第10話

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闘病記つむつむ(11)〜ぴぴちゃん〜

私は、自分の辛さをマシンガントークで我が子にぶつける母と

寡黙で、稀に話すと
「男と言うものはこうあるべき」
を繰り返す少し時代錯誤な父と

幼少の時からIQ180以上と言われ、見た目も私より断然可愛い弟と

4人家族でした。

でも、普通の家族ではなく。

母も父も、自身の両親との縁が薄く、その為「親」と言うものが何か分からない···と話す状態で、みんなが寂しい想いをしている
「機能不全家族」
の元で育ちました。

「機能不全家族」で生きる為に、日々発せられる母の暴言や、出来の良い弟と常に比べられたりする言動に潰されないように、私は必死で道化師を演じその場を和ませたり、漫画などに逃げ込んでいました。

同時に弟に対する嫉妬に身を焼かれ、とても悲しかったです。

私と弟は1年半しか歳が離れていない年子でしたが。
学校の学年は、2年離れていました。

私が10月生まれで、弟は4月生まれだったからです。
弟が3月生まれなら、早いきで学年は1年違いになっていたでしょう。

私の弟は本当に頭が良くて、勉強も進んでするし、母に溺愛されていたので、私だけが留守番で、2人で買い物に行く事もありました。

幼児の時は、私が寝てる間に買い物に行っていたようで、目を覚ました私は母がいないのに気がついて、悲しくて大泣きしてました。

帰宅した母は
「あんたの鳴き声が外まで聞こえてたわ」
とうんざりしたような口調で私に よく言ったものでした。

そんな言葉でも、話しかけてくれた事と、帰って来てくれた事が嬉しくて、私はまた泣いてました。



暗い部屋で気がついたら1人。

これは私には、とても辛い出来事でした。

捨てられた?と思っていたのでしまうからです。

「お母ちゃんは○ちゃんが好き。私は迷惑で面倒ばかりかけるあかん子。死んだらええのにって言われてる子。私とうとう置いてかれた?」
と感じるんです。

私は子供の頃から母と離れると
「もう2度と会えないかも」
と不安になるのでした。

大きくなってからも同じように感じるのでした。

幼い頃から
「迷惑で、面倒かける 阿呆で 病弱なあんたなんか、産まんかったら良かった」

「あんたのせいで、お母ちゃんはしんどい思いする。なんで生きてるの?いなくなればいいのに」

「あんたと比べて○ちゃん(弟)は、ええ子や!月とすっぽんやな。お母ちゃん○ちゃんのお世話もっとしたいのに、あんたが病弱やからお世話出来へん。○ちゃんが可哀想や」

等色々言われ、私自身
「自分は価値の無い人間や」
となんの抵抗もなく思う程、自尊心がなかった私です。

気がついたらお母ちゃんに捨てられるんやないか?といつも不安でした。

その心が、母と少しでも離れると、もう会えないかも···と言う恐怖感を高めるのでした。

例えば
中学校の三者面談の後、帰りに母が
「あんた自転車やろ。先に帰ってお風呂の火を付けてきて」
と言うので、私は先に帰るのですが。

『お母ちゃんこの後事故とかにあって死んでしまわへんかな?』
とか必ず頭に浮かぶんです。

それはものすごい力を持った思考で、一瞬動きが止まる程のものでした。

のですぐに自分だけ先に帰れませんでした。
母はそんな私の姿を見て
「あんたなぁ。何ぐずぐずしてんねん!はよしなお風呂わくのが遅なるやろ!はよ帰り!使えん子やなぁ!」
と低い声で言いました。

私は不安になってる事を話せず、黙って自転車を押しながら、母の傍から離れられずにいました。

数回母に
「はよ行きや!ゆう事聞かん子やなぁ!」
とか言われて、断腸の想いで母から離れていました。


まぁ私の不安は1度も当たった事がなかったのですが。

あのなんとも言えない不安···恐怖を伴う気持ちは今も私の中にあります。

よく分かりませんけど、もし母自身が あたたかい家庭で両親に大切にしてもらい大人になった人なら、私にも「心配しなくていいよ。置いてかへんよ」と抱きしめてくれたかもです。
けど母もそれをされた事のない人でした。

私は成人後にカウンセリングの勉強をするのですが。

その時初めて自分の心の真ん中に、大きな黒い穴···ブラックホールの様な物がある事。

そこには凍てついた「無」しかなくて、とても辛い想いをしてる事。

あたたかい家庭で育った大多数の人達は、心の真ん中にあたたかい無条件の愛と呼ばれるもの(母の愛)があり、その力で人生を乗り越えている力を得る事を、初めて知りました。

