第8話
https://ameblo.jp/5717-8507/entry-12725916192.html第9話
〜おぼろに覚えている性トラブル③〜
泥水の水溜まりに引きずり込まれた事件で、泥酔して私を拉致ったおじさんと、その上司さんが
「この度は誠に申し訳ありませんでしたm(_ _)m」
と謝りに来ました。
母は
「お仕事してたら、嫌な事ってありますよね。お酒飲んでしまいますよね。
嗚呼謝らないでください。
この子もひょいひょいくっついていったのがあかんのですから。
なので、どうか気にしないで下さい。
わざわざご丁寧に挨拶、ありがとうございます」
と、ものすごく丁寧で、寛大な言葉を、拉致ったおじさんに言ったと記憶してます。
そして事件を訴える事無く、おじさん達が持ってきた菓子折りを受け取った母でした。
私は
『あんなに怖かったのに!私が悪かったの?私ついて行ってへん!』
と心の中で叫んでましたが、何も言えませんでした。
恐怖
怒り
悲しさ
自責の念?
あとはなんか分からないもやもやした気持ち
等、色んな気持ちを飲み込み、幼い頃の私は、もらったお菓子を見て
『お菓子もらえて良かった』
と無理やり思いました。
その時飲み込んだ想いの根底にあった気持ちは、当時はよく分かりませんでしたけど。
胸が苦しくなりました
その苦しいもやもやは、今思い返すと。
酔っ払いおじさんへの怒りと。
母への怒りだったのだなぁと思います。
娘が酷い目にあったのに
娘も悪かったから謝らないで下さいと言う母。
てか幼い我が子が、あんな事を経験したのに、酷い事をした張本人に気を使う母。
そんなんありか?
血の繋がってない駄菓子屋のおばあちゃんの方が親身に接してくれたのを覚えています。
おばあちゃんは、現場にいてくれたし。
「その子を離して!」
と叫んでくれましたし。
警察を呼んでくれたり。
助け出された私をなぐさめてくれたりしたんです。
実の母は、現場にも来ず、家で洗濯をしして。
多分弟から
「薔ちゃん泥だらけになってる」
と聞いて、銭湯の着替えセットを作り、汚れないようにビニール袋に入れて予め準備してたのですから。
いや、もしかしたら。
母が現場を見に来てて、だけど何故か 私を助けようともしないで帰った可能性もありました。
母は近所に消防車など、サイレンの鳴る車が止まると
「なんかあったんや!何か見てこよ♪」
とわくわくしながら すっ飛んで見に行く「野次馬」でした。
なので、パトカーが来た時、
私が引っ張りこまれてる現場に
「何があったのかな(わくわく)」
と思いながら来てたかもしれないんです。
母は背が低かったので、沢山の野次馬がいたあの時、私からは母が見えなかったんだと思います。
何を想って母が家に帰ったのか?
それは分かりません。
家で弟に事件の事を聞いたとしても。
野次馬根性で見に来てたとしても。
母は現場で
「私の子供を離せ!」
と一言も言ってくれませんでした。
私が泥だらけで帰った日。
その時に母がちらっと言った言葉で、私は更に地獄を見ました。
もっともその時の私には、意味の分からない言葉でまくしたてられたのですが。
それを口にする母の目が、汚いものを見る様な目だったのは今でも覚えています。
そして数年後、私はその言葉の意味を知り、更に傷つきました。
暴言の時間差攻撃でした。
母は
「あんた···。うちのおばあちゃんに似て、男好きやねんで、きっと。
まだ小さいのに男に寄ってく。
そう言えばあんたが幼稚園行く前も、大学生の男に変なことされたやろ。
覚えてへんか?
その時もあんたが誘ったんやろ。
汚らわしい!
