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🦷ある日突然死ぬかと思った🦷https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12848839620.html「第15話」徐々に後遺症を強く感じるようになった☠️

あまりの辛さに、今書いても思考がぐるぐる回っております😵‍💫

ので回ってるとこは、飛ばして読んでもおけでございます🙆‍♀️


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⚫︎心身弱いとねぇ つむつむ

 ⚫︎ある日突然死ぬかと思った。 

「第16話」瞬間湯沸かし器型の看護師現る


 3月初旬に緊急入院して、一時は生死の境を彷徨うほどの痛みを経験し。
原因を探るべく○○○病院の診療科の検査や受診を受け回った。

もうどんな検査を受けたのか分からなくなった頃に受けた
「骨シンチ」
の検査を受けた結果、病変が両下顎と分かった。
その後膿の溜まってる左頬から排膿する手術を受けた。その頃から、激しい痛みは薄れていった。

しかし両下顎の違和感と、顎の冷たさと鈍痛、そして下唇から顎に向かって扇状に痺れ等を感じる様になってきた。

それらは日が経つと、ゆるやかながら強く感じる様になった。あまりの冷たさに
そっと下顎を触ると、鉄板の様に硬く、氷の様に冷たいのを感じられた。
主治医から「後遺症」と聞かされ。
ものすごくショックだった。

生まれて初めての「後遺症」
私は、受け入れたく無かった。

激しい痛み程キツくは無く、痛み止めはいらない程度だったが。常に鈍い痛みと、足が痺れた時の様な痛さを下唇の真ん中から、扇の様に広がり感じるのは、イライラした。

この頃はまだ口も開きにくく、小さな声しか出なかった。
固いものも食べれないが、柔らかいものも力加減が難しくなった。
この状態、いつか消えると思って頑張って来たのに、一生治らないかも···と思うと、気分が凹んだ。
そんな気分だから、私自身は、まだ入院してたかった。
なぜなら帰宅して、もし又症状が悪化したらどうしよう。

○○○病院に来る前の不安な状態で、病院めぐりしなあかんかもしれへんし···と想像すると怖かったからだ。


だが検査結果は正常に近くなり、激しかった痛みも良くなって、結構動ける様になったから···と言う理由で、退院を促された。

ただし、退院後しばらくしたら、再入院と言われた。
主治医は
「劇的な痛みや。炎症反応が治まってきたから、そろそろ中途半端に神経を抜いてる歯を、除去をしやなあかん。感染源になりかねんから」
と私に説明した。
「その歯は。うちで抜きます。ただし○○さんは下顎の状態が心配やから、入院して抜歯をする事になるかな」
とも言われた。
『入院して抜歯?!』
これも私は初めての体験だった。

というか、入院中同室の方達が
「私、一旦退院してね。少し経ったら抜歯の為に再入院するんの」
「えーそうなんやぁ!大変ですねねぇ」
「私の歯は、奥にあるから、麻酔かけてするんやって」
「へー」
と話してるのを聞いてて
私は『抜歯で入院ってありなん?大袈裟すぎひん?いや奥の方やからやばいのかな。どっちにしろ初めて聞いたわ』と思っていた。

そんな私も「抜歯の時に1泊入院?」と言われ。
「うむ(´・ω・`)」

と複雑な気持ちになった。

主治医の話しを聞きながら、私も大袈裟と言われるかもやけど、安心感は半端なかった。

主治医から「一旦退院」の話しが出てから、私は担当の看護師さん(かな?)から、何回も退院日時を聞かれた。

私はいつもなら1人で帰るのに不安はなかったが。この時は何故か怖くてたまらなかった。

けど一人暮らしだし。
身内は疎遠で。
友人は遠方。
もしかしたら、来てもらえるのは、ヘルパーさんかも···と言う状況だった。

しかしヘルパーさんも、二つ返事では了承出来ないと言われた。前例が無いから、会議で検討すると言われた。
ので「いつお迎えに来てくれるか、決まりました?」と担当看護師さんに聞かれても、中々答えられなかった。



担当の看護師さんは、瞬間湯沸かし器タイプの人で、私が答えられないと「ちゃんと聞いてみて下さいよ。そもそも1人で帰るのの、何がそんなに怖いんですか!」と私に詰め寄ってきた。
私は「1人で帰ってる時に、しんどくなって動けなくなった経験があるので、怖いんです」と言うと、看護師さんは大きなため息をついて、
「分かりました。しんどくなるかもと思うから怖いんですね。もうほぼ完治してるから、そんな事無いと思いますけど。そんなに怖いならタクシーで帰ったらいいじゃないですか!」と言った。

私は「お金ないからタクシーは無理です」と弱々しく言った。
それが気に触ったのか、看護師さんは益々きつい口調で
「···あれもダメ!これもダメ!はぁ(ため息)
分かりました。じゃ、ヘルパーさんの事務所の電話番号を教えて下さい!私が直接いつ来れるか確かめます!!」
と言った。
私が携帯見ながら言うと、看護師さんはメモに書き取り。
「今から聞いて来ます」
と言って、メモを片手にカーテンをバサッと勢いよく開いて、カツカツと詰所に戻って行った。

これは後で聞いた話しだが、ヘルパーさんの事務所の電話をした看護師さんは、きつい口調で文句を言われ。
「いついつに迎えに来て下さい!」
と日程を押し付けたらしかった。

