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🦷ある日突然死ぬかと思った🦷最新話🦷https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12853141669.html

「乳がんOp前に、痛くて赤い発疹が出た😱」



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⚫︎心身弱いとねぇ つむつむ「第23話」🦷

⚫︎ある日突然死ぬかと思った。乳がんの手術と25回の放射線治療🦷(ノ*・ω・)ノ>>>✨


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予想だにしてなかった帯状疱疹の為、夜間救急外来に行った私。

救急外来の医師は

「帯状疱疹だと手術室入れないから、乳がんの手術は延期ですね。一応感染症ですからね」

と私に告げた。


それは絶対のルールで。

翌日、〇〇〇病院の歯科口腔外科の外来に通った後、乳腺外科に立ち寄って、状態を伝えると。


 「大変でしたね。けど、その通りなんですよ。○○さんのお身体にも悪いし。

手術室は沢山あるので、移りにくいと言われる感染症でも、万が一を考えたら強行出来ないんです」

と乳腺外科の主治医に言われた。


つまり、乳がんの手術日も

入院日の予定日も

再設定を余儀なくされたのだ。


私の目的の

✨顎の治療···□□病院の「高圧酸素療法」で後遺症を改善する···✨

も、この事で延期されてしまった。


私はそれが、ものすごく悲しかった。

遅れればそれだけ、顎の後遺症が治りにくくなるかもしれない⋯と思ったからだ。


それに。

0ステージとは言え 乳癌の手術が遅れているのも嫌だった。


私の年齢は、癌の成長が早いと分かっていたからだ。


帯状疱疹は、その後数日ですんなり治ったが、

1度キャンセルした手術の予定は、約1週間くらいずれてしまった。 


思わず

「命の砂時計」

をイメージした。


けどこの時には、私も落ち着いてきて(諦めてきてて?)

