何を信じるかという問題
みんな他人のこと(問題点や矯正点)はわかるのだが。
自分のことはわからない。
改善するという心構え
老子に欠けている。
[引用・編集]
人間は疑う心もあるけれども、信じる心も若干あります。だから救われているのです。例えば母親の愛を信じる人は救われます。なんとなく日本国について信用をもっているという人は救われます。
ところが不幸な生い立ちをした子供は、「母親が信じられない」と人を信じることができません。母親が信じられないのですから、兄弟が信じられるわけがありません。そうなると他人を信じるわけがありません。親も信じない他人も信じない、何も信じないという人間が育つのです。
両親を殺された朴 槿惠は誰も信じられないのです。
そこへ崔太敏(チェ・テミン)が迷信を持って近づいてきて、それで信じさせるのです。
おかしなもので、人を信じていない人でも迷信は簡単に信じるのです。「人間を信じなさい」と言っても信じない人には、ちょっと簡単な手品をしてあげると、すぐに信じてしまうのです。人間を信じないクセにヘンテコリンなものを信じてしまうのです。
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「日本国について信用をもっている」
日本は良い国か悪い国か。
日本を愛せるか、嫌うか。
「信仰心、信仰心」と言う隆法先生
宗教の歴史はみんなそう。
釈迦の教説を信じるか、イエスの奇跡を信じるか、マホメットを預言者と信じるか。
老子に書いてある内容はホントにそうか。
隆法先生を信じられなくなった会員は多そう。
「人間は信じやすくて、疑い深い」モンテーニュ
株が下がるのは信じられるけど、上げるのは信じられない。
バブル崩壊後しみついた思考パターン
「あれだけ安値(と信じて)で買った株が1/5、1/10になる。」
「おかしいじゃないか」
今の状況
「あれだけ高値(と信じて)で売った株が2倍、3倍になる。」
「おかしいじゃないか」
この世では
事実と信仰が違っていれば、事実に合わせなくてはならない。
あの世では自分の信仰(価値観)に合わせた世界に住む。
まわりが自分の思考にあわせてくれる。
迷信・妄信・邪信・悪信・狂信・正信
この分類はなるほど。
自分の信じている世界(価値観)はどれか。
反省法の1つとして有用。