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🍀前話🍀

🍀「闘病記つむつむ第2章 第1話」🍀https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12857745382.html

🍀「胸に刺さった言葉」🍀


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🍀闘病記つむつむ第2章  第2話🍀

🍀「12歳の決断」🍀


弟は1人暮らしをするようになった。

が、 彼は寂しいのか、ほぼ毎日夕食を食べに来ていた。 

 私は、母と弟の嬉しそうな会話を聞きながら、ご飯を食べた。

食べてる時に母がチラッと私を見た。

弟も時々チラッと見る。

私は

『はいはい、私は、おらん方が良いやんな。分かった分かった』

と思い、食べるスピードを上げた。

何とか食べ終わると、すぐ2階へ行った。


 そんな日々はかなり続いた。

 気がついたらお正月になっていた。 


 お正月には、普段仕事場の寮に泊まってる父も帰って来た。

 母は毎年 年末に 必ず2畳程のカーペットを買い、こたつの下に敷いていた。

そして  父をそこに導いて座らせた。


 父は、寡黙だった。

けど、その頃から毎年 

「お母ちゃんが家を守ってくれてるから、わしは 安心して働けるや。

ありがとう。お母ちゃんに感謝しなあかん」

 と言うようになった。


その頃の私には、 すごく白々しく聞こえた。

 言われた母も、黙っていた。 

 それでも気にせず、父はゆっくりお節を食べ。
一升瓶から手酌で冷や酒をちびちび飲んでいた。

 それを横目に、私と母は
お寺の新年会に行く準備をした。


 弟とは確か駅で待ち合わせをして、お寺に行ったと思う。


 父は、お寺から借りた、お店の借金が完済されてない為、敷居が高いのか、お寺には行かなくなった。


 弟も、数年後にはお寺に行かなくなった。

 確かこの年が、弟にとって、最後のお寺のお正月だったと思う。


 以降約10数年は、母と私だけでお寺に行っていたと思う。

が、

10数年後には、今度は 私がお寺に行けなくなってしまった。

弟がお寺に行くようになった。

それはまだ先の話し。


 母はもちろん、弟と私にとっても、お寺さんは

「母の実家的存在」

で 。

当時の安寿様は

「母の親代わり」

であり

「弟と私のお祖母さん代わり」

だった。


 いつも

「お寺のおばちゃん」

と呼んでいた。


 実のお祖母さんには新生児のお宮参りと、小学生の頃の2回しか会っていない。

 遠い存在の人と思っていた。


 母と母方の叔母さん達も、1人を覗いておばあちゃんを憎んでいた。

虐待を受けたからだそうだ。

 この話しは、物心着く前から母に聞かされてたので、私は、幼稚園児位から全てを語れる位覚えていた。 

 子供の頃は

「家ってこんなもんや」

と思っていたが。 


今思うと完全な

「機能不全家族」で。

「毒親」が「虐待の連鎖」をする家やったなぁと思う。 


 当時は母に言われた通り、私が悪いからと思っていたが。 


  今は「みんな不器用で、幸せを知らない人らが集まってるなぁ」と感じる。

つまり

「誰もが悪くなく。誰もが悪かった家やなぁ」

と、禅問答の様に感じる様になった。


 当時に話し戻して。

 私達が、お寺でお参りをして、帰宅すると父は朝と変わらない姿で、日本酒を飲みながらテレビを見ていた。


 母の機嫌が一気に悪くなるのを、私は雰囲気で感じた。

 母は 

「いつまで 飲んどんねん」

 と小声でボヤいていた。


 私は、そっとその場を離れた。そして玄関に戻り、鳥たち⋯文鳥とかぴぴちゃんに餌をあげることにした。


 その時、なんか変な感じがした。

 何かが足を

「つーっ」

と流れるような違和感。 


 慌ててトイレに行くと、血だった。 

初潮を迎えたのだ。


 私は焦りながら、トイレットペーパーを使い、とりあえずの対処をした。

 けどトイレットペーパーだけでは無理だと感じた。 


 『お母ちゃん機嫌悪い時に言いたくないなぁ』