カウンセリングの先生は
「心に穴がある人は、自力で自分をあたためなあかんので、生きずらいんですよね」
と言われてました。

それを聞いて私は、胸に何かがストンと落ちた様に思いました。

それを感じたのは私が1度目の結婚で苦しんでいた時でした。
年齢は20代後半〜30代前半でした。

大人になっても心の真ん中の穴は、埋まらずまだあります。



話しは子供の頃に戻ります。

母と父は、私と弟が小さな頃から仲が悪かったです。
心があたたかくなるものは、ほとんどない家でした。

けどそれを母は感じ取っていたのか、私達が小さな時から小鳥を沢山飼っていました。

十四松とかインコとかです。

小鳥を飼うことて、命の大切さやあたたかさを私達に教えたかったのかもしれません。

また母自身が、小鳥からあたたかいものをもらっていたのも事実でした。

幼い頃から私の家の玄関の一角は、鳥小屋で埋め尽くされていました。

母は小鳥達をたいそう可愛いがっていました。

ので私と弟も、幼稚園の頃ぐらいから、小鳥のお世話をするようになってました。

特に弟は真面目にお掃除とかしてました。

私はいつの頃からか、鳥の足を見て爪が怖くなり、お掃除はなんとかできても、部屋で鳥を遊ばせる時は、布団の中に潜り込んでいました。
爪が痛いし、つつかれたら痛いので、歳を重ねる事に、小鳥が怖くなってました。
カゴの中にいるのを見るのは好きでしたけど。
手に乗せるのは無理でした。

母と弟が、そんな私を見て笑っていました。

私は「何故あんな鋭い爪の鳥、怖くないの?」と不思議でした。

そんなある日、小学校の校門の横に、なんか怖そうなお兄さんが箱を2つ並べて座っていました。

その周りを小学生が囲んでいました。

私は何かな?と思いつつ、お兄さんの所によっていきました。


お兄さんの前にはオスメス分けられた、ひよこが沢山箱の中にいました。

小さくて
まん丸くて
ぴよぴよと可愛い鳴き声をあげてました。

私が覗き込んでいると、お兄さんは
「手ぇ出してみ」
と言いました。

私は怖々手を出しました。

するとお兄さんがタバコを口にくわえ、両手で1羽のひよこを掴んで、そっと私の手に乗せてくれました。

少し爪、痛かったですが、ふわふわの黄色い毛と、お腹のあたたかさが恐怖感を払拭しました。
ひよこは私の方を見て
「ぴよぴよ」
と鳴きました。

私は
「うわぁ❤可愛い〜❤ちっちゃい❤」
と声を上げました。

するとお兄さんは
「なぁ 可愛いやろ❤」
と言いました。

そして
「今日は大サービスや。ほんまはもっと高いんやで。けど今日はオスが50円、メスが100円やで😎」
とめっちゃお得感を表現する言い方で言いました。

私は手のひらのひよこをまじまじ見ました。
ひよこは安心したように私の手のひらの上に座って、じっーと私を見つめていました。

ああ、この子 めっちゃ可愛い〜❤
勝手に連れて帰ったらお母ちゃん怒るかな?
けどもう離されへん💦

と思いました。
そして
いつも怒られるんやから、今日怒られても別にいいやん···と思ってきました。

私はお兄さんに
「この子メスですよね?」
と聞きました。
お兄さんは
「そうやで。可愛いやろ😎買うか?」
と言いわれました。

私は頷いて100円玉をお兄さんに渡しました。

お兄さんはひよこを小さな箱に入れてくれました。

「おおきにね。大事にしたってや。箱あんまり揺らさんように持って帰ってな」
とアドバイスもしてくれました。

それで、いつもよりゆっくり帰ったと思います。

私が箱を持って帰ると、まず弟がやって来ました。
「薔舞香ちゃん、何それ?」
と聞いてきました。
私は箱をあけて、手のひらにひよこを乗せると、弟はものすごく喜びました。
2人でわいわいしてると、母もよってきました。

そして
「げっ😰ひよこ?」
と言いました。
母が反対したらこの子は捨てなあかんようになる!と思った私は
「メスやってお兄さん言ってた」
「ちゃんとお世話するから!」
と必死で食い下がりました。

母は
「···ほんまにメスなんやな?
飼ってもええけど、あんたがちゃんと面倒見ぃや!」
と、思いのほかすんなり認めてくれました。

多分、ひよこの可愛さが半端なかったからだと思います。



姿もおめめも可愛いくて、鳴き声もぴよぴよ、ぴーぴーと可愛かったからだと思います。

この時私は知らなかったですが、母は子供の頃鶏を何羽も飼っていて、お世話もしてたそうなんです。

なので
「世話はあんたが···」
と言いつつ
「固い餌だけでなく菜っ葉やアサリの殻の砕いたのとかもあげなアカンで!」
とアドバイスしてくれました。

空いていた小鳥の小屋にひよこを入れて、みんなで名前を考えました。

家の小鳥達の名前は、めっちゃ単純な名前でした。

例えば十四松の場合
オスがピー助
メスはピー子
でした。

命名は母でした。

このひよこは
ぴーぴー言うからぴぴちゃん
となりました。

命名は私でした。

今思うと母と私、ネーミングセンスが同じやなと思います。

ぴぴちゃんはその日から家のアイドルになりました。

ただ母が
「なんかこの子···足デカいなぁ👀ほんまにメスか?オスちゃうか?」
と時々言ってました。

私はメスだと思ってたので、母の言葉は無視してました。

続)