仏説観無量寿経 10  仏法僧を讃える  観法が続く | たこなぐりの宗教ブログ

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この世での生活状況

(14) また、そのようにいろいろな宝で飾られた国土の各地には、五百億のみごとな宝の楼閣がある。その楼閣の中には数限りない天人がいて、すばらしい音楽を奏でている。また空には楽器が浮んでおり、兜率天にいる宝幢神の楽器のように、奏でる者がなくてもおのずから鳴り、その響きはみな等しく仏を念じ、法を念じ、僧を念じることを説くのである。
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仏法僧を讃える調べ
これも無神論者や坊主が嫌いな人にとっては地獄
自分の好きな世界に行けばいい。

 このように想い描きおわったなら、ほぼ極楽世界の宝の樹と宝の大地と宝の池を見たということができる。これを総観想といい、第六の観と名づける。

 もしこのように観ずるなら、はかり知れない長い間のきわめて重い罪が消えて、命を終えた後には必ずその国に生れるのである。このように観ずることを正観といい、そうでないならすべて邪観というのである 」
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(15) 釈尊はさらに阿難と韋提希(イダイケ)に仰せになった。 「 そなたたちは、私のいうことをよく聞いて、深く思いをめぐらすがよい。私は今そなたたちのために、苦悩を除く教えを説き示そう。そなたたちはしっかりと心にとどめ、多くの人々のために説きひろめるがよい 」

 釈尊のこのお言葉とともに、無量寿仏が突然空中に姿を現してお立ちになり、その左右には観世音、大勢至の二菩薩がつきそっておられた。その光明はまばゆく輝いて、はっきりと見ることができない。黄金の輝きをどれほど集めても、そのまばゆさにくらべようもなかった。ここにイダイケは、まのあたりに無量寿仏を見たてまつることができのたで、釈尊の足をおしいただき、うやうやしく礼拝して申しあげた。

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仏像や仏画に描かれている後光
霊界も高いほど、光が強い。
地獄は光が射さないが、この世の太陽の光がはいるらしい(スェーデンボルグ)。
地上にきわめて近い世界
ちなみに太陽は他次元存在らしい。
我々が見ているだけの相ではないらしい。

「 世尊、私は今世尊のお力によって、無量寿仏と観世音・大勢至の二菩薩を拝ませていただくことができましたが、世尊が世を去られた後の世の人々は、どうすれば無量寿仏とその菩薩がたを見たてまつることができるでしょうか 」