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闘病記つむつむ第13話
〜ぴぴちゃん‎・ࡇ・③〜

ぴぴちゃんが真夜中に鳴き、母に「夜鶏鳴いたら不吉やねん!死人が出るねん!」と言われたり。
お隣のおばあさんから苦情が来た事で。

母はぴぴちゃんを、私と弟が小学校に行ってる間に、保健所につれて行ってしまいました。

泣きながら、場所も知らない保健所目指して、私は自転車で走り回りました。

当然、ドラマとかではないから、ぴぴちゃんを見つける事は出来ませんでした。

その日からずっと、今はいないぴぴちゃんの鳥かごを見ては、私は泣いていました。

不思議なのは、ぴぴちゃんの鳥かごがいつまでたっても片付けられないことでした。

汚れは綺麗に取ってましたが、棚になおさず、ずっと玄関に置いてあったんです。

今思うと···。
そのかごを見る度に、悲しくて泣いていたのは、私だけではなく、母もそうだったのかな?と。

貝を生きたまま煮ることさえ「残酷や」と言って嫌がってた母です。

貝よりずっと存在感があり、毎日可愛がっていたぴぴちゃんを、殺処分されると分かった上で、保健所に連れていった母。

子供の頃は気が付きませんでしたけど、母も悲しかったのかな···?と思い返すと そう感じます。

ぴぴちゃんがいなくなってから、しばらく家の中は静かだった様に覚えてます。

私は
ぴぴちゃん殺された時痛かったやろぉなぁ···。なんで助けられへんかったんやろ···。
ごめんね ぴぴちゃん。
ぴぴちゃん なんも悪いことしてへんのに。
本当にごめんね···
そう思っていました。

時には、心の苦しさから、保健所にぴぴちゃんを連れてった母に対して、怒りも湧きました。

けど私が怒って何か言ったら、母はものすごいマシンガントークで暴言を吐くと言うのが 分かっていたから、何も言わずにいました。

そして漫画を読んだり、絵を描いたりして気持ちを落ち着かせていました。

だけど、3ヶ月ぐらい経っても、心の中の苦しさや寂しさ、怒りはなくなりませんでした。
てか私が、気を紛らわそうとして何かしてても、空のぴぴちゃんの鳥カゴを見ると、私の気持ちが、ぴぴちゃんの事に引き戻されるので、忘れたいのに忘れられませんでした。

カゴなおそうかなぁ。
とも思いましたが。
カゴに手をかけると、ぴぴちゃんの事をいっぱい思い出して動けなくなる私でした。

それに···カゴをなおしたら···本当にぴぴちゃんに会えなくなる···とか思ってました。

いや、この時点でぴぴちゃんはこの世にいないんです
。それは当時の私も痛い程分かっていました。
それなのに
『カゴなおしたら、もう2度とぴぴちゃんに会われへんなる』
と思ってしまうのでした。

この頃の私には、ぴぴちゃんの存在がとても大きかったと思います。

私何ヶ月も、沈んだ気持ちでいました。

けど同時にグツグツと怒りも燃えていました。

当時は、ぴぴちゃんを助けられなかった自分への怒りだと思っていました。

けどそれだけではなくて、何かモヤッとした気持ちもありました。

数ヶ月考えてる内に
『···やっぱり、保健所に黙って連れていったお母ちゃん!酷いと思う!せめて最後のお別れさせて欲しかったわ!』
と考える様になってました。

そやけどそれは自分の口からは、絶対に言えない事でした。

母の激昂ぶりが予想出来るからでした。

どうにもならない気持ちが、ぐるぐる私の中で回りました。

そしてふっと気がついたとです。

ぴぴちゃんが殺されなあかんかったのは、
雄鶏やった事。
真夜中に鳴いた事。
隣のおばあさんの苦情があった事。
この3つがあかんポイントやったんや!

そしたらそのポイントを減らせば、ぴぴちゃんは殺されずにすんだかもしれへん。

隣のおばあさんの苦情は工夫したらいけるはず。
1番問題な2つのポイントは、雌鳥だとらくらくクリアーできるやん!

···と私は思いつきました。

そうや!
雌鳥を買ったらええんや!

ぴぴちゃんの分まで大切に育てたら、ぴぴちゃんの供養にもなるはず!

当時の私は、そう思いつきました。

ちなみに「供養」と言う言葉は、普通の小学生(多分2、3年生)は使わないと思います。
私は、母がお寺に住み込みで奉公してたので、私が産まれる前から、年に何回もお寺参りをしてました。

私は、小学生低学年の頃から、般若心経や浄土真宗のお経を、本を見ながらですが読み上げ、ご供養とかできていました。

ので、「ぴぴちゃんの供養になる」とすんなり言葉が出たんだと思います。

私は雌鳥をどこで買えば良いか、悩みました。

ぴぴちゃんを買った、怖そうなお兄さんは、その時以来 来てないですし。

いや、そこでは またメスと言いつつ、オスを渡されるかもしれない···だからあかん。

じゃどうする?

メスのひよこってどこで売ってるのかな?

うーん🤔

やっぱり、ペットショップ?かなぁ👀?

