仏説観無量寿経 9  樹想、第四の観など  天国の個性とは | たこなぐりの宗教ブログ

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極楽世界の樹木や池の水を想い描く観法
退屈なので、私も真面目に読んでいない。
天国を現代風に描写したらどうなるか。
いつでも他の霊界の様子が見れるAV機器がある。
如来や菩薩とチャットができるとか。

現代人が行く地獄
病院で生きたまま切り刻まれるとか
繰り返し車にひかれたり
満員電車で集団に痴漢されるとかもありそう。


 また、これらの宝の樹々は整然と向かいあって列をなし、葉の並びもよくととのっていて少しも乱れることがない。それぞれの葉と葉の間にはさまざまな美しい花が咲きそろい、花の上には七つの宝でできた実をつけている。この葉の一つ一つは長さも広さも等しく二十五由旬であり、その葉には千の色と百種の模様があって、まるで天の宝玉の飾りのようである。たくさんの美しい花は金色に輝き、まるで火の輪のようにきらめきながら、葉と葉の間でまわっている。ちょうど帝釈天の宝の瓶のように、その花からは次から次へと多くの実がわき出ている。そしてその実が放つ大いなる光明は、幡と数限りない宝に飾られた天蓋となる。その中には、世界中でなされる仏のすぐれたはたらきのすべてが映し出され、さらにさまざまな仏がたの国々も、みな映し出されている。

 このように極楽世界の宝の樹を想い描きおわったなら、またそのすがたを一つ一つ順々に想うがよい。そしてそれらの幹や枝や葉や花や実などを、すべてはっきりと想い描くのである。このように想い描くのを樹想といい、第四の観と名づける。

(13) 次に極楽世界の池の水を想い描くがよい。
 極楽世界には八つの池がある。そのそれぞれの池の水は、七つの宝の輝きを映して美しくきらめき、実になめらかであって、それはもっともすぐれた宝玉からわき出ているのである。そして分れて十四の支流となり、それぞれがみな七つの宝の色をたたえている。その水路は黄金でできていて、底には汚れのない色とりどりの砂が敷かれている。一つ一つの流れには七つの宝でできた六十億もの蓮の花があり、その花の形はまるくふっくらとして大きさはみな十二由旬である。宝玉からわき出たその水は、花の間をゆるやかに流れ、また樹々をうるおしている。その流れからおこるすばらしい響きは、苦・空・無常・無我や六波羅蜜などの教えを説き述べ、あるいは仏がたのすがたをほめたたえる声となる。また、宝玉からは金色のすばらしい光が輝き出ている。その光は百もの宝の色を持つ鳥となり、そのやさしく美しい鳴き声は常に仏を念じ、法を念じ、僧を念じることをほめたてている。このように想い描くのを八功徳水想といい、第五の観と名づける。

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「苦・空・無常・無我や六波羅蜜」
波動が法になっている

神とは教えである、法である、則である。
釈迦の教えの真骨頂

キリスト教の天国では
天国の響きが「愛や神への信仰(憧れ)」を奏でているかも。

銀色光線の天国
数式や化学式のイメージが次から次へと顕(現)れているかも。
地獄だわ。
科学技術の光線では、それが観法