ここで騒いでもどうにもならないと思い、ぐっとこらえた。


そして、待ちに待った乳腺外科病棟への入院日の当日。


私はまた沢山の荷物を持って 入院サポートセンターに行った。


そしてクラークさんに乳腺外科病棟まで案内してもらった。


今度は本館だった。

実は私、この入院の事は、あまり覚えていない。

痛みも、しんどさも何も無かったからだ。


ただ困ったのは、看護師さんから

「緊急に連絡出来る方のお名前と連絡先を教えて下さい」

と言われた時だった。


私には当時母と弟がいた。けど母は高齢で。弟とは疎遠だった。


「私の連絡先だけではあきませんか?」と、あかんだろうなぁと思いつつ聞いた。


「いや、それは困ります」

と案の定言われた。

しばらく時間をもらい、うーんと考えた。


本来なら弟だが、1度頼んでえらい目にあったから、頼みたくない。


訪看さんとかは、ここまで個人的な事はしてくれないだろう。

ヘルパーさんも同じだろうし。

うーん🤔

あ、そや。


私は携帯を持ち、病室から出た。


そして電話コーナーに移動した。

遠方やけどずっと付き合いのある友達なら どうだろう···と思いついたのだ。

けど本人の了解なしに進める訳にはいかないので、思い切って電話をしようと思ったのだ。


お仕事かなぁ。

休憩かお休みやとええなぁと思って電話した。

何とか通じ 「緊急連絡先」に名前入れても良いと言われた。

更に手術してる時に、病室で待機して欲しいと言われてたので、その事も伝えると、あっさり了解してくれた。


『やっぱり、血の繋がりより、縁の繋がりやなぁ。前に精神科に運ばれた時も思ったけど、生理食塩水の仲(親族)より他人様やのが優しいわ』と私は思った。


「友達が緊急連絡先と立ち会いに来ます」

と看護師さんに伝えると、緊急連絡先の人用の書類を渡された。

そして

入院日の前日は入浴する事。

翌日の2例目の手術になる事。

2例目だから早くても12時。予定は14時。遅れたら15以降に手術室に行くかもしれない。

等のオリエンテーションが、看護師さんからあった。


もちろん全身麻酔だから。

手術の前日の夕方から絶食で。

水分も朝6時までと言われた。


それと術後の下着のことや、管類が入る事。

手術中の出血によっては、輸血とかする可能性がある事。

さらに、手術野(手術した部位)からは出血だけでなく、浸出液も出るので、ドレーンが入ると言われた。


ドレーンは、色んな目的で使われるが。大抵は傷口近くから出る血液、浸出液、膿等を自然に排泄させ、縫合した所の治りを良くする為に使われる。


手術中に、見た目ぺったんこの布で作られた平坦なストロー(管)を、患部のそばに入れ。

体外に出す所で縫合。

管を抜けにくくし、専用のパックに入れ。


私の場合は低圧で持続的に吸引する

「低圧持続吸引」

が用いられるだろうと説明を受けた。


あと 血をサラサラにする薬は、入院前から先生の支持で止められていた。


つい最近に歯の手術を受けた所なので

オリエンテーションも

「ふんふん」

と聞いていたと思う。


オリエンテーションが終わった後、売店に

「乳がん術後専用下着」

を買いに行って、その高さに

「うげっ」

とおののいていたのは、何となく覚えてる。

てか、その後買った

「放射線治療専用のテープ」

も、単なる(かな?)テープにしては高くて「うううう」と唸る事になるのだった。


医療製品がお高いのは、今も昔も変わりないなぁと思った。


手術当日。

私はやはり4時頃目を覚ました。

けど水は飲めないので、無理やり2度寝した。

けど寝れなくて。

ゴロゴロと転がっていた。


前回の歯科の時は

朝一番の手術で待ち時間がなくて楽だった。


けど今回は2例目。

待ち時間が辛い。

特に食事の時間が辛かった。

カーテン越しに良い香りがするし。


それに喉とか乾くので、絶飲食がキツかった。

お部屋のご飯の匂いに我慢してると、14時前にお迎えが来た。


確か友達と看護師さんと私(車椅子)で手術室まで行った。


手術室前は、人が居なかった。


歯の手術の時は、朝一番だったせいか、手術室の待合は、沢山の人がいたけど。


手術によって進行時間が違うからかな···と思った。


私は友達と話しつつ、大人しく待合室に居た。

病棟の看護師さんは、手術室の看護師さんに申し送りした後

「頑張って下さいね」

と励ましてから、友達に声をかけ帰って行った。


私は手術室の看護師さんに案内されながら手術台に乗った。

端座位で寝巻きを取り、バスタオルを巻き付けた。やはり肌寒かった。