いや、ペットショップしかないやろ!
ペットショップなら近くに1つあるし。

よし、それで買うとこは決まった!

後はお母ちゃんを説得するだけや。

これがめっちゃしんどいけど、天国にいるぴぴちゃんの為にも私頑張る‼️
と思いました。

その考えが浮かんでから、私は気持ちが明るくなりました。

そしてある日母に言いました。


「お母ちゃん 私ちゃんと世話する!それに今度はペットショップで買うし!ちゃんと雌鳥にするから、ひよこ飼わせて!
メスなら鳴かへんし 卵産むやん
お願いやから飼わせて!ぴぴちゃんの分まで幸せにしたいねん!」
と必死に言いました。

母は
「あかん!あかん!世話だってこの前もちゃんと出来てなかったやろ!絶対あかん!」
と腕組みをしてキッパリ言いました。

それでも私は諦めず、何度もお願いしました。
けど母は頑なに「あかん!」を繰り返していました。

そんな時いつの間にか、弟が、母の後ろに そっと立って。ゆっくり母の背中にすがりつく様に寄り添いました。

そして、目をうるませながら
「お母ちゃん、僕も欲しい!お願い···お母ちゃん!」
と涙声で言いました。

あかん!あかん!言ってた母が
「え?」
と一瞬止まり、弟の顔を見ました。

そして
「あかん···って。あんたも欲しいんか。うーん」
と声のトーンがめっちゃ落ちました。

「あんたがあかんねん!産んやなかった!」と言ってる私だけなら、母の「あかん!」攻撃はおさまらなかったでしょう。

母も私だけやと思っていたので、キツい口調で言ってましたし。

けど生まれた時から「この子は可愛くて賢いええ子や」と溺愛していた弟が「欲しい」と言い出したら、母正直困ってしまったのだと思います。

私だけなら跳ね除けられても、お気に入りの弟は、跳ね除けたくないだろうからです。

私は、母に頼みながら、やっぱりあかんかなと思い始めていましたが。

弟のこの援護射撃は予定外の強力な戦力だと感謝しました。

母は、お気に入りの弟に頼まれ、明らかに戸惑ってるようでした。

しばらく
「うーん、うーん」
っと言ってましたが。

「···分かった···ほな、ええけどな。お世話はちゃんとすんるやで!買うのは雌鳥にする事!わかったな?」
と言ってくれました。

私と弟は
「やったー🙌」
と大声で喜びました。
そして母をせかして、その日の内に
ペットショップに行来ました。

母の気持ちが変わったら大変やからです。

ペットショップには、メスのひよこ···ではなくて。
少し大きくなった子達が、2羽 いました。


店員のお姉さんが
「申し訳ありません。今ひよこはいないんです。少し大きくなった子達ならいます。(手でさしながら)こちらです」
と言われました。

見ると床に置かれた大きなカゴの中に、大人になりかけだけど 可愛い子達が居ました。

丁度初代ぴぴちゃんが、とかさらしきものが、もこもこがではじめた頃の大きさでした。

本当言うと、黄色の小さなひよこが欲しかったのですが。

顔を見たら、ダメですね・・・

可愛いと思ってしまいました。

母は
「あんたらええんか?すぐ大きくなるで。可愛くないで。それでもええか」
とずばずばした意見をキッパリ言いました。

店員さんは少し
「え?可愛くない?···」
と戸惑ってる顔をしてました。
けど私らは慣れてるから、母のばっさり発言をスルーしました。

そして私は
「うん❤この子らがいい❤」
と即決しました。

少し大きくなったひよこ🐣達は
1羽680円でした。

私はお小遣いから小銭で払いました。
 初代ぴぴちゃんの時のは違い、大きめの箱に入れてもらって、持って帰りました。

案外重かったように記憶してます。

鳴き声は···あまり覚えてないのですが。

ぴーぴーとは鳴かず
ここ、こぉーと鳴いていた様に思います。

帰宅して、新聞紙を広げ
そこに2羽を出しました。
こーここーと言いつつキョロキョロしてました。


ペットショップにいのは、白い子と、茶色い子だけでした。

私は白い子を選び、(2代目)ぴぴちゃん···と名付けました。

弟は茶色い子を選び、ぴっきーと名付けていました。

そして、2羽だと少し狭いけど、初代ぴぴちゃんの居た鳥カゴに、2代目ぴぴちゃんとぴっきーを入れてみました。

初めは落ち着かない様子の2羽でしたが。

お水やごはんを食べたら、リラックスしてきました。

玄関に、こぉーここここぉーと言う声がして、1代目ぴぴちゃんがいる時より 騒がしくなりました。

1羽と2羽の差はかなりありました。

けど私はとても嬉しかったです。

弟も嬉しそうでした。

そして、母も
「また世話大変や。貝買ってこなあかんやん。メスやったらもっとカルシウムやらなあかんしなぁ」
と文句言いつつ、カゴに指を入れて、2代目ぴぴちゃんとぴっきーの頭をつんつんしてました。

