人間の探究 498-4 仏法と神通力 正理 | たこなぐりの宗教ブログ

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[今回は引用が大部分]

 それだけではありません。仏法の修行が進むと、空を飛ぶこともできるようになるのです。水の上を歩けるようになるのです。これはどのようなことでしょう。これも一番根本にあることは正理(しょうり)ということです。正理に身をつつまれた人間は、道があってないようなものです。どんな道でもすたすたと歩いていってしまうのです。
 普通の人間から見ると空を飛んでいるようなものです。そのような意味です。普通の人間から見ると歩けない水の上を歩いているようなものなのです。普通の人は崖から飛び降りません。「これ以上進むと水の中に堕ちてしまう」というようなところも、全て見えてくるのです。
 それがあたかも空を飛んでいる鳥のように自由自在にこの世界を歩いているということを表現しているのです。もう一度言います。仏法を修行すると神通の力が身についてきます。まず、人の心が見えてきます。普通の人ができない空を飛ぶことができます。水の中を潜ることもできるのです。
 そのような神通力が身に付きます。神通力には十の力があります。その中の代表的な神通力が六神通(神足通・天耳通・他心通・宿命通・天眼通・漏尽通)です。様々な不思議なことが起きてくるのです。神通力を身につけた人を害そうと思っても害することはできません。道理を持っているのです。道理を持っている人間を「殺してやろう」と思う人間は自分に道理がないのです。

 

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六神通

神足

天耳

他心

宿命

天眼

漏尽

 

テレパシーや予知能力、三世(過去・現在・未来)を見通す力

これができれば下手を打ったり、騙されたりしない。


 道理をもった人間を害そうとするのですから、道理がないのです。そのような人間は自ら近づく前にドブに堕ちてしまうのです。近づけないのです。僕に対して悪口を言ったり、謀略をかけてきた者は、気の毒ですが何十人も死んでいます。
 害そうと思った人間はそうなってしまうのです。何故か、こちらが正しいからです。仏法を学ぶということは、正理を学ぶことなのです。仏法を何か勘違いを しているのではないでしょうか。太鼓を叩いたり、鐘を鳴らしたり、ピーヒャラ・ピーヒャラ笛を吹いたり、仏道修行とはそんなものではありません。

 

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日蓮の考え方とそっくり

弟子は師に似る

 

後段の音楽

娯楽が少ない時代ゆえ、人々に憩いや癒しを与えた。

もしかして道教に近いかも。

踊り念仏はディスコか。

私もけっこう好きだった。