華文句・法華玄義」の天台三大部を講義した天台大師は優れた人です。理論的に仏教を完成させた人です。「小釈迦」と呼ばれた優れた理論家です。「摩訶止観」にしても誰もまだ天台大師の真意はわかりません。そのくらい難しいのです。
何しろ摩訶止観は「このように修行していくのだ」と書いてありますが、6・7・8・9には何も書いてありません。タイトルだけがあります。タイトルはありますが、「それはどのような境地ですか?」ということは書いてありません。それは「自分で体得しなさい」という意味です。
天台大師は『摩訶止観』でこのように言われました。「我々が経験するあらゆることは、過去に自分がやったことです。それが出てくるのだ」と、真に不思議なことを言っています。
戦争を体験するのも、不幸な目に遭うのも、楽しいことに出会うのもすべて自分がつくりあげたことなのです。世界というものがあって、その中に自分がいるのではなくて、自分の心が一切のものを創り上げているのです。貧乏も病気も苦しみも楽しみの何もかもすべて自分が創った世界です。
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現在の自分は過去の自分の思いと行いが作ったもの。
実感する。
怠けていたら、河原生活が待っている。
上司の指示に従う。
いやでも仕事をする。
普通の人は「クビになる=生きていけなくなるの」が怖いので、我慢して自分を修正する。
50年間それをやってこなかった管理人
ツケを払わなければならないみたい。
自分が創り上げた世界がバーチャルリアリティーで出てくるのです。この世は、すべて自分が創り上げた世界です。仏教が説いている究極は、一切のことは自分のやったことなのです。だから他人は助けられません。やったことは必ず経験する側にまわるのです。人殺しをすれば殺される側にまわります。
これを時間軸で考えると、殺した人、殺された人は違うのですが、因果倶時の関係で言うと、殺された人も殺した人も同じ瞬間です。殺された側が感じるものも、殺した側が感じるものも、実は因果倶時ですから同じです。自分で自分を殺しているのです。
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仏教では因縁果報とか縁起の連鎖
他人にやったことが自分に返ってくるとはよく言ったもの。
イスラム教や日本神道では
アッラーの創った者どうしで傷つけあい、殺し合ってどうする。
アッラーやマホメットを信じない不信者は人間ではない。
日本臣民はみな天皇の赤子
日本神道や神の系譜、高天原を信じないのは、蝦夷(エゾ、エミシ)、南蛮
千と千尋の神隠しの歌「いつも何度でも」
山川草木悉皆仏性を謳っている。
川の神様や大根の神様
東洋風の魔女も出てくるし。
地上の人間とは違う異形の者
我々とは存在形態や価値観が全く違う。
どんな生き方や存在形態をとるか、とりたいのか。
ダルマ=法則と存在
だんだんわからんようになってきた。