と思いつつ、いつまでもトイレにいる訳にもいかないので、思い切った母に伝えに行った。


 私はこっそり母に 

「生理になった」 

と伝えた。 

 機嫌の悪かった母の顔が、さらに険しくなった。


 母は、黙ってタンスから 準備してた物を取り出し、玄関で私に渡した。


 そして冷たい目でちらっと私を見て、小声で言った。


 「⋯あんたな。生理始まったと言う事は
男の人と変な事したら 赤ちゃんが出来ると言うことやねんで。

 変な事したらあかんで!
汚らわしい!」 

 吐き捨てる様に言うと 母は、部屋に入っていった。


 私は言葉が出なかった。

 けどじっとしてる訳にも行かず、トイレで着替え、汚れ物を玄関の洗濯機の横で手洗いした。 


 しながら、テレビドラマとか、漫画や小説の画面が頭に浮かんで来た。 


 そこでは、初潮の時両親は照れながら

「お赤飯」

を炊いて

「おめでとう」

とお祝いをしてもらっていたり。 


「痛くない?」

とか気にかけてもらっていた。 


 間違っても
「変な事したらあかんで」
とか
「汚らわしい」
なんて言われてなかった。


 ドラマとかは、現実と違うのかな? 

汚らわしいと言われるのが、現実なんかな。 

 私、汚らわしいの? 

男の人と変な事って何?

 あんなに汚い物を見る目で見られるなんて、思ってなかった。

  ⋯私がやっぱりあかんかな⋯。

 お母ちゃんに嫌われてる⋯。

 お正月からこんな厄介事を言うたから、お母ちゃん怒ったんや。


 けど。

けど。

私、そんなに悪い事した?



 私。、


私、こんな人生しか子供にあげられへんなら。 


子供に、こんな苦しさしかあげられへんのんやったら。


 私は絶対子供なんか産まへん!! 


 私はきっと、大人になったら お母ちゃんと同じ様にしか子育て出来ひんと思う。

 こんな、こんなに苦しい人生しか、子供にあげられへんなら⋯。


いっそ 産まない方が、子供は幸せや。 


 もっと優しい人の所に産まれてくれた方が、絶対良い!

私は、絶対に子供なんて産まない!! 





12歳と数ヶ月。
初潮を迎えた私の、心からの決断を
底冷えのする 寒い玄関だった。

誰も気がついてないけど、この時私は強く自分に暗示をかけたのだ。

いや呪いと言っても良いかもしれない。

結果、私は生涯 子供を授かる事はなかった。

この呪いの様な自己暗示は、ものすごく効き目が強かった。


元々私は、自己暗示にかかりやすかった。


この「12歳の決断」は、一生私の脳裏から離れなかった。



今になっても思うのは
私の子供として産まれる予定だった命が、優しい母親と父親の元に産まれてくれてたら良いなぁと言う、願いにも似た想いだ。


話しを少し戻して。父のことを少し⋯。

お正月2日目の昼になると、父は黙って仕事場に戻っていく。

毎年の事だった。

「お母ちゃんのおかげで。安心出来る。ありがとう」
と言う言葉に、誰も反応しない様な家だから、多分居心地悪かったのだと思う。

まだ母の洗脳下にあった私や弟も、母と同じように黙ってたし。
2人とも父を嫌っていた。

その頃の私には、父の言葉を
「白々しい。本当はそんな事思ってないくせに」
と受け取っていた。

この時も、私は父の気持ちを知ろうともしてなかった。
父の事を知りたい、もっと話したいと思った時には、父はこの世の人ではなくなっていた。
これも かなり先の話しになるが。

父が静かに家を出たら、それまで黙って座っていた母が、弾かれたように動き出す。




まずは敷いていたカーペットを外して、ハサミで小さく切り刻んで、ゴミ袋に捨てた。

そして至る所を拭き。

こたつ布団などを全部洗ったりしていた。

「帰ってこんでええのに」

と、小声で言いつつ。

仮面夫婦?
機能不全家族?
今考えても どっちか分からないが。

お正月らしからぬ光景だとは、幼いながらも分かっていた。

こんな時に母の気に触る事をしたら、ざくざくと言葉で切られるから、何もせず部屋で小さくなっていた。

下手に手を出したら
「あーあそんなんしたらあかん!汚いやろ!せっかく綺麗に拭いたのに!もぉ向こう行っといて!!」
となるので。

触らぬ神に祟りなしと言う事である。

続)