やっぱり手術室の中は真っ裸に近いねんな
と思った。

これ、術中に急変した時に、素早く処置出来る様にしておくのと。
感染予防の為との2つの理由があったと思うが、よく覚えてない。


私が手術台に上向きで寝ると、麻酔科の先生が大きなマスクを持ってきて

「今から麻酔をかけます。ゆっくり呼吸して下さい。初めは酸素だけ出ます。少しづつ麻酔薬が入ります」

と説明された。


言われるままに深呼吸してると⋯すとーんと眠気が来た様に思う。

ぶっちゃけ、その後の事を全く覚えてない。


次に目が覚めた時、体がすごく熱く感じた。


そして顔に酸素マスク

手に点滴と、血中酸素濃度計

術野からはドレーン

尿の管···と言う沢山の管が私を固定してる様に感じた。


中でも嫌だったのは尿の管だった。

少し動くと痛いからだ。


「起きた?」と声が聞こえた。


「だれかな?」頭を向け確認ようとすると、心電図の線が動きをはばんだ。


あ、もう1種類管あったわ。ん、あともう1つあるかな···と思った。

胸に心電図のモニターの管が、起きた時の私にはついていた。


「大丈夫か?痛いの?」

と声の主に聞かれた。

友達の声だと分かり、少しほっとした。


私はもごもご言いながら、手術の結果どうなったかを聞こうとした。

けど酸素マスクしてるので、上手く話せなかった。


しばらくすると看護師さんが、観察しに回って来た。


バイタルを測り、胸の音を聞き、血中酸素濃度計を見た。そして

「酸素マスクなくてもいけるかな」

と言いつつマスクを外してくれた。


「息苦しくないですか?痛みはどうですか?」

と聞かれた 

私は

「大丈夫です。あ、尿の管が痛いです」

と答えた。


看護師さんは、傷口の様子を見ながら

「ああ〜尿の管は、明日の朝まで入れとくようにと、先生の指示があります。傷はどうですか?」

と言われた。


私は

「傷は少し痛いです。手術は?」

と答えた。


看護師さんは

「傷の痛み止め、(点滴で)いっときますね。手術については、後で先生からお話しがあります。今、息苦しくないですか?」

と再度聞かれた。

私が

「大丈夫です」

と言うと。

看護師さんは

「そうですね。血中の酸素もちゃんときてますし。酸素マスクと血中酸素濃度を測る機械取りますね。また痛みや出血があれば、ナースコールで呼んでくださいね」

と言って、手早く処置した後、廊下に出で行かれた。


友達は心配そうな顔をしていた。

いつもの様に喋る元気まではなくて、ぽーとしていたら、主治医が訪室された。


「○○さん、頑張られましたね」


と言いつつ、傷口を見て

「出血もしてないし、大丈夫でしょう」

と言われた。

それから、手術の時の事をゆっくり話された。

手術が2時間もかからずに終わった事。

切り取られた乳癌の組織を、手術室の小部屋で友達に見せた事。

今「切除片」の検査をして、癌が広がって確かめる事。

そして「切除片」を検査後破棄される事などを話された。


ふんふんと聞いてたが、「切除片」の話しで私は「えー!」と声をあげた。


ぶっちけ、私も見たかったのだ。大きさとか、私を追い詰めた癌の細胞を。

「えー!写真もないのですか!」

と無茶を言った。

そして

「私も切除片見たかったです」

とわーわーと言った。




主治医は苦笑いしながら

「うーん、あまり常温に置いとけないから、見せるのは難しいかな。切除片は綺麗でしたよ。がんも乳腺の中にとどまっていたし。

臓器や血管などの巻き込みもなくて。万が一という事があるから、今切除片も調べてますけど。

切ったのは胸の下で傷は5cmくらいかな。

腋窩に転移がなさそうだったので、腋窩切除や、リンパ切除はしてません。

けど傷が落ち着いたら25回連続で放射線を当てないといけない。放射線治療をします。

抗がん剤は、今回は見合わせます」

とサクサク説明された。



その後痛みも少なく、引っつりもない私は、苦手な尿の管の痛みだけ我慢していた。


翌朝、排尿練習をして、管が抜けた。

抜く時も痛いけど、ぐっと我慢した。

抜管から最初の排尿は、看護師さんに見てもらわないといけない。

膀胱がちゃんと機能してるか確かめるためである。普通は2時間後までに見てもらうが、私は15分後に見てもらった。

看護師さんは

「ちょっと早いけど。ちゃんと機能してるようだし。OKですよ」

と言われた。


動くとまだ傷が痛いけど転移とかしてなくて、傷も小さくすんで、本当に良かったと思った。


2、3日後

「そろそろ退院して良いですよ」

と言われた。この時は友達が来てくれてたので、

「怖い💦」とか言わず、帰宅した。


