バガヴァッド・ギーター 2章-8  感覚器官 | たこなぐりの宗教ブログ

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宗教の古典の紹介
この世での生活状況

苦行で感覚をマヒさせる教えの原型か。

詩節58-61
そして、そのような人が、亀が手足を四方から引っ込めるように、感覚器官を対象から退けるとき、その人の知性は確立している。

感覚器官の対象はそれらを食さぬ人から去り行くが、対象に対する嗜好は存続する。至高者を見れば、この嗜好までもが無くなる。

荒れ狂う感覚器官は、おおクンティーの子よ、力ずくで精神を奪い去る。(それらを制御しようと)努め励む分別ある人の精神でさえ。

人は、感覚器官のすべてを制御下におさめて、至高者である私に専心し、結然として座すべきである。感覚器官が鎮まっている人の知性は確立しているのだから。

詩節62-63

感覚器官の対象に思いを巡らすことで、人は対象への愛着を生じる。愛着から願望が芽生え、願望は怒りを生む。

怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の揺らぎが、記憶の揺らぎから知性の崩壊が生じ、知性の崩壊によって人は破滅する。
*
欲しい、欲しいという渇愛や執着によって・・・。
『記憶の揺らぎ』
魂の記憶。ほんらいの霊的感覚。修業場である地上を本当の世界だと思ってしまう。

詩節64-65

しかし、感覚器官が愛着と嫌悪から解放されており、自身の制御下にある、そんな感覚器官をもって数々の対象のなかを動く人、自己を修養している人、そのような人は「天恵」へと到る。

「天恵」のなかでは、その人のあらゆる悲しみの終わりが生まれる。まことに、高揚した意識を持つ人の知性は、すみやかに、揺るぎなく確立するに至る。

あとがき
インドの伝統宗教の教学
聖書やコーランには出てこない。
好みの問題。

共通しているのは、来世やあの世があるということ。
魂を認めないと、宗教は成立しない。