おばあちゃんそっくりやな!」
と憎々しいく言われたんです。
私はその時、なんの事を言われてるのか分かりませんでした。
けどそう言えば···。
昔なんかあって···怖かった事があったような···なんやったっけ?と思いました。
そして ゆっくりと思い出してきました。
それが私の心に残る
「性トラウマ」
の2つ目の記憶。
「お兄ちゃん···何すんの?」
でした。
思い出した途端、その時の事がフラッシュバックしました。
あれは私がまだ4歳か5歳の頃?いや幼稚園の頃だったか···はっきり覚えていません。
けど季節は、初夏だったように思います。
私の家の近くのダ○エーの大型駐車場の横で、ブロック塀があり。
ブロック塀の手前には幅1mぐらいの花壇がありました。
その花壇は地面にあるのではなく、底上げされてて、高さが70cmぐらいあったと思います。
そこには主に花や、花をつける木が植えられていました。
花や草木で、子供なら隠れることも出来ましたし。
駐車場の方へは、塀が高くて行けないから、そこは小さい子供達の遊び場になっていました。
花壇の前はひっそりとした住宅街で、モータープール(駐車場)も沢山ありました。
ダ○エーの方は人が多かったですが。
その通りは昼間でも、人通りはまばらでした。
私が覚えてるのは、黄色い小さな花が。
小さな花が集まって小毬りみたいになって いっぱい咲いてた事と。
私は知らないお兄ちゃんと一緒に、花壇のヘリに座っていた事。
それと、お兄ちゃんが私の下着に手を入れて、何かしてる気持ち悪さでした。
すごく長い時間やったように思います。
がっちり身体をつかまれて、身動き出来ない私は、怖くて声が出ませんでした。
心の中で
『お兄ちゃん···何すんの?やめて!』
と何回も言っていました。
母に言われるまで、その事をすっかり忘れてた私なのに。
泥水事件の直後に、母はその事を話して
「あの時もそうやけど、あんた小さいのに知らん男に寄って行ったやろ!あん時もあんたから誘ったんやろ?汚らわしい!」
とか言われ、記憶の蓋をはがされた私は、更に怖くなっていました。
せっかく閉じていた記憶の蓋。
それは、少しこじ開けられただけで、中身が飛び出し···まるで今体験してるかのごとく鮮明に、思い出しました。
それは止まることなく私に襲いかかりました。
1番に思い出したのは···
知らないお兄ちゃんの、あの もぞもぞ動く手の感触でした。
時々痛み、私が泣き出しそうになるとお兄ちゃんは手を止めました。
周りには誰もいませんでした。
いつまで続くんやろ?
早くやめて欲しい?
お兄ちゃん···何すんの?
と本当に言いたかった。
けど、怖くて声にできなかった。
お兄ちゃんの顔を見るのも怖くて。
周りに咲き乱れてる黄色い花が、風で揺れるのを見て
早く終わりますようにと祈りながら
私はずっと我慢してました。
どのくらい経った頃か分かりませんでしたがけど。
お兄ちゃんは私を膝から下ろして、どこかに行きました。
私はとにかく怖いのと、気持ち悪いのとで、すぐに家に帰りました。
帰ると母がいました。
私は泣きそうになりながら母に
「変なお兄ちゃんが、私の事触った」
と言いました。
母は最初 無視してましたけど。
私がされた事を伝えると、顔色が変わりました。
そして私の腕をキツく握って
「そんなんされたんなら、交番に行かなあかんやん!」
と言って歩きだしました。
私はその声の大きさに驚き、ついに泣きだしました。
母は
「泣き虫が!あんたなぁ、お母ちゃん仕事で疲れてんねんで!なんで余計な用事作るんや!男についてったあんたが悪いんやで!」
と怒鳴りつつ、私の腕をすごい勢いで引っ張って、ダ○エーの近くの交番まで引きずって行きました。
私は交番で、
1人で花壇で遊んでた事。
気がついたら知らないお兄ちゃんの膝の上にいた事。
お兄ちゃんが下着の中に手を入れて、気持ち悪かった事。
を泣きながら話しました。
お巡りさんは真剣な目をして、私の言うことを紙に書いてはりました。
今思うと「調書」なのかなと思います。
母はそこでも
「この子が誘ったんですよ。
この子の祖母によく似て男好きなんですわ。汚らわしい。
けどこれって痴漢ですよね!
この近所にそんな男の人いますか?
いるんなら捕まえて下さい!
···私、私が怖いです!」
とすごい剣幕で言いました。
お巡りさんはあきれた様な声で
「娘さんが誘ったって?
まだ小さな子供さんやないですか?」
と言われました。
すると母は更にヒートアップして
「あの子はやりかねんのです!
