詩節1-2
アルジュナは言った。
知識は行為に優ると考えておられるのなら、ジャナールダナよ、何故この恐ろしい所業(同族との戦争)を為せと私に迫るのでしょうか、おおケーシャヴァよ。
言うなれば、これらの一見相反する言論で、私の知性を惑わしておいでのようです。されば、結論を下し、いずれによれば最高の善に到達できるのかを教示し給え。
詩節3-6
聖なる主は言われた。
往古の私が説き明かしたことだが、おお罪なき者よ、この世界には二つの道が存在する。思索する人のための知識のヨーガと、行為する人のための行為のヨーガである。
人が不行為を達成するのは、行為を控えることによってではない。単なる放棄によって完成に到るのでもない。
まことに、一瞬たりとも行為を行わずに存在することは、何人もできない。なぜなら、人はみな、本性たる自然から生じるグナによって、否応なしに活動へと駆り立てられるから。
行為の器官を抑制し、しかも、精神の内では感覚器官の対象をしきりに思い、自己を欺いて座す者、そのような人は偽善者であると言われる。
詩節7-8
しかし、精神によって感覚器官を制御し、執着なく行為の器官を行為のヨーガに従事させる者、アルジュナよ、そのような人の方が優れている。
あなたに割り当てられた義務を果たしなさい。まことに、行為は無行為に優る。行為なくしては、肉体の存続すら不可能であろう。
詩節9
ヤギャ(供養儀式)のために行われる行為を除けば、この世の人々は行為に束縛されている。ヤギャのために、執着から解放されて行為に従事しなさい。
詩節10
太初において、人間と共にヤギャを造りし造物主は、「このヤギャによって汝らは繁栄すべし。ヤギャが願望の成就をもたらすべし」と言った。
あなたがヤギャによって神々を支えれば、その神々があなたを支えるだろう。互いに支え合うことによって、あなたは最高の善へと到るだろう。
ヤギャに満足した神々は、必ず、あなたが望む享楽を授けるだろう。しかし、神々からの贈り物を神々に捧げることなく楽しむ者は、ただの盗賊にすぎない。
正しき人々は、ヤギャの残り物を食し、あらゆる罪から解放されている。しかし、邪な人々は、自分だけのために食事を用意し、まさしく、彼らは罪を食す。
あとがき
いろんな儀式や善行をする。青山圭秀先生の本に詳しい。