私の部屋をカツカツと出ていって数分後、ノックと同時に、カーテンをバサッと開けて看護師さんが戻ってきた。

「○○さん、〇月◎日の15時に、迎えの方が来られるそうなので、荷物と会計精算しててくださいね。本当に、いい大人やのに1人で帰るのが怖いなんて、訳分からない!もっとしっかりして下さいね···ブツブツ」と嫌味を織り交ぜながら吐き捨てる様に言って、出ていった。

何が怖いって···帰る途中に又しんどくなって、倒れ込んでしまうのが怖いんや!って言うたやん。聞いとらんのかぃ?とムカついた。
実はこの時、昔精神科の 退院日の出来事を思い出していた。
身内の迎えもなく、私は1人で帰ろうとしていた。だが、体力が低下してたせいと、荷物が多かったせいで。病院を出た、すぐ横の坂道で、荷物が荷崩れし、私もバランスを崩して道に倒れ込んで、動けなくなった。

確かまだ夏だった。
精神科の病院の横の道だからか、道幅が狭いからか、人通りはほとんどなかった。

それでも、いつ車とか来るか分からないので、私は慌てて荷物を積み直し必死に坂を降りた。

けどしばらく進むとまた荷崩れして、自分も倒れ込んでしまった。

私は、膝とか手を擦りむきながら、何とか体を起こし、また荷物を積んで、何とか進もうと頑張った。

荷物は転がり。積み直しても、荷崩れし···を繰り返し。

私は汗だくになった。

水とか持ってたけどキャリーバックに入れてるので、取り出すのが面倒で、何も飲まなかった。

段々体が暑くなり、力が入らなくなってきた。

私は途方に暮れて立ち止まった。

周りを見ても誰もいない。

てか、私には退院日に迎えに来てくれる身内さえ居ない。

戸籍上の身内はいるけど、ただ紙の上だけの関係に過ぎない。

このままもし私が死んだら、適当に葬式されて、遺骨は焼き場の集合墓地(?)遺骨置き場(?)に彫り込まれて終わり。そんな縁の薄い身内しかいない。


お⋯お⋯⋯落ち込んでる!

凹んでる場合違うで、私。

泣いても叫んでも、身内は誰も助けになんて来てくれへん!

他人を期待したらあかんねん!1人で生きてかなあかんって決めたやん!

負けるな!挫けるな!諦めるな!

私はそう思っと、また荷物を積み上げ、ゆっくり前に進んだ。


それでもやっぱり何回も荷崩れし、はずみで何回も倒れた。


その時1台のタクシーが通りかかった。

私はタクシーの邪魔にならない様に荷物を道の端に寄せた。自分もいざりながら荷物の傍に寄った。

「ねー!お姉ちゃん。大丈夫か?そんなに沢山荷物持たれへんやろ?」

私に話しかける声がした。

私は声のする方を見ると、タクシーの運転手さんの声だった。

この道を通るのは、精神科病院に行くタクシーだったから、汗と砂でボロボロになってる私でも、普通に声をかけてくれたのだと思う。

精神疾患の患者に慣れてはる⋯という事。


運転手さんは、狭い道やのに、もう1台車が来ても通れる様に、タクシーを器用に道の端に止めた。

そして私のところに来てくれた。

私が擦り傷だらけなのを見て、ウェットティッシュでそっと傷を拭いてくれた。

「おっちゃんバンドエイド持っとらへんから、駅ついたら買いや」

と言いつつ。

そして

「タクシー乗ってき」

と言ってくれた。

お金なかったけど、予備の諭吉がいたから、私は素直にタクシーに乗った。

運転手さんは、私の荷物をタクシーに乗せてくれた。

運転手さんは

「実はちょっと前から見ててんけど。ほっとかれへんようになって声掛けてん」

と言われた。

つまり、見るに見かねてタクシーに乗せてくれたと言う事のようだ。


身内より優しいわ。


生理食塩水の関係より、ずっと親身や。


と私は泣きそうになりながら思った。


運転手さんは根掘り葉掘り聞かず、黙って私を休ませてくれた。

泣きそうな顔も見ないようにしてくれた。


本当にありがたかった。


しばらくすると駅に着いた。


私がタクシーの会計を済ましてると、運転手さんは
「この荷物、1人で持って帰るのは無理やよ。宅配に頼み。あそこに宅配の兄さんがいてるから、ワシ頼んで来るわ。ここで待ってて」と言って、前方で荷物を分類してた、多分配送係の人の元に、走って行ってくれた。

◎◎ヤマトの宅急便の配達の兄さんは、嫌な顔もせず、荷物の分類をしてくれた。この2人の助けがあったから、私は何とか帰宅出来た。


この記憶。

これが1人で帰るのの怖さにつながっていた。
あの時本当にしんどくて、苦しくて、孤独だったのを覚えている。
このことも担当看護師さんには、ちゃんと話したのに、聞いてくれなかった。

それだけ入院予定の人が多いのだろうか···と私は考えた。けど正直(´・_・`)この看護師さんの言動には、ムカついた。

いい看護婦さんもいるけど、何人かは自分の仕事優先の人がいるよな···と思った。
てか1人で帰るのが怖い私があかんのかな?なんか凹んできた···orz
私は何とか起き上がり、帰るの準備を始めた。


続)