だってそんな血ぃ🩸受け継いでるから!
うちのお母さんと似てるんですよ!私の母は、昔から男好きで···(以下母の生い立ちの話しをマシンガントークでまくしたてる母)」
お巡りさんは途中まで聞いてましたが
「とにかく。被害届出して下さいね。現場周辺は、巡回を増やします」
と、あきれたように言ってはりました。
目の前で母は、がなり立てていましたが、子供の私には、半分も分からない言葉でした。
けど。
子供心に思ったのは
お母ちゃんはおばあちゃんが大嫌い。
↓
おばあちゃんに私が似てる?
↓
よくわからんけど、おばあちゃんに私が似てるから、私の事がお母ちゃんは嫌い。
↓
お兄ちゃんに私が自分でついったと、お母ちゃんはそう思ってる。
私ついて行ったのかな?気がついたら座ってたんやけど···。
けど、私が悪い?
↓
そんな私だから、お母ちゃんは私の事が大嫌いなんかな。
↓
分からない(泣)嫌われてるの···悲しい。
↓
↓
↓
しばらく真っ暗な闇に沈む私
↓
↓
↓
そ、そやけどぉ!
お母ちゃんも、お兄ちゃんみたいな人が居たら怖いって言ってた!
↓
お母ちゃんが怖い思いしんで欲しい。
↓
お母ちゃんがお兄ちゃんに出会わんといて欲しいな。
と私は自分の中で考えていました。
子供の私には。
男好きも
汚らわしいも
誘ったんや とかも
よく分からなかった。
ただおばあちゃんに似てるから、母に嫌われてる事が分かり、心身が引き裂かれる様に痛くて苦しかった事は、ものすごく覚えています。
あまりの辛さに、幼い私は
全部スルーしました。
箱に入れて、蓋を閉め。重しをつけて心に沈めたんです。
これは無意識にしてたと思います。
辛いことは飲み込んで、その代わり、母が言った
「近所にそんな男の人がいるのなら捕まえて下さい!私が怖いです」
と言った事だけに集中して、母があのお兄ちゃんに出会わないかの心配だけをしてました。
今思うと、幼児が男を誘うなんて発想 普通の人は思わんし、言わんやろ。
まして自分の娘に。
しかも4、5歳の幼児に向かって。
だからお巡りさんも
「まだ小さな子供やないですか」
と言ってはったんだと思います。
母の言葉で、幼い頃の嫌な出来事をフラッシュバックした私は
身体ががくがくと震えました。
息も出来なくて、冷や汗が出ました。
耳の中で、ドクドクと言う音が聞こえました。
今ならそれが自分の心音だと分かりますけど、その時は分かりませんでした。
そのドクドクと言う音が気持ち悪くてしかたなかったです。
この時以来、私はなにかの拍子に自分の心音が聞こえると、気持ち悪くて逃げたくなりました。
今もそうです。
自分の心音を聞いてると、ものすごく嫌な気持ちになるんです。
てか、とにかく そんな音を出す、自分の身体が気持ち悪いんです!
その音を止めたい!
その音から逃れたい!
と思うのでした。
その音は自分の心音だから、止められないと気がついたのは大分後になってからです。
それを止めたいと切望する私。
私が持っている想いは···
まさに自殺願望でした。
私は幼いながら、自分は···
小さい頃にも変に事されてたんや。忘れてた。
お母ちゃんは私が悪いと言ってた。
なんか知らんけど、おばあちゃんに似てるって言われた。
あんたなんか産むんやなかった···とか。
なんで生きてんのって言われた事もあったけど。
私は心のどこかで、母が、少しだけでも私の事を、好きでいてくれてると願ってました。
だけど私は、小さい頃から母に心底嫌われてたんだと、この日実感してました。
理由は私が、おばあちゃんに似てるから。
それにいつも言われてた、病気がちで迷惑かけてるから。
だから私はやっぱり母に嫌われてたんや!