それか数週間と少したった頃、放射線治療が始まった。


その前に専用の検査衣も病院の売店で買うようと、又言われた。

マンモグラフィの時使ったような形の服で、青い紙で出来ていた。

やはりお高かった💦


実際に放射線治療を初める前に、1度放射線科の医師の診察とオリエンテーションがあった。

「同じ場所に照射するので、肌にマジックで印をつけます。

ペンが写ってしまうので、汚れてもいい下着を着てきて下さい。

またお風呂で印を消さないようにそっと洗って下さいね。

また照射途中に痛みや吐き気が出る時があります。

皮膚が軽い火傷の様になる時もあります。

なにかあれば看護師か技師に言って下さい。場合によっては塗り薬などが出ます。

それと、休まない様に来てくださいね」

と言われた。


私はドキドキしながら聞いていた。明日から毎日、同じ時間に放射線を当てに来なあかん。

副作用とか出ないといいけどな。

てか、起きれるかな😅と思いながらその日は帰った。

翌朝少し早めに着いた私は、「放射線治療」専用の放射線科に向かった。

地下だった。のでなんか暗い。地下だから仕方ないけど。

扉は引き戸で、真ん中から観音開きで開く重い扉だった。

入って右側のところに受付があった。

名前を言うと、クラークさんか看護師さんが問診票を手渡してくれる。


傷の事や、副作用が出てないかを聞く質問と。熱や何回目の照射か分かるように 数字を書き込む欄もあった。


私はその日が1日目なので、「1」と書いた。

これを「25」回までやるのか。 

しんどいなぁ···とまだ何もしてないのに、そう思った。


しばらくすると問診票の版を看護師さんが取りに来られ。


書いてる事を見ながら、詳しい状態を付け加えられた。

「○○さんは2人目なので、少しお持ちください」

と言って、受付に戻って行かれた。


しばらく待ってると、私は眠たくなった。


うつらうつらしてると、○○さんと呼ばれた気がした。


見ると放射線科の技師さんが、寄って来ていた。私が立つと、手でこちらですよと示された。


大きな放射線室に入ると、パーテーションに囲まれた着替える場所があった。

私は上半身を脱ぎ、真新しい青い検査衣を羽織って放射線室の中に入った。


技師さんが2人になっていた。どちらも男性だった。


怖そうな人が操作室に。

腰の低い人が私の横に来た。

「失礼します」


と言われた服をめくられた。治療や、仕方ない。そう思った私は、ぴたっと動きを止めた。


技師さんが放射線装置を、私の印に合わせて固定した。


「まずこれで1回。その後向きを変えて1回。計2回照射します。

なにかあったらこれを押してください」


と手にナースコールのような物を持たされた。


「あと音がしますので、驚かないで下さいね」

と言われた。

もしかしたらイヤフォンをつけられたかもしれない。この辺の記憶は曖昧である。長いような、そうでもないような時間に、私は感じた。

姿勢を変えられたら、そこから動いてはいけないと言われた。

途中息を止める場面もあった。

「終わりです」

と言われて服を被らせてもらい、着替えをする。

終わると問診票と思ってた紙を渡された。

どうやらカルテでもあるらしい。

そのまま廊下に出て、受付にカルテを返すと、1回完了である。


結構しんどいなぁと思った。

それは日曜日にどっときた。

めっちゃだるい‎꜀( ꜆-ࡇ-)꜆お布団から出れなかった。

けど月曜日にはまた行かないと行けない。

私は頑張って行った。


放射線治療の看護師さんやクラークさんとも仲良くなった。

週1で、放射線治療を担当してる先生の診察があった。

おっとりした良い先生だった。


2日坊主の私だが、25回休まず通った。

幸い副作用は出なかった。


線が消えかけた時、上からなぞるのがこそばゆいだけで、火傷みたいな肌トラブルにはならなかった。


吐き気も無かった。本当にありがたい事だった。


後に母が肺がんで放射線治療を受ける時、何回か付き添いをした。


その時まで私は自分が元看護師と言うことを隠してた。

母を連れて放射線治療室に入ると、顔見知りになってた看護師さんから

「えー!○○さんの娘さんって○○さんやの!○○さん、ナースやったん?」

と何も言ってないのに、一発でバレた。


母はがんになっても、マシンガントークの人で。放射線治療室の色んな人に

「私の娘は看護師やねん」

と話してたらしい( ̄▽ ̄;)

隠してたのに···orz


気まずい沈黙が放射線科の看護師さんと私の間に流れたのを今も覚えている。

こうなるから黙ってたんやん!

おかんのおしゃべり!

と思った。


続)