そして、後1人。
「お?にわとりが2羽もいる」
と驚いたのは、珍しく家に帰ってきた父でした。

父は調理師で、大阪市内の「更科」と言ううどん屋さんに、ほぼ住み込みで働いていたんです。

普段はお店の朝が早く、電車動いてないから、お店の寮に泊まっていて、お休みの日だけ帰宅してました。

母は父の事を「汚い!」と毛嫌いしてました。
子供の頃、私と弟は、母から
「あんたらのお父さんは嫌な人や。話したらすぐ『男というものはこうあるべきやねん!』とか言うし。あとお風呂嫌いなところが、お母ちゃんは嫌いやねん」と言われて育ちました。

ので私達も父とはあまり話しませんでした。

父は元々寡黙な人で、喋るのが苦手そうでした。
父は、自宅に帰宅しても、やーやー言う母と、何となく遠巻きになる子供らがいて、多分居心地良くなかったと思うんです。

父は家にいる時、良くお酒を呑んでました。

日本酒の冷が好きで、長い時間かけてご飯やあてを取りながら、静かにしてました。

けど、お酒には強くて、父が酔ってる所を、私は見たことがなかったです。

久しぶりに夜帰り、玄関の電気をつけたら、大きくなりかけのにわとりが2羽いて、本当に驚いたようでした。

しばらく2代目ぴぴちゃんとぴっきーのカゴの中を見て、なにか考えてるようだったと、朝に母から聞かされました。


そばらくして、父は
「ん」
と言うと、2羽が楽に入れる鳥小屋を作り、玄関の鳥達の置き場所を、整理しました。

父の作ってくれた鳥小屋は、縦と横は余裕がありました。
ただ幅が少しスリムでした。

2羽が小さい内は、気になりませんでしたが。

大きくなった時、止まり木にとまって用を足すと、ぴぴちゃんのおしりの羽に付いてしまいました。

それがそのままかわいて、前から見たら可愛いぴぴちゃんですが、おしりはなんか重たそうで、可哀想に見えました。

ハサミで切っても、また同じだから、ぴぴちゃんは亡くなる時まで、おしり可哀想な子でした。

父が作ってくれた鳥小屋は、壊れそうで壊れないしっかりした作りでした。

もっと「わしが作ってん。どやぁ」
とか言っても良かったのに。

喋るのが苦手な父は
「ん」
だけですます。

おかげで、子供の私達がお礼を言うのを忘れるような、影の薄い父でした。

今書いてて思い出しましたけど、まじに「ありがとう」と言えてなかったです💦

もう他界して23年になります。

今更ですが、色々ありがとうと、この場を借りて伝えたいです。

ちなみに父も田舎にいたから、にわとりを飼った事があるようでした。

お水入れるところと、餌を入れるところ。
菜っ葉を入れるところと、大きな出入口。

ぴぴちゃん達は嬉しそうにしてました。

その後ぴっきーは2年ぐらいで、空き地の草の中に落ちていた毒を食べて、亡くなりました。
弟が大泣きしてました。

2代目ぴぴちゃんは、犬に追われ、玄関の扉の上まで飛んで難を逃れたり。

階段を駆け上がって遊んでいて、足底が傷つき出血が止まらなくなり。
慌てて動物病院まで連れていき、縫えないから焼きごてで止血され。声が枯れるまで鳴いたり。

母が銭湯に行ったあと
「ぴぴちゃん、玄関から上がってきたらアカンで!ぴぴちゃん足汚いからな」
と言われつつ玄関の出してもらい。
「こぉ〜」
と返事(?)しながら、そおっと家に登り、少しづつ奥に入って来ては、こっそり母を見て。

それを化粧水をつけてる母が3面鏡越しに気が付き、振り返ると 「しゅっ」と引っ込み。

何回もそれを まるで「だるまさんがころんだ」みたいにして、最後に
「こらぁ!ぴぴちゃん!上、上がったらアカンでって言うたやろ!鏡に赤いとさかがちらちらしててんで!あーまた床ふかなあかんやん!」
と母にバレて、大慌てで逃げたり。

私に
「催眠術やでぇ」
とか言われて、コンクリートの上に寝かされ、じーとさせられたり。

カルシウムが少なくて、自分が産んた卵を食べたりしました。

おしりだけは可哀想でしたが。
あとは綺麗なぴぴちゃんでした。

とさかが左側に垂れてて、赤いベレー帽を斜めに被ってるようでした。

もちろん、1度もコケコッコーとは鳴かなかったです。
母も
「この子は賢いわ。あんたより賢いと思うわ。こっそり上に上がって来た時、見つからんように隠れてんもんなぁ。賢い子や」
と言ってました。

またラジオに投稿して、浜村淳さんに
「うちのにわとりのぴぴちゃんは、子供より賢いです。いっそぴぴちゃんにランドセル背負わせて学校に行かせたいです」
とコメントをつけてもらいながら、ぴぴちゃんと母との「だるまさんがころんだ」の話をオンエアしてもらった事がありました。

ぴぴちゃんはみんなに大切にしてもらい、5〜6年生きました。

亡くなった時、本当に悲しかったです。

その後「ぴぴちゃんのロス感」は、半端なかったです。

母の家のどこかに、今もぴぴちゃんの羽が残っているそうです。