そう思うと手足と、胸の真ん中が冷たくなりました。
私、おばあちゃんには会った事が、赤ちゃんの時しかないから、どんな人か実際にはよく知らんけど。
お母ちゃんはずっと おばあちゃんの悪口言ってたのはしってる。
そんな人に私が似てるなら、母が私を嫌うのをやめてくれるはずがない···と絶望した事でした。
母の母···おばあちゃんは。
母の幼い時、
ご飯食べさせない。
火箸で叩く。
体罰する。
言葉で責める。
男の人を作って子供3人残して、家出する。
母をお寺に奉公に出す。
母のお給料を奪いに、男と一緒に包丁持って奉公先に怒鳴り込む。
という事をした人だと、私と弟は物心ついた頃から聞かされていました。
また
「あんたらのお宮参りの時、おばあちゃんはお給料を出せって言うてんで」
とも言われてました。
ずっと前から、おばあちゃんは、お母ちゃんが嫌ってる人やっと言うのはわかったので。
お母ちゃんが嫌ってる人に自分が似てると言われるのが、本当に嫌でした。
なぜなら私も、おばあちゃんと同じように、お母ちゃんはあんたが嫌いやねん‼️と言われてる様な気がしたからです。
と言いますか。
嫌われてたんでしょう。
おばあちゃんに似てると言うのは口実で。
私は···急いで漫画の本を手に取り、布団の中に逃げました。
現実逃避でした。
今思うと、母も、生きずらさを抱えた人で。毎日心が何かに削られる様な痛さに耐え、生活してたなと思います。
けどその痛みは周りには見えなくて、母も孤独だったのでしょう。
母の心が張り裂けそうになる引き金を、母は抑えて生きて来たと思うのです。
だけど母の中にある闇も、深くて痛かったんでしょう。
それは、まともに生きるために、どこかで吐き出さないと爆発してしまうぐらい、辛かったのだと思います。
そんな時目の前で
病気ばっかりする娘がいた。
しかも自分の嫌いな実母に似てる、娘がいた。
母の中で、自分が苦しいのはこの娘のせいだ!と結論づけるのは、川が上から下に流れるほど自然な流れだったのでしょう。
そこで気持ちを吐き出せば、母の心は少しの間軽くなったのかもしれません。
そう、私は、スケープゴート···生贄の羊だったんだ···と大きくなってから思いました。
知らないおじさんに泥水の水溜まりに引きずり込まれた事件の日に
忘れていた幼い日の怖い思い出をほじくり出された私は
泣く元気もなく
身体から力が抜けるのを感じました。
そして母の繰り返し言う
「あんたが悪いねん」
がトドメとなって、私をバッサリ切り刻みました。
だけど。
涙が出ない。
声も出ない。
素直に
「嗚呼私が悪かったんや。全部私があかんかったんや」
と子供の私はそう思っていました。
母に嫌われてると思うと、まるで切れ味の悪い刃物で、私の心をギリギリ切られ
心から血が吹き出していました。
けどそれに私自身が気づくのには、それから数十年かかりました。
気がつくまでの間は、ずっと私が母を傷付けてるんや···。
なんとか償わないと···でないとお母ちゃんに捨てられる!と思っていました。
そんな事があっても、子供の頃の私は
母が好きでした。
母に可愛がられてる弟に嫉妬して、意地悪もしました。
もう少し大きくなった時、私は。
母に怒りを感じていましたけど。
母が祖母に同じように虐待を受けていた事も何回も聞かされて知っているので
『お母ちゃんも酷い目にあってきたんや。そんな中育ててくれてるんや。お母ちゃんも辛いんや。だから無かった事にしよう』
と思い、もやもやを、また丸呑みして、私は漫画やアニメの世界に、必死に逃げていました。
実は後で分かった事ですが。
私だけでなく、弟も何かに逃げてたようです。
逃げて、母の前では「いい子」を演じていたようでした。
弟にとっても、私にとっても。
また父にとっても。
そして母本人にとっても。
安心したり信頼したり、互いを認めて慈しみ、何があっても味方になるよと言う気持ちを持てない家族。
そう私達は典型的な
「機能不全家族」
だったのでした。
これに気づくのも、かなり先になります。
と言いますか。
「機能不全家族」と言う言葉さえない頃の話しなので、それまでは
「うちは···なんか変わった家族やなぁ」
とずっと思っていました。
他の家と比べたりしなかったけど
「変な家」
とは思っていました。